【第二話】 帝都、胎動す──暗闘と覚醒
昭和五年九月初旬。東京・霞ヶ関の地下では、帝国陸軍と海軍、外務省、内務省、さらには宮内省の関係者たちが、十勝岳に出現した“異界構造”に関する初動会議を水面下で進めていた。
正式な報道は未だ伏せられたままだったが、すでに関係機関の間では“特異災害”としての認識が共有されていた。その特異性とは、空間の異常、未知の発光鉱石、そして存在が確認された“非人類型生命体”──それらは従来の軍事理論や科学技術の想定を遥かに超えていた。
市ヶ谷の陸軍省第三会議室。
「……本件は第零特別調査部隊の設立をもって、帝国陸軍直轄とするべきだと考えます」
そう提案したのは、陸軍大学校出身の戦術参謀・桐原賢蔵中佐であった。彼は陸軍技術本部と帝国大学の双方と深い連携を持ち、従来より科学技術の軍事応用に強い関心を抱いていた。
これに対し、海軍軍令部から出席していた山本五十六少将が静かに反論する。
「陸上で発見されたとはいえ、あれほどの現象が局所に留まる保証はない。青燐鉱石と呼ばれる発光鉱物は、磁場干渉を起こす可能性があると技術将校から報告を受けている。海軍としても協力は惜しまないが、一元的な陸軍主導は時期尚早では?」
「それは……帝国海軍として、統合運用を希望するということですか?」
「無論。呉工廠、横須賀航空隊、帝国大学附属研究所の人的資源を結集すれば、より迅速に全容把握が可能になる」
議場に微かな緊張が走る。陸軍と海軍の思惑が交錯するなか、宮内省より参席していた情報係官・高辻尚文が口を開いた。
「両軍の立場は理解します。しかし、これはもはや軍事の枠に収まらない“理の転換”に等しい事象です。天皇陛下の御裁可を仰ぐべき重大事項と存じます」
この言葉により、会議の方向性は一変した。事案は単なる軍事調査ではなく、国家全体を巻き込む未曾有の案件と位置付けられたのだ。
その日の夕刻、宮城では侍従武官長経由で、昭和天皇への口頭報告が上がる。天皇は静かに頷き、こう言ったと記録されている。
「人智を超えるものが我が国土に現れたのであれば、それを我が民の益とすべく努めよ。……しかし、慎重を期すこと」
この御言葉により、後の『特別理工資源調査会議』──通称“理調会”の設立が内定することになる。
一方、北海道・旭川では、神崎尚武中尉が新たな命令を受け、現地にて第七師団直属の初動展開部隊を編成していた。隊員には帝大から派遣された地質学者・鈴木博士に加え、機械工学の専門家、元鉱山技術者などが加えられた。
調査報告の中で特に注目されたのは、“異界の空間”が一定周期で“呼吸”のような波動を発しているという点であった。
「まるで空間そのものが生きているようだ」
と、鈴木博士は語った。その“呼吸”に同期して、地磁気が微弱に揺れ、周囲の青燐鉱石が共鳴音を発する。
また、神崎の隊は新たに第二構造層に通じる“階層的下行通路”を発見。深部で観測された新種の鉱石は、電気抵抗がゼロに近い“常温超電導体”の可能性を示していた。これにより、軍部内では“魔導工学”という新たな分野が仮設される。
異界内部での調査は続けられ、神崎たちはさらなる異形構造──螺旋状の柱が浮遊する重力逆転ホールや、球状の空間に無重力が働く“ゼロ領域”と呼ばれる地点などを記録した。
装備の一部は変性し、青燐鉱石に晒された金属片が不自然な伸縮を繰り返すという異常も観測された。この時点で神崎は、これを単なる鉱物資源と見なすには危険すぎると認識していた。
その夜、帝都では財界人や政務官による秘密会合が行われていた。松方財閥、鐘淵化学工業、三菱鉱業の重役たちが顔を揃える中、議題はただ一つ──
「異界資源を、如何にして“帝国の国力”に転化するか」
この会合で立案されたのが、後の『資源戦略試案乙号』であり、そこには“異界領域の封鎖と収奪、及び応用技術の対列強優位的確立”という文言が並んでいた。
一方、横須賀では帝国海軍航空技術研究所にて、青燐鉱石を機体素材に用いた試験機の開発が密かに進行していた。超軽量でありながら磁場耐性が強く、また“微弱な浮力”を示す鉱石断片の特性を活かし、次世代航空母艦への応用が検討された。
「機体そのものを浮かせる発想など、荒唐無稽と笑われるだろうな」
と、山本は呟いた。
その背後で、井上成美大佐は冷静に資料を眺めながら言う。 「しかし山本さん、我々は次の戦争を想定するならば、まず“空の覇権”を確保せねばなりません。異界資源がそれを可能にするのなら、海軍にとっても必然かと」
さらに内務省では、警視庁特別高等課が動き出していた。
旭川や帯広で異界について噂を口にした記者や登山者、住民の一部が、静かに“姿を消す”事案が発生。道庁と憲兵隊の連携で、“火山性ガス異常”という公式説明が厳格に適用され、報道統制が全国規模で布かれ始めていた。
──昭和五年、帝国日本は偶然をもって、禁忌の技術と接触した。
だが、それが“福音”であるのか、“災厄”であるのか──まだ誰にも分かっていなかった。