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秘密のアザミ

作者: 水無月

またまたリハビリ作品です。

結構長めになりました。

お楽しみいただければ幸いです。



 わたくしは、幼いころから愛情というものに飢えていた。

 どうしてかはわからない。

 ただ、ある家族を見るたびに胸の内を何かが焦がすような思いをしていた。

 それを羨望だということを、わたくしは知らなかった。







 わたくしの家は公爵家。御祖母様は王家から降嫁されたことにより、わたくしの生まれた公爵家はどの家よりも力を持っていた。

 父は御祖母様の御威光を盾に、好き勝手とまでは言わないが社交界において幅を利かせていた。御祖母様も息子を溺愛していたため、それを止めることはしなかった。

 そんな父の権力や、言っては何だが美貌に目が眩み、結婚したのが母。しかし父は母だけでは満足ができず、外に愛人を作っていた。


 わたくしの記憶にある家族は、常に不機嫌そうな父。そしてその父を詰る母。

 それが幼少期の記憶。

 きっと、最初に生まれたのが女であるわたくしであることもいけなかったのだろう。母は、わたくしの顔を見るたびに扇で顔を隠しながら顔を顰めて、男児であれば、と零していたから。


 幼いころのわたくしは、せめて父母の期待に応えられずとも出来うる限りのことをしようと必死に頑張った。両親の言われるままに家庭教師から教わり、普通(・・)の貴族令嬢を超えるくらいの知識を蓄えていった。

 いつか、褒めてもらえると信じて。

 いつか、わたくしを見てもらえると信じて。


 そういえば、いつだったのだろう。

 わたくしが家族の愛というものを欲するようなったのは。

 貴族というもの、家族間が冷えていることなどよくある話。御祖母様は父を溺愛していたけれど、わたくしのことを愛することはなかった。

 それ(・・)はわたくしの世界では当たり前のことだったのだ。


 そうして思い出すのは、我が家に勤めていた住み込みの庭師の家族だった。

 本来であれば言葉を交わすことも、むしろその存在を認識するはずもない彼ら。だけれど、わたくしはなぜがある時彼らを認識し、知ってしまった。

 彼らと言葉を交わしたことはない。

 けれど、わたくしは貴族令嬢にあるまじき行為だが、彼らの生活をこっそりとみていた。


 彼らは父母、そして男児が二人いた。兄弟は仲が良いと思っていたが、よく喧嘩もしていた。それらなのに、翌日には何事もなかったかのようにしている兄弟を見て、わたくしは不思議に思ったものだ。

 庭師の夫婦は、わたくしが知る両親(・・)とは程遠かった。

 いつも感情を露わにし、子供たちを怒っては笑顔でその頭を撫で、暗くなると兄弟とともに家に帰っていた。外からはわからなかったが、その仮小屋から漏れる光は、わたくしの知る、どの光よりも優しくて、柔らかく感じられた。

 そして両親の目を盗んで児童向けの物語を読んだ。

 そこにはわたくしの知らない世界があった。そしてそれ(・・)が物語の世界だけの話ではないと、わたくしは知ってしまった。


 とても、とても、羨ましかった。


 そう考えるわたくしは、きっと貴族としては欠陥品なのでしょう。

 それでも、わたくしは両親からいつか愛を、何かを得られると信じて頑張り続けました。




***





「喜べ、結婚相手が決まった」

「―――はい?」

「相手は最近力をつけてきている成り上がりだ。本来であれば私たちのような貴族が相手にする相手ではないが、国内外に伝手を持つあの家と縁繋がりになるのは悪くない」

「…恐れ入ります、発言をお許し下さいますか?」

「仕方ない、聞いてやる。なんだ?」

「わたくしは、公爵家の一人娘だと記憶しております。相手の方が婿入りしてくださるということでしょうか?」

「お前は馬鹿か? なぜ、この公爵家に成り上がりを婿入りさせねばならん? もちろん、分家から正当な血筋を持つものを養子に迎え入れる。お前は黙ってその家に嫁入りし、出来るだけこの家に金銭を入れるようにすればいい」

「…」


 父の言う分家というのは、きっと父が外に作った女から生まれた子だろうことは理解している。本来であれば、絶対に出来ることのないこと。それでも、父はわたくしよりも外につくった女性との子を優先したのだと。きっと、途方もない苦労があるだろうに、それでも父はそれを選んだのだ。


 そしてそれと同時に、そこまでわたくしは鑑みるには値しないのだとも、わかってしまった。


「―――かしこまりました。では、そのように」


 そうしてわたくしは、一度も見たこともない方に嫁ぐことになった。






*****






「おかあさま!! みてみてえ!!」

「あらあら、すごいわね!? わたくしにもできるかしら!?」

「おやめくださいませ、奥様!! 奥様の身体能力ではかないません!!

