1.拷問死エンドなんですけど!?(下)
わたくしが知っている『白雪姫の継母』は、絵本の中の登場人物だった。
白雪姫も、継母も、王も、誰一人として、名前を持たないキャラクターだった。
けれど、今のわたくしは違う。名前を与えられ、この世界で生きている。
実際にこの世界で、こうして生きているんですもの。名前がないと不便よね。
わたくしはテレージアという名前を持ち、王妃という身分で、食事をし、眠り、様々な感情を抱く存在だ。
白雪姫だって、愛称は『白雪姫』だけれど、ちゃんとブランカという名前がある。
わたくしの夫であり、白雪姫の父であり、王様であるあの男にも、ルドルフという名前がある。
ふと思ったんだけど……。
そういえば、白雪姫の父親って、白雪姫が森に捨てられて七人の小人に拾われたり、美味しそうな林檎で毒殺されかかっている間、なにをやっていたのかしら?
白雪姫の継母が鏡に向かって、病んだ問いかけをくり返していたのも放置していたわよね。
継母の憎しみが娘に向けられても気にならなかったの?
わたくしが覚えていないだけで、なにかやっていたのかしら?
やっていなかったわよね?
白雪姫の父親って変な男だったのかもしれないわ……。
我が子を守る気は一切なかったの?
それとも、物語の都合で空気扱いだったのかしら?
この国の王であるルドルフは、我が子を守る気はないどころか、継母のテレージアが義娘を憎むよう仕向けているわ。
ルドルフも、小説や乙女ゲームなどに転生した場合に働くと言われている『運命の強制力』とかいうもののせいで、『白雪姫の継母を追い詰めるように動かされている』状態なのかしら……?
そうであっても、ルドルフはいろいろ許されないのではなくて?
たとえ童話の世界の王様でも、国王としての社会的責任があるはずよ。
この世界にも、名前や地位や職業などがあるんですもの。
ルドルフは、臣下や民と信頼関係を築いていく立場なのではなくて?
他国から嫁いできた元王女である妻を虐げ、幼い娘を放置している人物に、臣下や民が信頼を寄せるとは思えないわ。
ルドルフが今でも亡き妻だけを愛しているのは、ロマンチックな話なのかもしれない。
だからといって、亡き妻と後妻を比べて暴言を吐いたり、後妻に娘を憎ませて、終いには後妻が娘を殺そうとするのを放置しても良いということにはならないわ!
わたくしに破滅の運命をもたらすのは、間違いなくルドルフの歪んだ心よ。
「この世界が白雪姫の物語の中だったとしても、わたくしが踊りながら死ぬなんて、そんな筋書き、とても受け入れられないわよね」
わたくしは鏡に映る『白雪姫の継母』に向かって語りかけた。
いかにも悪役というメイクをした、まだ若い王妃様。
まわりの者たちを威嚇するような太く黒いアイライン。濃紺にも濃い紫にも見えるアイシャドウを塗りたくり、細い眉毛は元のラインより吊り上がっている。
肌はやたらと白塗りされていて、頬と唇は、血というより青紫色だ。
シンプルなドレスも紫色で、まるでゲームのラスボスが着ているローブのようよ。
「なんでこんな怖そうなメイクをしているの……? ドレスもどこかの魔王のローブみたいだし……。申し訳ないけれど、これじゃあ人に好かれないわ……。わたくしの目から見たって怖いもの……」
わたくしは軽く首を傾げた。テレージアの祖国では、このメイクが普通なのかしら? ドレスも、既婚者は明るく綺麗な色を着てはいけないとかなの?
「この王宮の侍女たちも、こんなメイクではないわ。もっとやさしげなメイクをした方がいいわよ」
郷に入っては郷に従え、という言葉もあるわ。見た目の印象から変えていかないと……。
『王妃殿下……。実は、私も前から同じことを思っていたが……。急にどうしたのだ?』
鏡が戸惑ったように声をかけてきた。
この鏡って、質問の答えを返してくれるだけじゃなかったのね。
「前世を思い出したのよ。わたくしは転生者だったの。……どういう意味かわかる?」
『ああ、輪廻転生とかいうものか? 聞いたことがある。東の方の思想だったような……。あなたは生まれ変わる前を思い出したということか?』
「そうよ」
わからないだろうな、と思いながら言ったんだけど、この鏡はなかなか博識なようね。
『白雪姫』の物語では、鏡は『白雪姫の継母』の質問に馬鹿正直に答えて、白雪姫が殺されかけるきっかけを作っていた。とても『知恵者』とか、そんなポジションではなかったと思うんだけど……。
「鏡も普通に会話できたのね。質問に答える機能だけなのかと思っていたわ」
『機能とは……。私も会話くらいできる。これまで会話したいと思わなかっただけだ』
「そうよね……。わたくしも延々と『美しいか?』と質問するばかりだったしね……」
それは鏡だって、話の膨らませようがないわ……。病みかけた真っ青な顔で、自分の容姿について何度も質問してくる人とは、いくら『魔法の鏡』だって、会話したいなんて思わないわよね……。
『過去の持ち主たちも、私に向かって『俺はやれる! 俺は強い! 絶対に勝てる!』だのと自分を鼓舞したり、『最近、シワが増えたわ……』と目尻を触ってみたり……。ほぼ質問すらされなかった。人間はあまり鏡とは会話しないのだろう』
「……ああ、まあ、そうよね。鏡で自分の顔を見ながら言うことって、そういう内容が多いわよね。鏡とは会話しようとしないわね」
自分の顔を見ながら言いたいことなんて、たしかに普段はないわ……。
『そういうことだ。私で良ければ、これからはもっと気楽に雑談でもしようではないか。あなただって、その方が気が晴れるのではないか?』
「……そうね。ありがとう」
この鏡って、意外と気さくだったのね。
これまでは質問に回答するだけだったのに。
これほど普通に会話できる鏡が、なぜ『白雪姫』の物語では、テレージアを狂わせる返事をしたのかしら……?
テレージアがもっと病んでいって、幼い白雪姫の悪口を何度も言っていたとか……?
聞くに堪えなくて反論した結果が、『白雪姫の方が、より美しい』という回答になるのかしら……?
鏡とは、ある程度は仲良くしておいた方がいいわね。
わたくしは、鏡の返答によって白雪姫を殺害する決意を固める。
そして、返り討ちにあう。
未来のわたくしの死にざまは、言葉にするとちょっと間抜けだし、実際にはひどく残酷だ。
こうして王に虐げられているテレージア王妃にとって、あまりにも救いがなさすぎる結末よ……。
物語はわたくしの運命を指し示す。
白雪姫の継母は、若くて美しい王女に嫉妬し、様々な方法で殺そうとしたと。
心の歪んだ冷酷な女であり、やがて白雪姫に真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて、踊りながら死ぬのだと……。
けれど、その継母にも、もしも傷つく心があったなら?
その心の内に、痛みが、祈りが、そして、義娘への愛があったなら――?
前世の記憶が甦った時、わたくしは気づいたのよ。
あの物語の継母にも、人の心があることに。
――なぜ、わたくしが悪役にならないといけないの?
たとえ、この身が悪役と呼ばれる運命だとしても。
たとえ、世界がわたくしを葬る筋書きを書いていたとしても。
わたくしは、この物語の結末を変えてみせるわ!




