20.ブランカの婚約式(中)
出席者たちから拍手が沸き起こり、パイプオルガンの音が高らかに響く。
ブランカはエドモンドと共に、毅然とした足取りで最高位の聖職者の前に行った。
エドモンドがブランカの手を取り、二人は婚約を宣言する。
「我々は、この国と民のため、この婚約を受け入れます」
二人の声が、大聖堂に高らかに響いた。
ルドルフがそんな婚約式の最中に、いきなり大聖堂の扉を開けて入ってきた。
あまりにも唐突な登場だった。
ルドルフは礼装も着ておらず、紋章入りのマントもない。
薄汚れた白いシャツは素肌に羽織っただけ。
下は黒いパンツ……、スラックス……、ええと、たしかトラウザーズという呼び方だった気がするわ。
ルドルフは酔ってでもいるような足取りで、大聖堂の奥へと進んできた。
いきなり登場した先王の姿に、会場の空気が凍りつく。
数日前、わたくしは騎士団長に命じて、ルドルフを迎えに行かせていた。
ルドルフはブランカの父親ですもの。
娘の婚約式に父親を出席さないなんて、それは違うと思ったのよ。
だけど、なかなかルドルフは王宮入りをしなくて、わたくしは王宮に残っている副団長に命じて、三度も騎士に様子を見に行かせた。
その騎士たちも戻らなくて、婚約式が始まる時間になっても、ルドルフも騎士団長も来なかった。
だから、わたくしは、大聖堂を守らせている騎士団員たちに警戒するよう伝えておいたのだ。
今、軍隊のほとんどの兵士と大将軍は、西の魔境に行かせている。
わたくしは王都を守ってもらうために残した将軍の軍隊まで、大聖堂の守りに就かせたというのに……。
ルドルフは王族だけれど、騎士団長や副団長、将軍には、わたくしが権限を与えて、必要とあらばルドルフを阻めるようにしておいた。
それでも、ルドルフはこうして、おかしなタイミングで大聖堂に入ってきた。
騎士団長や副団長や将軍、騎士や兵士たちは無事なの……?
なぜかわからないけれど、誰もルドルフを止められなかったのよね……?
わたくしはいったい誰に頼んで、ルドルフを止めさせたら良かったの……?
なにかがおかしいわ。
わたくしの物語は、わたくしが戴冠してハッピーエンドを迎えたのではなくて!?
「この婚約は……、本当に……、必要なものなのか?」
ルドルフのしわがれた声が響いた瞬間、さざ波のように人々の間に騒めきが広がる。
ルドルフはブランカの方へと、ふらふらと歩を進めた。
「ウィルマ……、ウィルマの代わりには、これまで誰もなれなかった……。だが……、ブランカ、我が娘よ……。君ならば……、ウィルマの魂を受け継ぐ、君ならば……」
「先王陛下、もうおやめください!」
わたくしはルドルフとブランカの間に走り出ていき、ルドルフの言葉を遮った。
ブランカに聞かせたくない言葉を吐かれることは、なんとか止められたみたいね。
ブランカが心配でふり返って見ると、エドモンドの後ろにいるブランカの肩が、かすかに震えていた。
けれど、ブランカの目は、しっかりとルドルフを見つめていた。
わたくしも、またルドルフに目を向ける。
「お父さま……。いいえ、先王陛下……。わたくしは、もう、あなたの娘ではありません……!」
「貴様……! なん……だと……? 今、なんと言ったのだ……!」
ルドルフは唇をわなわなと震わせた。
「先王陛下がずっと見ていたのは、わたくしではなかったではないですか! わたくしは、ウィルマお母さまと似た姿をした存在でしかなかったでしょう! だから、先王陛下はずっと、わたくしの名を呼ぶことさえ、なさいませんでした!」
「それがどうした……! 私は愛するウィルマを失ったのだぞ!」
ルドルフが、ブランカに吠えかかるように言った。
わたくしは『先代宮』に医師団を派遣して、ルドルフの治療に当たらせていたのだけれど……。
医師団長からは、『治療の効果が現れるには、かなりの年月を要する』という説明を受けていた。
だけど、ここまでおかしくなっているとは聞いていなかったわ……。
わたくしは『ルドルフも実の娘の婚約式には出席したいだろう』なんて甘いことを考えないで、誰に非難されようとも、非情な女王に徹して、ルドルフを閉じ込めておくべきだったわ!
「お父さま……、いいえ、先王陛下。お気の毒だと思っています。ですが、わたくしはもう、以前のわたくしとは違うのです。お母さま……、女王陛下が、わたくしの家族になってくださいました。わたくしは、わたくしの『お母さま』と出会ったのです。ようやく、本当の家族を得たのです!」
ブランカが、わたくしの隣に並んだ。
わたくしはブランカを守るために、ブランカを抱きしめる。
この身を盾にしてでも、誰にもブランカを傷つけさせたりしないわ!
ルドルフは、その場に崩れるように膝をついた。
誰もルドルフを助け起こさなかった。
婚約式に列席しているこの国の貴族たちも、警備を担っている騎士たちも、ルドルフに長く仕えていたはずの侍従や侍女たちすらも、沈黙したまま動かない。
ルドルフは膝をついたまま、呆然と床を見つめている。
ルドルフの肩が小刻みに震えていた。
それでも、誰一人として、ルドルフに手を差し伸べようとはしなかった。
この国の者たちはルドルフから視線を逸らし、他国から来た者たちは興味深げにルドルフを見ている。
「なぜ……、なぜだ……、なぜ、こんなことになったのだ……」
ルドルフのかすれた声が、床に向かって吐き出される。
けれど、答える者などいなかった。
わたくしはブランカを抱きしめたまま、ルドルフに告げる。
「先王陛下、もう、これ以上、なにも頑張る必要はないのです。……あなたの父としての役目も、王としての役目も、もうすべて終わったのです。どうか『先代宮』に戻って、ウィルマ様を悼みながら、静かに暮らしていってくださいませ」
ルドルフは、まるで支えを失ったかのように、床に両手を突いた。
そのまま、どれだけの時間がたっただろう。
わたくしには、長いようにも、短いようにも思えた。
ルドルフはよろめきながら立ち上がると、足元をふらつかせながら、大聖堂の扉に向かって歩き出した。
「ウィルマ……。ああ、ウィルマ……。やはり私には、君しかいない……」
最後の言葉は、誰に向けたものかもわからなかった。
ルドルフは背中を丸めて、扉の外へと姿を消した。
重く、鈍い音を立てて、大聖堂の扉が閉まる。
その瞬間、大聖堂にいたすべての人々が、ほぼ同時に深く息を吐いた。
まるで、みんなが長い悪夢からようやく目覚めたかのようだった。
そのまま、大聖堂での婚約式は終わりになった。