「危ないから止めないか!! 万が一があれば私の身が持たない!!」


 子供と一緒になって木を登ろうとする貴人に慌てて声をかける。

 公爵家から嫁いだ妻が、このように奔放になると誰が想像しただろうか。

 


 私―――いや、取り繕っても致し方ないだろう。俺の家は、ただの商家からの成り上がりと貴族からは囁かれていた。事実、そうなのだ。たまたま祖父がやっていた仕事の軌道がうまく乗り、父が盤石にし、俺が財産を蓄えた。内に貯めこんでいれば目をつけ兼ねられないと父と相談し、ある程度を国に献上した。それが国に貢献したとのことで陞爵されたのだが、それでも古くから続く貴族のお方々には嫌われた。


 成金貴族、そう呼ばれることに苛立ちを覚えなかったことはない。それならば貴様らが俺らに言われないようにすればいいと内心で何度思ったことか。血筋だけで偉ぶるだけで、稼ぎ方の一つも知らないくせにと心の内で何度も愚痴を零した。

 しかし父はそうは思わなかったらしい。

 これから貴族の世界に仲間入りするのであれば、金にものを言わせてでも貴族の令嬢を俺の妻にしようと考えていた。

 そのことに俺は納得がいっていなかった。

 貴族の令嬢など、生きるために必死になって働く俺らを馬鹿にしていると思っていた。万が一結婚したとしても、愛人やらなんやらでどろどろの生活を送らされるのだろうと。


 しかしやってきた妻は俺が知っている普通(・・)の貴族の令嬢とは少し違っていた。


 ―――『お初にお目にかかります。貴方様の妻となる以上、精一杯頑張らせていただきたく思います』


 正直、成り上がりの俺にそのようなことをいう貴族の令嬢がいるだなんて想像もしていなかった。だから彼女のその言葉も、出まかせだとばかり思っていた。

 初夜を済ませ、長子のために行為を続けていれば子ができた。できた以上、生まれた以上、彼女がこれ以上俺に気を使うこともなく、普通の貴族のように遊び呆けるだろうと本気で思っていた。


 しかし、彼女は違った。

 生まれた我が子を愛し、自らの手で面倒を見た。夜泣きをする子を抱き、目の下によく隈を作りながら嬉しそうに微笑んでいた。

 俺はどうしてなのかわからなかった。貴族というのは我が子すら乳母に任せ、俺たち平民のように愛情を注がないのだと思っていたから。

 そうしてようやく彼女と話してみようと思った。


―――『わたくしは、人には言えませんが我が家に勤めているあるご家庭をとても羨ましいと思っておりましたの。そのお家は、ご夫婦仲がとてもよろしく、ご兄弟も喧嘩しても翌日には何事もなかったかのように過ごしていらして…。貴族の家に生まれたものとしてあるまじきですが、わたくし、とても羨ましいと、思っておりましたの。ですから、旦那様が貴族の方ではないと知って、あのように暮らせるのではないかと思ってしまったのですわ』


 そう言った彼女は、諦めを含んだ笑みを浮かべていた。

 そうしてようやく、俺は彼女が望んで貴族の家に生まれたわけではないことに気づいた。そして、彼女は言葉に出来ていないが、暖かい家族(・・・・・)というものを彼女が欲していることを。

 確かに、彼女は赤子の我が子にどう接していいかわからずに産婆に何度も相談していた。子がいる侍女にも泣き止まない子をどうあやしたらいいのかと、顔色を悪くしながらも相談していた。それらをしっかりとみていれば、彼女が俺の知る貴族の令嬢ではないことは明白だった。


