2.娶らなかったら良かったんじゃない……?
――あの嫁入りの日、わたくしは雪の降る王都に降り立った。
白銀の粉が空から舞い落ちる中、白い馬車が石畳を進んでいった。
祖国の紋章が金糸で刺繍された深紅のマントは、わたくしの身体をすっぽり覆い、付き従う侍女たちは言葉一つ発さずに足並みを揃えていた。
すべてが美しく整えられていた。
けれど、なにもかもが、降りしきる雪よりも冷たかった。
王宮の玉座の間でわたくしを待ち受けていたのは、夫となる男からの暴言だった。
「色彩だけはウィルマに似ているな……。雪のように白い肌、血のように赤い頬と唇。黒檀のような黒い髪……。だが、それだけだ」
ルドルフはわたくしの姿を見るなり、開口一番、こう言った。
ウィルマが誰かなど、聞くまでもなかった。
――亡き前王妃。白雪姫の実母であり、ルドルフが今なお心の中で崇める『理想の女』だ。
その日から、わたくしは王妃となった。
『愛された王妃』ではなく、『愛されていない王妃』としての生活の始まりだった。
前世なら、わたくしは『じゃない方』なんて呼ばれていたかもしれないわ。
わたくしに与えられた第二王妃宮は、豪奢さとは裏腹に、いつもひどく静かで寒々しかった。
晩餐の席にルドルフの姿はなく、ルドルフのために用意された料理は手つかずのまま冷えていった。
当然ながら、夜は一人で眠った。
ルドルフと顔を合わせることさえ、日に日に少なくなっていった。
けれど、わたくしは、自らに課された役目を黙々と果たした。
これは政略結婚だ。
感情ではなく、計算と必要の上に結ばれた婚姻。
わたくしは敗戦寸前の弱国の王女として、父である王や臣下たちにこの国との縁談を取りつけられ、財政や外交を担う駒の一つとしてここに送り込まれた。
テレージアの白い肌、血の色を帯びた頬と唇、黒い髪。
それらが、亡き前王妃ウィルマに似ているという理由で選ばれた。
『この女ならば、あの王と王女の慰めになるかもしれない』なんて思いついたのは、誰だったのだろう。
祖国の人間か、この国の人間か……。
ルドルフ自身が希望して、わたくしを娶ったということはないはずよ。ルドルフはあの態度ですもの。
この国の者たちは、わたくしについて好き勝手に噂した。
『冷たい継母』
『亡き王妃の代用品』
『愛されない女』
わたくしは彼らから見たら、義娘である白雪姫を疎み、愛されない妬みに身を焦がす女だった。
――わたくしは沈黙した。
笑わず、怒らず、ただ粛々と義務をこなした。
社交の場では礼節を保ち、返答は簡潔を心がけた。
政務で扱う文書からは、一切の無駄を削いだ。
常に冷静沈着を貫いた。
誰にも弱みを見せず、誰にも媚びず、誰の期待にも寄り添わなかった。
あの頃のわたくしは、その姿勢こそが孤独を深めていたのだということに、まだ気が付いていなかった。
ルドルフはことあるごとに、わたくしとウィルマを比較した。
「ウィルマはもっと上品だったよ」
「ウィルマならば、決してそんな風には言わなかっただろう」
わたくしの存在は、亡き前王妃の姿をなぞるための、出来の悪い代用品にすぎなかった。
わたくしも、これでも一国の王女だった。
わたくしだって、美しさなら、それなりに備えていたつもりだ。
雪のように白い肌。
血のような赤い頬と唇。
黒檀のように黒い髪。
けれど、それでも……。
どれほど着飾っても、化粧をしてみても、ほほ笑んでみても、どんなに努力をしてみても……。
わたくしはウィルマにはなれなかった。
別人なんですもの、当然よね……。
悪役らしいメイクもドレスも、テレージアがウィルマに寄せようと努力して、やりすぎていたのよ。
今もルドルフの心を占めているのは、白雪姫の実母である、ウィルマの面影だけだった。
わたくしは、ルドルフにとって常に『ウィルマとの比較の対象』でしかない。
「……君は、本当に冷たい女だな。ウィルマは、もっと柔らかな笑みを浮かべていたよ」
気高く、美しく、完璧だったというウィルマ。
わたくしはルドルフの中で、いつもウィルマに劣っていた。
冷たく、醜く、ルドルフの愛に値しない女。
それが、わたくし――テレージア。
そして、今では、義娘とさえ比べられるようになっていた。
白雪姫の愛称で国民に親しまれている、ブランカだ。
「ブランカは、母親譲りのやさしい目元が実に愛らしい。……君は、目つきが鋭すぎるな。ああ、君の内面の冷たさが、隠しきれずに滲み出ているのではないか?」
ルドルフの言葉は、いつだって棘を孕んでいた。
無造作に投げつけられるその一言一言が、わたくしの心に見えない傷を刻んでいく。
笑顔も、所作も、何気ない声色までも……。
すべてがウィルマと比べられ、劣っていると告げられる日々。
ルドルフの中で生き続けているウィルマ。
そのウィルマを穢す存在が、このわたくし――テレージアだった。
――だったら、娶らなかったら良かったんじゃない……?
和平とかいろいろあったんだろうけど、テレージアが嫁いで来ても、ルドルフや白雪姫の慰めになんて、まったくなっていないわよね?
ルドルフは苛々しっぱなしだし、テレージアは病んで義娘への憎しみを貯めまくりよ。
誰も幸せになっていないじゃない……。
いくらなんでも、これってどうなの……?
誰かなんとかしようとしなかったのかしら……?
この世界、もはやツッコミどころしかないわ!
物語の筋書なのは知っているけれど、いろいろ酷すぎるわよ!




