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1.拷問死エンドなんですけど!?(上)

 ――王の心には、今も亡き前王妃の面影しか存在しない。


 それを痛感したのは、婚礼の夜のこと。


 わたくしは金糸をふんだんに織り込んだ白い夜着に身を包み、寝台に座っていた。


 不安と緊張が入り混じる心を落ち着かせようと、目を閉じ、吐息を数える。


 そうして長いこと待った末、ついに寝室の扉が開かれた。


 入ってきたのは、わたくしの夫となった、この国の王。


 ルドルフ陛下は、細身の身体に紺色のガウンを羽織っていた。


 整った甘い顔立ちをした、素敵な方だ。


 ゴールデンブロンドの髪に、ブルーグレーの瞳。


 ルドルフ陛下は、わたくしを冷たい目で見ていた。


「テレージア王女。誤解のないように言っておくが、私が君を愛することはない。君は……、ウィルマにはなれない……」


 ルドルフ陛下はわたくしを上から下まで眺めると、顔を歪めた。笑おうとしたようにも、泣きそうなようにも見えた。


「君は下品だな……。ウィルマは、そのような……、はしたない夜着は好まなかった」


 ルドルフ陛下はわたくしの心を凍らせるのに充分な言葉だけを残し、わたくしに背を向けて寝室から出ていった。


 ウィルマ――。


 それは、亡き前王妃ヴィルヘルミナ殿下の名の略称だ。


 わたくしがルドルフ陛下と夫婦として共に過ごす、初めての夜。


 わたくしに与えられたのは、愛の言葉でも、やさしい抱擁でもなく……。


 冷たい拒絶だけだった。


 ルドルフ陛下から突きつけられた言葉の数々は、夜が明けてもなお、わたくしの胸の奥深くで疼き続けた――。





 ルドルフ陛下と結婚してから半年以上がたった、ある夜のことだった。


 わたくしは一枚の大きな鏡の前に立っていた。


 楕円形の鏡の縁は銀で作られていて、繊細な模様――蔦が絡まり、花が咲き、数羽の小鳥が羽ばたく――が美しい浮彫りにされている。


 鏡面は滑らかで曇り一つなく、なぜか光沢を帯びているように見える。


 この鏡は、わたくしが嫁入り道具として祖国から持ってきた物だった。


『魔法の鏡』などと呼ばれ、不思議な力を持っていると伝えられている。


「鏡よ、鏡。壁にかかっている鏡。世界で一番美しいのは誰かしら?」


 わたくしの問いかけが、静まり返った秘密の小部屋に響く。


『それはあなたです、王妃殿下』


 鏡は決まって、男の声でこう答える。


 何度訊いても同じ答え。


 鏡から返って来る言葉は変わることなく、常にわたくしへの称賛だった。


 そこにあるのは慰めか、それとも呪いか――。


 鏡に映るわたくしの顔は、どこか虚ろだった。



 雪のように白い肌。


 血のように赤い頬と唇。


 黒檀のように黒い髪。



 それらすべてが、整った顔立ちと相まって、絵画に描かれた女神のように美しい。


 けれど、鏡以外の誰かに「美しい」と言ってもらえた記憶は、あまりにも遠かった。


 ルドルフ陛下や、ルドルフ陛下の臣下たちは、わたくしを『前王妃の代用品』としてしか見ていない。


 舞踏会で顔を合わせる貴婦人たちも、陰でわたくしを『愛されない女』と嘲り笑う。


 民たちも、わたくしを『どうやら冷たい継母らしい』と噂していた。


 けれど、この鏡だけは違う。


 この冷たい王宮の中で、唯一、わたくしを肯定してくれる存在だ。


 だから、わたくしは今日も問いかける。


「鏡よ、鏡。壁にかかっている鏡。世界で一番美しいのは誰かしら?」


『それはあなたです、王妃殿下』


 鏡との間でくり返されるやり取りによって、わたくしの心を覆う霧が、いつものように一時的に晴れるような感覚が訪れた。





 ――この夜、一つだけ、いつもと違ったことがあった。





