【第九話】魔導資源会議、帝都に開かる
1930年(昭和五年)十一月二十二日 東京・帝国議会別館第二会議棟
午前九時。小雨。どこか火薬と墨の混じったような、湿り気を帯びた冬の匂いが議事堂の回廊を這っていた。
その日、帝都の中心部にある帝国議会別館──ふだんは外務・内務関係の審議が行われる第二会議棟に、異例の顔ぶれが集結していた。
陸軍・海軍・内務省・文部省・帝国大学・東京理科大学・東京帝国電気研究所──
学術、軍事、行政の“知の代表者”たちが、極秘にひとつの会議を開始する。
名称は、「魔導資源活用・理論的転用に関する調整会議」。
通称、「魔導資源会議(通称・理調会)」。
議場の長机には、それぞれの省庁と機関のプレートが並び、中央席には議長代理として内務次官・唐橋惣介が着席していた。
「……会議は非公開、記録も逐語では残さない。出席者各位には機密保持を厳命する」
唐橋の声は静かだが、会場には一種の緊張が満ちていた。
「本日より、帝国政府は“異界事象”を『理の異常構造事象』として公的に認定する。
あわせて、関連技術・資源の軍事転用および国家的優先順位について、横断的な調整機構を設置することが閣議にて承認された」
ざわ……と、机の下で資料の束がめくられる音。
その中には、神崎中尉による最新の調査報告、青燐鉱石反応波形、構文体の再現図、そして外殻体による“投影行動”の記録画像が含まれていた。
先に口を開いたのは、文部省代表の理事官だった。
「我が省の見解としては、異界はすでに“教育・研究”の枠組みを超えた存在であると考える」
「言うなれば、“新しい学問領域”そのものだ」
それに応じるように、帝国大学の土屋教授が手元の資料を掲げた。
「我々は“魔導”という語を用いていますが、これは便宜上の仮称に過ぎません。
その本質は、物理・数学・言語の境界にまたがる“複合的な理論体系”です」
「それは兵器として使えるのか、という話になるだろうな」
海軍軍令部・山本五十六少将が低く呟いた。
会場が静まり返る。
「使える、という前提で陸軍は動いている。我々が“使える”と考える前に、彼らは“使っている”のだ」
「異界構造の“ゼロ領域”では、質量を無視した構造物が存在する。
空母機動部隊の航続距離が倍増すれば、太平洋の覇権構造そのものが崩壊する」
それは、軍人ではなく戦略家としての口調だった。
「海軍の見解としては、理調会の管轄下に“航空兵装開発班”の設置を要望したい」
それに異を唱えたのは、陸軍側の桐原賢蔵中佐である。
「開発班の設置は反対しない。だが、軍事行動の主導権は、地上に展開する我が方にある」
「それは、異界が“地上”のものである限り、だろう」
「異界の入り口が、十勝岳山系にあるという事実は変わらない」
「だが“理”は、重力でも土地でもない。“支配領域”ではなく、“理解領域”で争うべきだ」
不意に割って入ったのは、海軍から出向していた井上成美大佐だった。
彼の声は冷静で、文官よりも学者に近い響きを持っていた。
「現在、帝国が直面しているのは、“力の定義”そのものの変化です。
銃弾より、理論が速く届く時代が始まりました」
その言葉に、会場の一部がざわめいた。
「我々は、“軍人が科学者に追いつく”努力を続けるべきなのです」
「だがそれでは、科学が軍を支配することになる」
「否。我々が恐れるべきは、“科学を理解しないまま命令する者”です」
重く沈黙が落ちる。
「……ならば、我が帝国は何を目指すべきか?」
陸軍省側からの問いに、土屋教授が答えた。
「“理”を所有するのではなく、“理解する力”を積み上げることです」
「青燐鉱石、ゼロ領域、構文体、空間変位──すべては“法則”の異なる文化の産物です。
それを知らずに手にすれば、災厄が訪れるでしょう」
そこに、内務省の唐橋次官が言葉を差し込む。
「情報統制、治安維持、国民への影響。すでに道庁管区で複数の民間人“失踪”が報告されています」
「……今後、“神話”が生まれる。あるいは“宗教”が」
空気が一段と冷たくなる。
「異界は、国家の支配原理そのものを侵食する可能性がある」
「であるがゆえに──」
唐橋は口元を引き締めた。
「本日をもって“理調会”は国家機関に準じた“非常設常置調整会議体”とし、
総責任者は内閣直属の『特命顧問官(仮)』として統一判断を行う」
「その人事は?」
「天皇陛下の裁可を仰ぐ」
その瞬間、誰も口を開けなかった。
異界──それは単なる資源ではなく、“政治体制の天井”を超え始めていた。
同日夕刻 東京・帝国大学・土屋研究室
「……軍の連中は、我々を“道具”としか見ていない気がするな」
佐藤助手がため息混じりに言う。
「道具でいい。いま必要なのは、“正しい道”を測る定規だ」
土屋教授は、硝子管のなかで微かに発光する青燐鉱石の結晶体を見つめていた。
「理は、従わぬ者には滅びをもたらす。だが、聞こうとする者には応える」
「……まるで、命のようですね」
土屋は笑う。
「命などという安易な言葉にするには、まだ早すぎる。
だが、そうだな──“向こう”には、まだ何かがある」
それは、新たな戦線の始まりだった。
兵器でも、鉱石でもない。“知”をめぐる見えない戦場。
人類が、国家が、
“理”に試される時が来ていた。