第10話 提案:この場での退避が最適です
俺の目の前にいる高良隼人。
元同期であり、気のいい仲間だった男。
そいつが今、俺に刃を向けている。
「――ここでお前を殺して、全て終わりだ」
そう言って、高良は地面を蹴り上げた。
ダッと地面が弾ける音とともに、俺の眼前に入り込む。
その刃が視界に溶け込むほど速い。
『警告:敵意最大値。推奨行動――生存優先回避』
アルゴの声が脳に響く。
予測線が薄く視界に走るが、線が浮かぶより先に刃が来る。
追いつかない。
反射で身を捻るが、頬を浅く裂かれた。
熱い線が一筋、顎へ落ちる。
これがBランクの近接戦闘……。
「どうした、一式。これが現実だ」
高良が踏み込む。
重心が一切ぶれない。
探索者だった頃には一度も経験したことがないレベルの高速戦闘とハイレベルな駆け引きが、容赦なく俺に牙を剥く。
詠唱の隙なんてない。
口を開けば首が飛ぶ。
足を払うフェイント――からの肘。
防御が遅れ、肺から空気が抜けた。
膝が揺れる。
『心拍上昇。酸素濃度不足。呼吸回復を推奨――』
剣と近接格闘を織り交ぜた高良オリジナルの戦闘技術。
体が全くついてこない。
ユニークダンジョンをクリアして、ちょっとは強くなったと思っていたが……いや、対人戦闘に関しては別物か。
読み合い、間合い、癖、呼吸。
これらの情報を処理できる力が身につくのは、それこそB級以上のダンジョンをどれだけ経験しているか。
俺にはそれが圧倒的に足りない。
とりあえず俺は滑るように後退し、距離を取った。
「はっ、得意の逃げかよ」
あれだけ技を繰り出しても、一切息の乱れがない。
さすがBランク探索者だな。
だけどなぜか表情に余裕がない。
なんというか、焦りを不安が交じったような。
さっき高良が言っていた、アイツは死んだ、って言葉に何か関係がある……?
「逃げても無駄だ。ここはオレとお前の二人だけなんだからなぁ!!!!」
いや、分析してる場合じゃない。
俺に最速の袈裟斬りが迫り、重い刃が右の肩口を裂く。
「う……っ!」
避け、きれない!
剣を振り下ろした勢いのまま、流れるように中段蹴り。
見事横腹にヒットし、俺は宙を舞う。
ドンッ――
飛ばされた先、鈍い音で背中から着地した。
「あ、あぁ……」
強い痛みに思わず唸る。
だがそれよりも、アルゴが気になる。
さっきからずっと俺の中で作業をしているからだ。
『新規補助スキル、生成中……生成しました。戦闘速度差を補正するアルゴリズムを構築。暫定スキル名称――〈加速同期〉』
そして何かを創り上げた。
『ホストの視覚処理・前庭反射・四肢運動野の機能を一時的に高めます。敵の運動予測線を神経伝達速度で先行表示。詠唱不要、発動合図は――「認める」』
空を仰ぐ俺に、高良の靴音が一拍ずつ近づく。
足音が止み、
「思ったよりあっけなかったなぁ、一式。お前はこれで終わりだ」
寝転ぶ俺の傍、高良は俺に剣を突き立てた。
「一式、同期のよしみだ。最期に一言、時間をやる。言い残すことはあるか?」
「……認める」
「あ……?」
『承認。〈加速同期〉起動。同期率――六二%、七三%……』
「まだ負けない。どんな邪道な力だとしても、俺は勝ちに縋り付いてやる!」
『八五%……安定』
「はっ、なんだそれ。まぁいいわ。さっさと死ね」
世界が、ひと目盛り遅くなる。
音が遠のき、空気が粘る。
高良の肩のわずかな沈み、前足の外向き、利き手の筋が跳ねる――次の軌道が、線として浮かぶ。
見える。
振り下ろされる、剣の軌道が!
