18.いくらなんでも、もう遅い(上)
この国では最近になって、また西の魔境付近の森で、魔物の大量発生が起きていた。
わたくしはその対応に追われ、膨大な報告書と対策案の山に埋もれて、今夜も徹夜になることが確定していた。
そんな中、ノックの音に続いて扉が開かれ、ルドルフが入ってきた。
ルドルフは、すでに夜着に着替えていた。
ルドルフの顔には、かつて見たことのないような疲れが滲み出ていた。
政務など、とうに放棄した人だ。
今回の魔物騒動についても、わたくしは国王であるルドルフに直接相談に赴いた。けれど、ルドルフからは「ウィルマには及ばないまでも、少しはこの国の役に立って見せろ!」などと罵られただけだった。
わたくしは、かなり役に立っていると思いますけど……?
わたくしの目には、もはやルドルフはただ前王妃を悼むという名目で政務から逃れ、ウィルマとの思い出の地を巡ってみたりと、アクティブに楽しい日々を送っているようにしか見えなかった。
そんなルドルフが、なぜ今夜、こんなにも疲れ切った顔をして、わたくしの前に現れたのだろう?
「……君は、本当にブランカを愛していたのだな」
ルドルフは、ようやく言葉を吐き出した。
わたくしはゆっくり書類から顔を上げた。
この国が危機に瀕しているというのに、この男ときたら、またそんな話をしに来たの……?
「遅すぎるわ。気づくには」
「いや……。わかっていた。けれど、君を見るたび、ウィルマの姿が浮かんできて……。私は……」
迷い、逃げ、立ち止まり続けた男の、長い長い言い訳だった。
わたくしは、ルドルフの顔をただ黙って見つめる。
「あなたはずっと、前王妃を愛していたのよね」
この国の状況も。
実の娘すらも。
なに一つとして、目に入らないほどに……。
亡き妻だけを、ただ一途に、狂おしいまでに愛し続けてきた。
それは、もしかしたら、美しくロマンチックな真実の愛なのかもしれない。
けれど、わたくしは今、政務で忙しい。
この国を守らなくてはならないのよ。
そんなわたくしの目には、もはやルドルフの愛を貫く姿は、ただ現実から目を背け、存在しない『理想の女』を言い訳に使っている、弱い男としか映らなかった。
わたくしは政務で疲れていて、ルドルフの亡き前妻への称賛なんて、苛つきすぎて聞いていられないんですけど!
「ああ。私が心から愛しているのは、ウィルマだけだ……。後妻である君には、ウィルマだけを愛するこの私を、もっと理解して支えてほしかったよ」
あのさ、後妻って、そういうものじゃないと思うんだけど……?
自分の都合の良いように、勝手な解釈をしないでほしいわ。
ルドルフが苦しげに浮かべた微笑――。
それが、どれほど哀れであろうとも、わたくしの心は、もはや揺るがない。
ルドルフとは、後妻に対する解釈違いだわ。
哀れみも、怒りも、悲しみも。
ルドルフに対して、わたくしの中にはもう、なに一つ残っていなかった。
「……もう充分に、理解して支えていますわ。わたくしが仕事中なのが、見えないのかしら?」
わたくしが問いかけると、ルドルフはなにも言わず、うつむいたまま背を向けた。
そしてそのまま、ルドルフは重い沈黙を引きずって、執務室の扉の向こうへと消えていった。
わたくしもまた黙って、騎士団を西の魔境に派遣するための書類へのサインを再開した。
騎士団員も人間なので、当然ながら怪我をしたり、精神を病んだりして、戦えなくなることがある。
騎士団員の補充に関する通知書の内容も確認して、問題ないようならば、入団試験を実施してもらわなければならない。
王国軍への志願兵の募集もかけないといけないわね。
すでに王国軍の半分は、西の魔境へと向かわせている。
けれど、王国軍には王都も守ってもらわないといけないし、他国が攻めてきたりした時に応戦するための兵力も必要だ。
隣国に攻め込まれないよう、外交にももっと気を配りたい。
わたくしは、ルドルフの相手をしている場合ではないのよ。