 一度、本当に最低ながらも聞いてしまったことがある。

 どうしてそのようにできるのかと。俺が彼女を大切にしていないことなどわかりきっているはずなのに、それでも彼女は俺を裏切ることなく必死に子を育ててくれた。

 そうして彼女が返したのは。


―――『夫婦仲、というものは簡単に構築できるものではないと教えてもらいましたの。旦那様はわたくしに天使のような我が子を授けてくださいましたし、育てるために手を貸してくださいました。わたくしの両親はお金さえあれば子が育つとお思いでしたわ。確かにお金が必要なのは理解いたします。でも旦那様はほかの女性に目を向けられることもなく、あの子をちゃんと愛してくれていたのをわたくしは知っておりましたので』


 確かに、彼女との人間関係はまともに築いていなかった。だが、彼女が命懸けで産んでくれた我が子を愛おしいと思わないはずもない。産まれた我が子は、髪色こそ妻に似ていたものの、顔立ちは自分にそっくりだと母が言っていたのだ。

 最初こそ母も彼女と距離を取っていたようだが、子が生まれてからはいつの間にか自分よりも親しくなっているように感じたのは気のせいではないだろう。


『わたくしは、家族の愛情が欲しいのです。いつか見た、あの庭師のような家族が…。貴族に嫁いでいれば得られなかったものでしょう。ですが、旦那様となら、築けると…そう思っておりますの』


 微かな期待を瞳に浮かべた彼女を見た瞬間、俺の目は覚めた。

 今まで色眼鏡で見ていた自分を恥じ、彼女…いや、妻に謝罪した。




****




「なぜこうなる!?」


 とある公爵は唾をまき散らしながら叫んでいた。


「で、ですから、以前からご報告をしておりました通りでして…」


 それに対して執事は汗をかきながらも言い募る。


「どうして、我が公爵家に金がなくなっているのだ!?」





 公爵は、気に入らない娘を商人上がりの名ばかりの貴族に嫁がせた。それは、自分が本当に気に入った女の子供を跡継ぎにしたかったからだ。妻は養子とした子やその母親のと自分との関係を知っていたが、今ある生活を手放せるはずもなくただ黙認した。いや、それどころか若い男を囲っている始末だ。

 だからこそ、公爵は自分の愛する人を家に招き入れ、彼女との間に授かった息子を跡継ぎにしようと考えていた。本来であれば後ろ指指されるような行為だが、皆口にしないだけで似たようなことをしているのだろう。母も愛する人を招き入れても何も言わなかったのだから。

 これからが自分の本当の人生だと思っていた。

 

 それなのに。

 気づけば公爵家の財産は目減りした。枯渇こそしていないが、公爵家としてはまったくもってあり得なかった。

 まず最初に、妻と愛する人が競うように散財を始めていた。しかし公爵家ともあれば色々なところから税収がある。早々に枯渇するわけはないだろうとそこまで気にしないでいた。

 しかしある日執事が将来を不安視するような言葉をかけるようになってきた。しかしこの時もしょせん執事の言うこととまともに取り合わなかった。

 きっとこの時に手を打っていれば何とかなったのかもしれない。だが結果として何も行動を起こさなかった。

 

 そうして気づけば、公爵家の収入が驚くほど減っていた。

 やり取りをしている商人はいつからか取引を減少させ、出入りしていた行商人の訪れはいつの間にかなくなっていた。執事によればあの気に入らない娘がいなくなったからだと言う商人もいるらしい。そんなはずがあるわけないというのに。

 減っていく財産とは裏腹に、妻と愛する人の使う金額は大きくなっていく。酷い時は知らぬ間に公爵家のつけにされていた。

 公爵には意味が分からなかった。

 それもこれも娘が嫁いだのが節目のように思えるが、あの娘には一部の仕事をしか任せていないはずだった。あの娘がいなくなっただけでここまで変わるとは誰が想像できようか。それにあの娘が今までの公爵家を支えていたなどと信じられるはずもなかった。



 ある日、ついに先代からの付き合いのあった商人ですら、今後の付き合いを考えたいと言い出してきたのだ。いつものように笑みを浮かべてこそいるが、瞳がいつになく冷たいように感じるのは気のせいだろうか。


