18.いくらなんでも、もう遅い(下)
夏が終わる頃、ついにルドルフは、自ら王位を退いた。
表向きは『政治的失策』と『王侯貴族からの信頼の失墜』が理由とされたが……。
実のところ、みんなが思っていたのだ。
『政務をしない王なんて、もはや不要だ』
と――。
ルドルフには、ウィルマ前王妃の遺品と、ルドルフが選んだ使用人たちと共に、王家所有の城の一つに移ってもらった。
わたくしが文官や貴族たちと意見を出しあって、ルドルフの隠居先を決めたのだ。
ルドルフの新たな住まいとなった城は、王都から少し離れた場所に建っている。
この城には、わたくしが『先代宮』という名前を付けた。
最初は『前王宮』で決まりかけていたのだけれど……。
たとえ『前』と付いていても『王宮』では、誰かの野心を刺激てしまいそうな気がして、わたくしの権限で却下した。
そして、ルドルフの代わりに、わたくしが女王として即位した。
即位と同時に、わたくしは『愛のない結婚』という鎖からも、ようやく解き放たれた。
これはルドルフへの復讐などではなかった。
――当然の結果よ。
民のために働き、信頼を積み重ねてきた者が、一時的に冠を戴いただけのこと。
わたくしが女王を務めるのは、ブランカが王位を継承できる年齢に達するまで。
わたくしは野球でいったら、中継ぎ投手よ。
けれど、今のわたくしは……。
きっと後の世では、ルドルフを王の座から追い落とした簒奪者として語られるでしょうね。
他国から嫁いできた王妃が国を乗っ取ったけれど、若く美しい王女が多くの人に支えられて、悪い王妃を退けて王位に就く。
ありがちな英雄譚よね。
テレージアの祖国からは、褒め言葉が満載の手紙が届いた。
この人たち、今さら、なにを言っているのかしら……?
これまで一度として、テレージアに手を差し伸べなかったじゃないの。
味方の侍女の一人すら寄こさなかったでしょう。
わたくしはその手紙を破り捨てた。
それなのに、祖国は追加で、嬉々として『お祝いの使節団を送ってくる』なんていう手紙まで送ってきた。
いきなり使節団を寄越すなんて、わたくしの傍に間者を置きたいとか、なにか考えがあるに決まっているわ。
わたくしは国境に騎士団を派遣して、祖国の使節団を追い返してやった。
そんなところに騎士団を派遣している場合じゃないんだけど、仕方ないわよね……。
祖国の使節団なんて、歓迎するわけがないじゃないの。
わたくしはただ、ブランカが治める国を、一時的に預かっただけ。
それ以上でも、それ以下でもないわ。
だけど、テレージアの祖国は、そんなこと絶対に理解しないでしょうね。
わたくしにとっては、王位簒奪ルートなんて恐ろしすぎるわ。
本気を出した白雪姫に王位を奪い返されたりしたら、踊り死にエンドが待っているとしか思えないもの。
どこで物語の本筋に戻そうとする『運命の強制力』が働くか、わかったもんじゃないわ!
真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて踊り死ぬなんて、まっぴらごめんなのよ!
拷問エンドを迎えるくらいだったら、わたくしは鏡と一緒に田舎の離宮で静かに暮らすスローライフエンドを選ぶわ!
ルドルフが再びわたくしの前に現れたのは、それから半年ほど後のことだった。
――雪の舞う、静かな夜だった。
ルドルフは、王宮の城門の前にいた。
前の国王陛下なのに、まるでボロ布のような粗末な衣をまとい、膝をついてすすり泣いていた。
なにがどうしたら、こうなるのかしら……?
離宮で静かに隠居していたんじゃなかったの……?
これまでも王宮の中で、ずっと前王妃を悼みながら過ごしてきたじゃない。
これからも、同じように先代宮で過ごしていたらいいでしょう?
心ゆくまで、誰にも邪魔されず、思い出の中のウィルマを愛したら良かったのよ。
「……許してくれ、我が王妃よ……っ! 私には君が必要なんだ……!」
「それはどういう……? まさか『今さら大切なものに気がついた』とかいうお話でしょうか……?」
「ああ、そうだ! その通りだ! 君が私にとって、どれほどかけがえのない存在だったか、ようやく気づいたのだ……!」
かすれたルドルフの声には、かつての王の威厳など、微塵も残っていなかった。
ルドルフは号泣しながら膝立ちになり、わたくしのドレスのスカートに縋りつこうとしている。
――嘘もたいがいになさいませ。
「……ああ、テレージア。やり直そう。もう一度だけチャンスがほしいのだ……! 離宮の食事には、腐った物やカビた物が出てくる! とても耐えられない! テレージア、この有様を見てくれ……! あの使用人どもときたら、この私から、まともな服すら取り上げたのだぞ!」
「……わたくしは、わたくしを侮辱しなかった者たちと生きていきます」
「そんなことを言わないでくれ……! なあ、頼む……! もう一度……! もう一度だけでいいのだ……!」
かつて王とまで呼ばれた男は、地に手をつき、泣き叫んでいた。
哀れな声が、凍える夜気にかき消されていく。
――いくらなんでも、もう遅い。
わたくしに、臣下たちに、民たちに、許してもらえると思える要素など、なに一つないだろう。
「……嫌ですわ」
わたくしはルドルフから目を逸らし、はっきりと言い放った。
怒りでも、憎しみでもない。
ただ、揺るぎない事実として告げたその一言に、ルドルフは崩れ落ちた。
地に伏し、すすり泣くルドルフは、幻を追って王宮まで来た。
わたくしとやり直せるという幻を――。
けれど、その幻には、永遠にルドルフの手が届くことなどないのだ。
わたくしはルドルフをその場に残し、ゆっくりと王宮の門の内側へと戻っていった。
この国には、今では、わたくしを信じ、支えてくれる者たちが大勢いる。
愛しい我が娘ブランカ。
忠誠を誓ってくれた文官や武官たち。
敬意を抱いてくれる民たち。
有事には連携すると約束してくれた貴族たち。
そして、鏡のラルフがいる。
わたくしを常に肯定し、決して見捨てなかった、あの声の主。
わたくしは、これからも自分の足で歩いていく。
誰にも否定されない、わたくしだけの人生を。
堂々と、誇り高く――。
わたくしはさらなる一歩を、夜空から舞い散る雪の中で踏み出した。




