20.ブランカの婚約式(下)
その後は、わたくしは他国の使節たちへの対応に追われることになった。
王女の婚約式で、父である先王が醜態を晒す国なんて、侮られても仕方がないわ……。
夜には王家主催の舞踏会を開く予定で、使節の中には明日には帰国の途につく者もいるだろう。
使節が伝書鳩を飛ばしたり、伝令を送るのを止めることは無理よね。
ああ……、どこの国も攻めてこないでくれるといいんだけど……。
王族が揉めていて、内政も混乱していそうな国なんて、『攻めるなら今だ!』と思われてしまうわ。
わたくしが冷酷で強い女王として君臨しているところを見せて、『この女王が治めているなら勝てそうもない』と思わせられたらいいんだけど……。
この世界でも、『女が治めている国』という理由で侮られることってあるのかしら?
いろいろな国があって、いろいろな人間がいるのだから、男尊女卑という考えが存在することもあり得るわよね。そこはもう考えても仕方がないわ。どうにもできない部分ですもの。
とりあえず、舞踏会には『白雪姫の継母』らしい悪役メイクとドレスで出たらいいのかしら……? わたくしの冷酷で恐ろしい姿といったら、『白雪姫の継母』の姿よね……。
炙り出しには使えそうだわ。恐ろしい姿で引く程度の相手なのか、こんな子供騙しの対応しかできないと思って侮ってくるのか……。
なんだか……、侮って攻めてくる相手を返り討ちにして、領土を増やすっていうのも良いかなー……、なんて思えてきたわ……。
今は内政を充実させたいと思っていたけれど、相手が高笑いしながら調子に乗って攻めてきてくれるなら……。
わぁ……、楽に勝てそうだわぁ……!
――って、ダメダメ!
もうっ、ルドルフったら、なんてことをしてくれるのよ!
ルドルフと騎士団長たちに対する調査は、筆頭公爵に任せてある。
筆頭公爵家はこの国の最上位貴族で、王家に次ぐ地位にある。一時期は王家と権力闘争をしていたこともあるような家だ。
今の筆頭公爵はあまり権力志向の強い方ではないけれど、せっかく手に入れた『この国で唯一の王女』の婚約者の父という地位を必死になって守るはずよ。
「この婚約は……、本当に……、必要なものなのか?」
なんてルドルフに言われたんですもの。
筆頭公爵は、なんでルドルフが来たのか、騎士団長たちになにがあったのか、きっと鬼の形相で調べてくれるわ。
もしかして、今日の出来事も『運命の強制力』が起こしたのかしら……?
もしも『運命の強制力』のせいなら、騎士団長たちには抗えないわ……。
彼らはわたくしに忠誠を誓ってくれていて、裏切るなんて思えない者たちよ。
この国でなにかが起きているとしか思えないわ……。
その夜、王家主催の舞踏会が佳境を迎えた頃、わたくしはバルコニーに出ていた。
王宮の庭園は、夜の闇に溶け込み、月光に照らされた木々が風に揺れていた。
室内からは、音楽や人々の笑い声が聞こえてくる。
わたくしは、ゆっくりと息を吐いた。
わたくしは元は『白雪姫の継母』だった。
けれど、今では『ブランカのお母さま』よ。
忌み嫌われる存在から、愛して守る者へ。
わたくしは幼いブランカから純粋な愛をもらい、わたくしもまた、ブランカを愛し、ブランカのためにできることをしてきたつもりだった。
けれど……、もうブランカには、わたくしは必要ないのかもしれない……。
そんな思いが、いろいろなことに疲れた心をかすめた。
今のブランカは、良き婚約者がいて、民に祝福されて……。
すでに王女として、誇り高く生きていかれる力があるわ。
もはやブランカは、わたくしに守られなければならない存在ではないのかもしれない。
わたくしはそんなブランカが誇らしかった。
これ以上ないほどに、誇らしかった。
けれど、誇らしさと同時に、どうしようもなく小さな寂しさを感じてしまっていた。
これは、もしかしたら、子供を育てた全ての親が、いつか感じるものなのかもしれない。
子供が自分の手を離れていく、幸福で、少しだけ切ない瞬間――。
それが、わたくしにとって、今なのかもしれない。
「お母さま?」
そんなことを思っていたら、ブランカがわたくしを呼ぶ声がした。
「お母さま、こんなところにいらしたのですね」
ブランカがわたくしの隣に並ぶ。
ブランカはわたくしを笑顔で見上げていた。
ああ、わたくしの自慢の娘は、今日もまるで白百合の花のように気高くて美しいわ。
「どうしたの、ブランカ? 賑やかな場にいるのに疲れてしまった?」
「いいえ、わたくし、お母さまに『ありがとう』を言いたくなったのです」
ブランカは恥ずかしそうに笑うと、そっとわたくしの手を握った。
「わたしがこの日を迎えられたのは、お母さまがいてくださったからです。どんなに言葉を尽くしても……、それでは足りないほど、お母さまに感謝しています」
わたくしの娘が、月明かりの下で、まっすぐにわたくしを見ていた。
「あなたがそう言ってくれるだけで、わたくしは充分だわ」
わたくしはブランカにほほ笑み返した。
ああ、でも、わたくしの声は、少し震えていたかもしれない。
ブランカの手の温もりが、わたくしの心の奥深くまで沁みてくる。
子供はいつか、親元を離れていくけれど、それでも、わたくしはいつまでもブランカの母で、それは変わらない。ブランカの手の温もりは、そんな当たり前のことを、わたくしに教えてくれていた。
わたくしは前世でも子育てなんてしたことがなかった。
特に子離れなんて、よくわからない。
子供は反抗期を経て、成人する頃には、親離れしているという程度の知識しかない。
けれど、それでも、なんとかこれからも、手探りで『ブランカの母親』をやっていくわ。
親子だって人間関係よ。
関係性が変化することだってあるわよね。
わたくしとブランカの距離感が変わったら、その時には、新しい距離感で付き合っていけばいいのよ。
あまり難しく考えすぎないで、これからもブランカと仲良くやっていくわ。
春の風がやさしく吹き抜けていった。
ブランカと二人で並んで眺める夜の庭園では、木の葉が月明かりを浴びながら、さらさらと小さな音を立てて揺れていた。