「どういうことだ。我が公爵家との取引をどうして取りやめる?」

「―――公爵閣下、我々も色々(・・)とありまして…」

「色々!? 色々だと!? 私がどれほど貴様の商会に利益を生んでやったか、忘れたのか!?」

「それは先代までにございましょう?」


 商人のその言葉に、公爵は一瞬だけ黙った。


「確かに世代交代されたばかりのころは閣下とお取引のお話合いをさせていただきました。ですが、途中からご令嬢が我々と直接やり取りをしていたと記憶しておりますが」

「ふんっ…! あれにも経験をさせたまでのことだ。私がやり取りをしていればもっと利益が出ていただろう」


 公爵の言葉に、商人は一瞬憐みの視線を向けた。そして一度だけ頭を振ると、冷静な声音で話し始める。


「ご令嬢には才能がありました。そのお陰で一時契約をどうするか悩んだ契約を続けた商会は多いでしょう。ですがご令嬢がいなくなった今、泥船に乗ろうとする商人などおりません」

「き、きっさまぁああ!」

「旦那様!!」


 あまりの言葉に公爵は顔を真っ赤にしながら怒鳴る。今にも殴り掛かりそうな勢いだが、執事が必死にそれを止める。貴族が平民を殴ることは罪ではない。だが顔の広い商人に手を出せばそれこそほかの商人たちも一気に引くだろうことを見越しての執事の行動だった。

 その姿を見た商人は話にならないといわんばかりに席を立つ。


「待て!! 話は終わっておらん!! 契約を打ち切ってみろ!! 他の貴族とも契約なんぞできんぞ!!」

「問題ありません。もうとっくに大口の顧客がおりますので」

「…なに?」

「公爵閣下、最後に一つだけ」


 商人は今まであった親しみのある笑みを消し去って心底軽蔑した視線を向けた。


「どうしてご令嬢を他家に嫁がせたのです? 彼女は公爵閣下のたった一人であるはずの跡継ぎでしょう? それに彼女ほど公爵家の為に頑張っている方もいらっしゃられなかったでしょうに…。彼女が一生懸命に頑張るから、我ら商人は絆されていた部分もあったというのに…」

「は…女にそのような才能があってたまるか! それに我が公爵家には跡取りがいる!」


 公爵の言葉は自分の娘を認めないと言うよりも、認めたくないという考えが透けて見えそうであった。しかし商人はそれに言及することはない。


「御子息、ですか…。…… まぁ、ご理解頂けないのであれば結構です。ですが私としても抱える従業員は多く、彼らを守らなくてはなりません。公爵閣下、今まで長らくお世話になりました。」

「ま、待て!!」


 嫌なことはさらに続いた。





「私には坊ちゃまの教育係は出来かねます」


 その言葉を何度聞いただろうか。

 いくら平民として生まれ、育てられたとしても、こう何度も教育係が離職してしまえば噂は広がる。かの家の養子はまともではないと。そのような家と付き合えばろくなことにならないと。

 そのような予定ではなかったと公爵は歯噛みする。自分の本当の子であれば、能力は高いはずだと。


 ―――しかし現実は異なった。


 平民上がりの子は、初めて知る贅沢に溺れた。愛した女はようやくといわんばかりに贅沢を求めた。妻は知らん顔で同じような贅沢品を求める。収入は減っていく一方なのに、支出だけ増える。いくら広大な領地を持つ公爵家といえど、ただでさえ商人との取引が減っているなか賄えるはずがなかった。


「…贅沢品は控えるほかあるまい」


 公爵はそう簡単に口にするが、それに納得する妻や愛人ではない。そのことに烈火のごとく反発した。それを幾度も繰り返し、ようやく公爵は嫁がせた娘が、商人たちの言う通り有能であったのかもしれないと薄々考え直し始める。