「っ!」
俺は体を横に転がし、剣を避けた。
「〈ウィンドボール〉」
そして風を地に放ち、俺は体を浮き上がらせる。
「……は?」
高良の目がわずかに細くなる。
しかし即座に切り替え、剣を走らせてきた。
斜め下から切り上げ。
線は腰の捻りから肩に繋がり、剣先が上顎を狙う軌道を描く。
右足の母趾球で地面を噛み、半歩外に出る。
躱わしざま、左掌で短い詠唱――いや、詠唱は要らない。アルゴが補助する。
〈サンダーショット〉
近距離の雷。
短時間での発動。
威力はかなり抑えめで、おそらく高良の動きを数秒止める程度。
だが初めてだ。
こっちからの一撃を浴びせられたのは。
「……動きが、変わった?」
高良の声に、苛立ちが混じる。
「俺は――もう、逃げないだけだ」
息を揃える。
〈加速同期〉が高良の重心移動をなぞる。
(遅い。まだ遅い。同期率を上げろ)
『同期率、九一%……九三%。副作用:酔い、頭痛、末端痺れの可能性』
(構わない)
「足掻くなよ……この、弱者がぁ!!!!」
高良が迫る。
踏み込み――逆袈裟斬り。
視える……。
体もさらに軽くなった。
体を逸らす、半歩引く、回転。
背後へ回り、右腕に炎を集中させる。
掌の中で熱が爆ぜ、魔力の圧が皮膚を焦がした。
「――〈フレイムインパクト〉!」
轟音。
空気が歪み、炎が爆発した瞬間、衝撃波が高良の背中を直撃した。
赤い閃光が走り、爆風が木々を薙ぐ。
「ぐっ……あ、がぁッ!」
高良の体が宙を舞う。
背中から地面に叩きつけられ、乾いた音が森に響いた。
砂と焦げた葉が舞い上がり、世界が一瞬、静止する。
届いた。
あの頃、Dで止まり、諦めて、下を向いていた俺の攻撃が――いま、この男を吹き飛ばした。
息が荒い。
腕が痺れている。
胸の奥で、心臓が暴れている。
痛みも熱も、全部が現実だ。
夢でも奇跡でもない。
かつて誰にも届かずに終わった俺が、いまは――高良と、同じ場所で戦っている。
焦げた風が頬を撫でた。
戦場の熱だけが、確かに俺たちを繋いでいる。
「……何を使いやがった」
高良が地面に片手をつきながら、低く唸るように言った。
その目には驚きと、ほんのわずかな焦りが滲んでいる。
「俺のやり方を――やっと、見つけただけだ」
裂いた言葉の先。
高良の顔に、苦い笑みが浮かぶ。
「気に食わねぇ……っ!」
怒りが跳ね上がるのが、皮膚で分かった。
空気の密度が変わる。
『警告:出力上昇。ホストへの致傷確率、三九%に跳ね上がり。〈加速同期〉でも追いつけない可能性があります』
くそ、まだこの上があるってのか……!
次の一撃に備え、魔力を体に巡らせた――その瞬間。
――大地が鳴った。
遠雷のような低い唸りが、足首から背骨へ駆け上がる。
苔むした地面が、わずかに波打った。
木々が軋む。
『異常。ダンジョン基底構造に震動――』
視界の中心。
石畳の裂け目から、眩い白が噴き上がった。
光柱が空を貫き、そこに穴が開く。
黒と白が反転するように、渦を巻いて――黒いゲートが現れた。
「ダンジョンの中に、ゲート……?」
俺と高良の声が重なる。
『解析結果:副次ゲート。通称――二重ダンジョン』
二重ダンジョン。
噂でしか知らなかった。
報酬は桁違い、死ぬ確率も桁違いと聞く。
「こんな試験なんざ、どうでもいい」
高良が笑った。
血の匂いの中で、少年のような目をしていた。
「これをクリアすれば――オレは、もっと強くなれる」
言い終えるより早く、彼はゲートに向かった。
躊躇いが一ミリもない背中。
刃を肩で揺らし、光の中へ跳ぶ。
「おい、高良――!」
伸ばした手は空を掴む。
白い喧噪に彼の影が飲まれていった。
『提案:この場での退避が最適です』
アルゴの声が冷える。
『高良隼人、単騎での生存確率――四・八%。ホストが合流した場合、双方の生存確率は――十二・三%へ上昇。よって、同行は非推奨』
非推奨。
合理的だ。
賢明だ。
正しい。
息を吐く。
肺の奥が擦れる。
掌が汗で滑る。
ここで――見捨てて、俺は探索者になれるのか?
脳裏に、月城玲華の声が蘇る。
もう一度、探索者を目指す気は?
胸の底に、澪の横顔が浮かぶ。
カイの笑顔。
所長の手。
そしてユニークの赤い闇。
あの時、カイを助けに行かなかったら、俺はきっと一生後悔していた。
腹のコアが、低く脈打つ。
心臓と同じテンポで。
『最終確認。生存確率の観点から、退避を――』
「アルゴ」
俺は短く呼ぶ。
「――行くぞ」
決めるのに理由はいらなかった。
『了解。戦闘支援モード、再起動。〈加速同期〉持続時間を短縮し、過負荷を回避』
靴底で地を蹴り、俺は中に踏み込んだ。
重力が反転し、体が宙を滑る。
落ちるのか、昇るのか、分からない空間――
そして世界が、裏返った。