 霧がすっかり晴れた心の奥から、不思議な光景が浮かび上がってきたのだ。


 土砂降りの雨。


 信号待ちをしていた夜の交差点。


 眩しいヘッドライトの光。


 誰かの悲鳴とブレーキ音。


 スマートフォンが手を離れ、アスファルトの上で跳ねた。


 閉じられた目の奥にあったのは、深く、暗く、どこまでも冷たい闇――。





 わたくしは思い出したのだ。


 自分が日本という国にいたことを。


 あの国の片隅で、どこにでもいる平凡な一人の女として、ごく普通の生活をしていた。


 けれど、交通事故が起きて、わたくしはこの世界に堕ちた。




 ――よりによって、童話の世界に。




 今、この鏡の前に立つわたくしは、王妃であり、後妻であり、継母。


 白雪姫の物語に登場する、あの悪役の継母だった。



 乙女ゲームの悪役令嬢とか、恋愛小説の聖女様や貴族の令嬢とか、他にもっとこう、華やかな転生先があったんじゃない!?


 しかも、白雪姫の継母って……。どうしてそこで白雪姫じゃないの!?


 悪役は悪役でも、悪役令嬢なら、断罪されても修道院や娼館に行かされるとか、幽閉されるとかで済むことが多いよね!?


 白雪姫の継母って、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて、死ぬまで踊らされる拷問死エンドなんですけど!?





 様々な感情が渦を巻く。


 わたくしの夫であり、王であるルドルフからの冷たい言葉。


 白雪姫を憎むようになったこと。


 鏡にすがるようになったこと――。


 すべての理由が、前世の記憶が甦ったことで、ようやく理解できた。





 わたくしが歩んでいる人生は、ただの人生ではなかったのよ。


 ここは、すでに結末が決められている物語の世界。


 わたくしは知らないうちに、悪役の道を歩まされていたのだ。


 もしも、わたくしがこのまま、なにも抗わずに生きていったらどうなるか……。


 わたくしは、やがて美しく成長した白雪姫に毒を盛る。


 けれど、白雪姫を殺すことに失敗し、逆に白雪姫によって殺される。


 ああ、なんて救いのない結末なの……。


 これこそバッドエンドじゃないの!


 ……誰よ!? わたくしをこんなキャラクターに転生させたのは!


 まさかの『白雪姫の継母』だなんて、いったいどれだけ悪趣味なの!?


 もういっそ、スライムとかドラゴンみたいな、モンスターに転生させてくれた方が良かったわ!


 わたくしだって、せっかく転生したんですもの。


 ダンジョンを作ったり、冒険したり、スローライフをしたり……。


 もっと自由に楽しく暮らしたいわよ!





 ああ、でも……。


 もう、こうなってしまっている以上、嘆いていても仕方がないわ……。


 今、考えなければならないのは、ここがどんなバージョンの『白雪姫』の物語なのかということよ。


『白雪姫』の物語にも、いくつかのバリエーションがあったはずよ。


 ミュージカル映画みたいに白雪姫が歌って踊る夢いっぱいのものもあれば、大人向けに残酷な面を強調したダークな雰囲気のものもあったはず……。


 まあ、どれにしたって、わたくしは『白雪姫の継母』。


 嫉妬に狂って義娘を殺そうとし、失敗して……。


 最後には逆に殺されてしまう。


 いろいろな意味で悲惨な人生よ……。


 ここはどちらかといえば、圧倒的にダーク系寄りのように見えるわ。


 なにしろ、すでにルドルフという王は、今の妻であるテレージアを虐げ、白雪姫にも興味がなく、亡き前妻だけを盲目的に愛しているんですもの。


 ああ、なるほどね……。


 わたくしの破滅への道は、あのルドルフによって整えられていくのだわ……。

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