 あの娘は、領地の収入と支出をよく理解していた。そのように勝手に育っていった。…認めたくはないが、男であればさぞかし有能な跡取りとなったかもしれない。

 だがそうであれば自分の愛する人は肩身の狭い思いをしなければならず、息子も一緒に暮らすことはなかった。

 だから、と。

 公爵は自分の選択に間違いはないはずだと思い込んだ。そうでなければならないと。むしろ今まで育てた恩をろくに返そうとしない娘に腹を立てた。


「何故、何もない!! 金を送るように言ったはずだ!!」


 手紙では誰に読まれるかわからないため、貴族的な言い回しで無心する。しかしそれに返信するのは成り上がりの夫だった。


―――私のような成り上がりには公爵様のような貴族に手助けできることはなにもありません。


 言い回しこそ娘に教わったのだろう貴族的だが、結果的に支援はしないと記載されていた。


 そうするうちにどんどん公爵家は立ち回らなくなっていく。

 王家の血筋を汲んでいる身として、下手な貴族に金を借りることもできない。王家に頼りたくともどう説明すればいいのか分からず、時間だけが過ぎていく。母を頼りたくとも、年のせいかまともな会話も出来なくなっていた。

 気づけば妻は貴金属を持ち出して実家へ帰り、離縁状だけ送り付けてくる始末だ。愛する人はどうして何も買えないの、どうして誰もお茶会に呼んでくれないのとヒステリック気味に叫ぶ。

 跡を継がせるはずの息子は勉強などろくにできず、自分の我儘が通らなければメイドに暴力を振るう。


 こんなはずではなかったと、公爵は一人頭を抱えた。






「わたくしに、働け、と?」

「そうだ。出戻りのお前にかける金などない。贅沢がしたいなら働くことだ」


 離婚が成立し、実家に戻った元公爵夫人は兄であり当主であるその人の言葉に目を見開いた。


「お兄様!? わたくしはあの男に不義をされた身ですのよ!? どうしてそんなことを…!」

「私が何も知らないと思っているのか? お前も同じように愛人を囲い込んでいただろう」

「そ、れは…だって、寂しくて…!」

「確かに、男児を生まなかったことへの圧はあったことは同情する。だが、どうして次を産もうとしなかった?」

「嫌よ!! あんなに辛かったのよ!! なのに産んだ子が女でどれだけ責められたか…!!」


 元公爵夫人は難産だった。幾日にも渡る激痛は言葉にはできない。兄には子を産むことが出来ないからそう簡単に言うのだと思った。


「だが、貴族として生まれ、その恩恵を享受した以上、対価でもあるだろう」

「お兄様はあの痛みを知らないからそう言えるのよ!! それにあの男は私と結婚してから真実の愛とやらを見つけたのよ!? そんな男と二人も子供を作るなんて…!!」


 元公爵夫人とて、最初から公爵のことを嫌っていたわけではない。むしろ顔もよく家柄のよい公爵と縁付くために他の令嬢を蹴落としたりもした。そうして彼と結婚した時、これで自分の将来は安泰し、誰もが羨む生活を送るのだと胸を高鳴らせた。

 しかし蓋を開ければ、夫はただただ冷たい。

 それでも結婚したのだからいつかは情が生まれるはずと信じたというのに、彼は他所の女に何度も手を出した。

 それを知った時、元公爵夫人は憤怒した。自分という妻がいるにも関わらず、と。今まであった好意は一瞬で憎悪へと変わった。それでも貴族の義務だからと我慢して床を共にし、ようやく妊娠したと思えば生まれたのが女児でそれを責められる。

 その瞬間、元公爵夫人の心は折れた。


「……確かに、あの男との縁談を決めた父上が悪い。だが、腹を痛めて産んだ子を厭うことはなかっただろう?」

「はぁ? 厭ってなんていないわ! 存在自体が許せないだけよ!! あの子がせめて男であったら、わたくしだってこんなことには…!!」


 元公爵夫人の言葉に、夫人の兄は理解できないとばかりに妹を睨みつけた。


「生まれた子に何の罪があるというんだ? あの子だって好きで女に生まれたわけでもあるまいに。…ともかく、お前の散財には付き合えない。私にも愛する妻と子がいるし、守るべき民がいる。お前のその散財は、そのどれかに利益を齎すのか?」

