第七章.再開
地図に記された場所は一箇所のみであった。グラウス・エルデンの立地は二層に分かれている。上級国民と下級国民で生活区域が分かれており、上級国民はみな一段上の地層に住んでいる。
下級国民の生活区域には、木造の貧相な住宅街が連なっていた。赤い屋根の家、乳白色の家など、その屋根の色は様々だった。
人口比率は約四割が下級国民、残りの六割が上級国民と、片方が尖って人口が多かったりするわけではなく、至って均等に分けられているのが、この国の特徴だろう。
政府が置かれているのは上級区域の方で、政財界で活躍する要人も、上級区域に住んでいることが多い。
"ことが多い"と表現したのは、一部の要人や貴族が、下級区域に降りてきては、商売をしたり自身の売名をしたりすることがあるので、一概に要人や貴族が上級区域に住んでいるとは言えないからである。
エマとフローテは、上級国民が集う、グラウス・エルデンの上層に来ていた。
かつての若旦那邸のように、その豪邸の外見は気品すら感じられた。
かつてと同じように、扉を開けた。が───
「来たか」
エマとフローテを迎え入れたのは、歓迎の意を示すメイドなどではなく、厳格な表情で二人を訝しみながら見つめる一人の男だけだった。
「はじめまして」
「はじめまして」
エマとフローテは同時に頭を下げた。
「・・・"あいつ"から話は聞いている。中へ入れ」
そう言われ、二人はそれに従った。すこしフローテが不安の色を顔に浮かべていたが、エマがその表情に気がつくことはなかった。
二人は、長い長い気品のある廊下を歩き、ある一つの部屋に通された。
「あの・・・先ほど仰っていたあいつって・・・」
「リルアのことだ。既にお前たちの情報は全て得ている。嘘を吐こうなどと思うな」
厳格かつ威厳を感じられるその態度に、二人は気圧されたが、丁寧且つ上位者への態度を崩すことなく、変わらず接した。
「わかりました」
エマは礼儀を崩さず、了承した。
「そっちの、桃髪の方か。杖が欲しいんだってな」
「はい」
「条件がある」
「条件・・・」
「まさかタダでやるとでも?」
「いえ、なんなりと」
「いい態度だ」
その上位者は気分が良くなったのか、少しニヤつくと、いいだろう。と口を開いた。
「最近になって商売をし始めたんだが、どうにも物の流通が悪くてな。商人の話によると流通先でゴブリンがうろついていて通ろうにも危ないから遠回りをしているとのことだ。言いたいこと、わかるな?」
「ゴブリンの討伐、ですね」
エマが言うと、上級者は頷く。
「そうだ。ゴブリンの討伐に成功した暁には杖をくれてやろう」
「ありがとうございます」
エマはそう言うと、肯んずる。
「これが地図だ。場所は北東。ゴブリンは弱いが狡猾な魔物だ。せいぜい気をつけろ」
「ご配慮いただきありがとうございます。では」
エマの言葉を合図に、二人は踵を返した。
依頼は、すぐに達成された。
グラウス・エルデンの北東。その近隣の大樹周辺に、ゴブリンは現れた。
以前エマとフローテが共闘したゴブリンとの戦いのように、ゴブリンの親玉がいた
こともなく、単純にゴブリンの集団がいただけだった。
二人はあっさり討伐に成功した。理由は言わずもがな、ゴブリンが弱かった。のもあるのだが、二人が成長したからだ。
誰が見ても見惚れてしまうような連携であっという間に敵を一掃し、流れるように北東から依頼者のいる北西まで帰って来た。
そして。
「よくぞ戻った。俺は誇らしいぞ」
上級者はどこか自慢げにニヤニヤしながら言うと、二人の苦労を讃えた。
「ありがとうございます」
フローテがお礼を言って頭を下げ、エマもそれに倣った。
「約束通り杖は返そう。本当に良くぞゴブリンをやっつけてくれた。これで商人たちも困ることなく、安心して商売が出来るだろう。これで俺らも流通が滞ることがない。ありがとう」