「もしかしたら高位の貴族の目にとまるかもしれないじゃない!」

「…おい、お前は自分をいくつだと思っているんだ? 経産婦とはとはいえ、いい年をしているんだぞ? いつまで若いままでいるつもりだ?」

「何言っているの!? 社交界にさえ出ればたくさんの声がかかるわ!!」


 その瞬間、兄は憐れむように妹を見た。


「それは、お前の持っていた金にだろう? 現に今、社交界に誘うやつも、お前を娶ろうというやつはいないじゃないか」

「そんなわけっ…!!」

「じゃあ最後に茶会に誘われたのはいつだ?」

「えっ…?」


 そうして思い起こせば、ここ最近舞踏会どころか茶会に誘われた記憶がない。かつての友人からも、自分をちやほやしてくれていたはずの人たちからも、誰からも手紙ひとつ送られてきていない事実を思い出した。公爵家にいた愛人は一緒に行くとよくない、あとで追いかけるといってから音沙汰がない。

 たくさんの疑問符を頭に浮かべているとき、ふと鏡が元夫人の目に入った。元夫人は絶世の美女ではない。だが不美人でもなかった。笑みを浮かべた際にえくぼが愛らしいと評判だったはずなのに。


「う…そ…」


 不意に目に張った鏡に、かつての自分の面影はない。肌は粉をはたきすぎて粉っぽく、目じりの皴に層をなしている。頬も張りがなく垂れ下がり、そのせいで口角が下がり偏屈そうな印象を持たせていた。


「あ、あぁ…」

「ようやく気付いたのか。卑屈に不幸ばかり嘆いていればそうもなる。今のお前を、誰が欲するかというところだな」

「いやぁああっ!!」


 結局、元公爵夫人は自身の崩れ去った顔を直視できず、日がな暗い部屋に閉じこもってしまう。彼女の兄はそんな妹を労わることなく最低限の世話だけするようにとメイドをつけた。

 妹の娘と直接会話をしたことはない。ただ、彼女の噂はよく耳にしていたのだ。幼いころから非常に優れたとても良いご令嬢だと専らの噂だった。本来なれば妹や義理の弟がそれを自慢に思うこそあれど、それを疎ましく思っていると知った時の感情は言葉にし尽くしがたい。あの時ほど妹や義弟が人ではなく欲望のままに生きる獣のように思えたのだ。


「それにしても公爵もやりすぎたな」


 王家の姫が降嫁しているからと言って、その権力に胡坐をかきすぎた。前公爵夫人も王家の姫として甘やかされて育ち、息子の教育をろくにしないでただただ甘やかすだけだった。亡き先代公爵も浮かばれぬ。彼は息子を必死に教育しようとしていたのを聞いたことがある分、余計に。

 結果かの公爵は資金繰りが上手くいかず困窮に瀕しているらしい。しかし王家も嫁いだ姫を助けるつもりもないのだろう。なんせ権力を好き勝手に振りかざしていたのだから。彼らにとっても目の上のたん瘤的な存在であっただろう。


 今、姪はいい人と巡り合い、幸せに暮らしていると聞く。思ったよりもお転婆で、家族を騒がしているらしい。楽しそうにしていると人づてに聞いて、伯父である兄は少しだけほっとした。

 親族として彼女には何もしてやらなかった罪悪感はある。しかし妹は他家に嫁ぎ、自分は自分の家庭を守らなくてはならなかった。


「―――幸せになれ」


 きっとこれから先も、自分が彼女と関わることはないだろうと思う。しかし彼女の幸せを祈るぐらいはしてもいいだろうと心の中で呟いた。





*****





「あら、お父様? 如何されたの?」

「お、まえっ…」


 久しぶりに見たお父様に、わたくしはこんなひとだったかしらと小首を傾げた。

 幼いころの父は、いつも大きくて傲慢で、強そうな印象があった。しかし今はどうだろうか。

 肩と背筋は丸まり、頭もだいぶ薄くなっている。それに疲労のせいなのだろうか、肌艶は悪く物語に出てくる悪魔のような風貌ですらあった。

 彼が父だと気づいたのも、ひとえに夫が義父が来ているようだと声を掛けてくれたからだ。そうでなければ気づくことはなかっただろう。


「貴様!! 今の今まで何をしている!? 実家に送金することくらいできないのか、役立たずめ!」


 お父様は恐ろしい形相で怒鳴ってくるけれど、わたくしが思うのは愛する我が子がここにいなくてよかったと思うだけだった。こんな恐ろしいものを見てしまったら悪夢を見てしまうわ。


「そんな…お手紙にも書いたと思いますけれど、わたくしが公爵家にできることなんて何もないですわ」

「育ててもらった恩すらも返せんとは…犬にも劣るぞ!」

「公爵殿、それは言い過ぎです」


 お父様の暴言に夫がすかさず反論する。わたくしとしてはいつもの事だったけれど、夫と知り合ってからは今までは普通ではなかったのだと知った。


「はっ、成金風情に何が分かる」

「成金で結構です。…ですが、私が何も知らないとお思いですか?」

「なんだと?」


 夫は今まで見たこともないくらい厳しい目をしていた。やはり子供がこの場にいなくてよかった。こんな姿は見せたくないわ。


「公爵家の事業が上手くいっていないことも、愛人と元奥方の散財も、ご子息の教育が上手くいっていないことも我々のせいではない、という事です」

「なっ…なぜそれを」

「成金ということはそれだけばらまける何かがあるということです」

「くそっ…まぁいい、お前の妻の父だぞ。本来なら何かしら援助があるべきではないのか?」


 お父様は貴族らしからぬ下卑た笑みをしている。本当に今までどうやって外面を保ってきたのかしら?そんなお父様に夫はゆるりと笑みを浮かべる。


「公爵殿は婚約する際の書面に目を通していなかったご様子ですね」

「?」


 あぁ、そういえばそのような書類があったとわたくしは記憶を探る。お父様はわたくしを高く売りつけようとしていた。夫もそれを理解していたのか、ある書面を用意していたのだ。


「成金貴族に青き血の貴族の娘が嫁げるのであるから、それ相応の対価が必要だと、そうおっしゃいましたよね?」

「…あぁ」

「随分と法外な金額でしたね。ですから、私は書面に文言を付け加えてのです。家同士の金銭のやり取りは婚姻の際の一度だけ、と。それ以降妻は公爵家とは縁を切り、我が家と一員として扱うと」

「なぁ!? そんなもの知らないぞ!?」

「そんなはずはありません。公爵の直筆のサインもありますから」


 そういって夫はある書類を見せる。


「ちなみにこれを破っても意味はありませんよ? 既に然るべき機関に正式な書類と認められていますから」

「そ、そんなもの無効だ!! 義理の父が困っているいうのに、助けようという気持ちはないのか!?」

「ありません。貴方は実の娘を出来るだけ高く売ったのでしょう? 私はそれを買った。もし婚姻後も交流があれば多少の情はあったのかもしれませんが、貴方が送る手紙にはいつも金の無心ばかり。娘や孫のことを一度も書いたことが無い」

「それが貴族というものだ」

「笑わせないでください。愛人との子を正式な跡継ぎにしたくて娘を売ったくせに」

「このっ…言わせておけば…!! 私を誰だと思っている!!」


 冷静な夫と怒鳴る父を見て、このままでは収集がつきそうにないわとわたくしは思い、激高している夫の腕をそっと握った。ハッとした夫は少しだけばつが悪そうにしている。


「お父様、わたくしはすでに公爵家ではありませんの。お父様の言う成金貴族の一員ですわ。事業のお手伝いをしてお金を稼いでいますのよ? でも、お父様はそういったことがお嫌いでしょう?」

「そういう問題ではない! 公爵家が危ないのだぞ!? 貴様は育った家がどうなってもいいというのか!?」


 お父様の言葉にわたくしは不思議に思い、小首を傾げながら感情をそのまま口にした。


「えぇ、それはもちろん」

「…は?」

「だって、わたくしもう公爵家の人間ではないのですもの」

「お、まえ、なにを」

「だって、お父様もお母様も御祖母様も、だぁれもわたくしを公爵家の娘として愛してくれなかったですし、だぁれもわたくしのことなんてどうでもよかったでしょう? それなのにどうして家を助けるなんて思ったのですか?」

「お前の、生家だぞ?」

「確かにそうですけれど…でも書類にサインされたのはお父様じゃありませんか」


 そう。わたくしが渡す書類をお父様はいつも流し見しかしなかった。それを知って(・・・・・・)いたからこそ(・・・・・・)、あの書類を渡したのだけれど。


「公爵、もうお帰り下さい。私たちに出来ることはありません」

「っ…」


 お父様はぎりぎりと歯を鳴らしていた。今にもわたくしたちを襲いそうなほど恐ろしい表情だわ。でもお父様の事ですもの。絶対にわたくしたちに頭を下げて頼むことなんてしない。


「大丈夫ですわ、お父様。いつも仰っていたではありませんの、わたくしなんかより自分の方が商才があると。お父様ならきっと公爵家を建て直せますわ」


 そう言って夫の言う綺麗な笑みを浮かべて見せた。




 わたくしは心にもないことをいう。

 だって、絶対に無理だもの。

 かつての公爵家に出入りしていた行商人や商人はわたくしを通じて今の家と取引を始めた。夫は働くことやお金を稼ぐことに理解があるため、それぞれの利益がしっかりと出るように取引をしてくれる。

 一部の貴族は商人たちの利益など考えずに契約をするせいで、泣きを見る商人もいるのだ。公爵家は高位のためそこまで酷くはないが商人たちを軽視していたのは彼らにもわかっていたのだろう。

 その中で幼いわたくしが一生懸命利益を考えて行動していれば、彼らがわたくしの力になってくれるようになるなんて火を見るより明らか。

 公爵家の領民にもひっそりと噂を流した。公爵家が困窮し始めていると。いつかは税収を上げられるだろうとも。そうすれば一部の領民は他領に移った。もちろん、他領の貴族との話し合いは付けてある。

 公爵家は緩やかに衰退するだろう。


 馬鹿なお父様とお母様。

 お母様も生家に戻ったとは聞いているけれど、権力とお金が大好きなあの人の事だから伯父様にこっ酷くやられているだろう。きっとこの先社交界に出てくることはあるまい。まぁあのまま公爵家に残ってもろくな人生にはならなかっただろうけれど。


 お父様の愛人も高望みをしなければ、幸せに暮らせただろうに。

 正妻を追い出して自分が公爵夫人になったと思っているのだろうが、貴族社会はそんな甘いものではない。そもそも後妻になる手続きをしていないことに気付いているのだろうか?

 いきなり貴族の社会に連れてこられた義弟もかわいそうに。彼が貴族として世に出ることはないだろう。家庭教師だった人からも連絡が来ており、義弟が真っ当な貴族として表に出てくることはないだろうと言っていた。中途半端に贅沢を覚えた彼は、きっとこの先碌な人生を歩めまい。


 だが、それらに手助けする気など、死んでもない。


 誰もがわたくしを悪意のないただの貴族の令嬢だと思っている。だが、愛を欲して得られず、孤独に過ごした幼い日々はわたくしを大人にし、そしてどこか壊してしまった。

 壊れたわたくしが治ることは一生ないのかもしれない。

 それでも愛する夫と子供がいるこの生活があるおかげで、無害(・・)な女を装うことができる。彼らやあの子の為ならば何だってしよう。

 ―――それこそ自分の生家を潰したっていい。


 もう二度と、あの家に戻るつもりも助けるつもりもない。

 わたくしを大切にしなかったのに、どうして大切にしてもらおうなんて考えたのか理解ができない。貴

 族であればと父は言うが、それでも限度はあるだろう。

 まぁ、生粋の貴族である父母にはそういったことは理解できないのかもしれないが。


 でも、わたくしはあの親子を知ったことを後悔していない。いうなれば今でもあのような家族を築きたいと思っている。

 嫌いでも好きでもない父が唯一わたくしにしてくれた縁。それを言葉通りに大切にしていこう。


 わたくしが手を下すことはない。

 勝手に自滅していればいいのよ。




「どうぞご健勝で」


 わたくしは今までの恨みや復讐を覆い隠して、きれいな笑みを浮かべるのだ。




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― 新着の感想 ―
どうやら主人公の実家の公爵家は没落しそうですが、彼女が憧れた庭師夫婦(と息子達)は救ってあげて欲しいなと思いました。 義弟(異母弟)は、大怪我をして記憶喪失になるか異世界からの転生者に体を乗っ取られな…
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