上級者はどこか優しげに、そして微笑むように言うと、エマとフローテはお互いの顔を見合わせたのち、その上級者に頭を下げた。
そして、どこかからか現れたメイド服の少女が、杖を持ってきては、上級者に渡した。
「これが約束の杖だ。なくすなよ」
「はい。ありがとうございます」
エマはそう言い、翡翠色の杖を受け取った。
「では」
エマは踵を返した。フローテ同じようにした、その瞬間。
この豪邸の、美しく綺麗に整えられたその壁を、突き破るような、轟音が、鳴り響いた。
エマたちは、振り返った。元々踵を返していたので、振り返らざるを得なかった。
「・・・!?」
エマは、それを見た。今回の依頼者。基、上級者の、その腹部に、深々と"剣"のようなものが突き刺さっていた。
そして、その轟音の正体とは───
「死んでないよーだ!!ばーか!!」
いたずら顔で微笑み、全身を謎の光が覆っている、白髪の少女。
喜悦の、ユーグリル・デルタ・フェンネルだった。
「き⋯貴っ様あああああっ!!!」
エマの身体が衝動的に動く。それを見計らうかのようにフローテも同様に動いた。
エマが杖を取り出し、構えた。
それに合わせるかの如く喜悦は多量の剣を生成し、白く輝いたその刃をエマたちに向けた。
光の剣はその刀身を輝かせ、それぞれが意志を持ったかの如く、エマたちに牙を向いた。
光の剣はエマが魔法を放つよりも早いモーションを見せ、エマとフローテに降り注いだ。
「・・・!」
しかし、それを待っていたかの如く、二人は杖もなしに空中へと浮かび上がり、それを回避した。そして、地面に勢いよく突き刺さった剣は土煙をあげてゆく。
喜悦はニヤリと口元を歪ませた。
「すごいすごい!じゃあ、こんなのはどうかな?」
空中へ浮かんだエマは土煙の中に、光があることに気がついた。
が、フローテは喜悦の方を向き睨みを利かせていて、気づくそぶりは見られない。
エマは慌てて叫んだ。
「フローテ!!下!!」
「え?」
その瞬間。キラキラと輝く刀身が二人を向く。先ほどの攻撃は囮で、こっちが狙いだったようだ。エマはフローテを助ける暇もなく身を捩る。
途端。エマの頬を、その刀身が掠めていったのを感じた。それだけでなく、何十刀もの剣がこちらを向き輝いていたので、エマは先ほど同様、全て身を捻ったり回転させたりして避けた。
すると、エマの横を通り過ぎた何十もの剣は空中で静止し、回転しては再びエマたちに降り注いだ。
そして。
エマはその全てを回避した。いや、正確には打ち消した。
風魔法の応用で、身の回りに球体型の風を纏い、それで全てを無に帰した。
「わぁ!すごいすごーい!!お姉さんさすがだね!でも」
喜悦は言った。
「そっちのお姉さん、もう死んだよ?」
エマの眉間に皺がよる。そして、風魔法を解除し振り返った。が───。
そこには───
そこには、身体中穴だらけで微かに浮いているフローテの姿があった。
エマの瞳が揺れる。
「あはははは!!死んだ!!死んじゃった!!」
エマの中に、なにか、熱いものが流れてくる。
フローテの身体が力なく落下する。
頭から落下して、生々しい音を立てて地面に転がる。
エマは、過去の邂逅を頭の中で反芻する。
エマが、ひとりぼっちだったエマが、二人になったきっかけ。その軌跡を、脳の中で辿った。
すると、エマの心に、どこか冷たく、そして暖かいなにかが浮かんでくる。同時に、エマの瞳が潤む。
そして、次の瞬間にはもう、叫んでいた。
「貴っ様ああああああああああ!!!!」
エマは振り向き、数多の風を生成する。今までにないほどに大量の、そして高密度の、刃を作り出していた。
過去の修行のように周囲のものを風で揺らさないように配慮する気力も気配もなく、ひたすらエマは魔法を生成した。
土煙が晴れ、フローテの無惨な姿がさらにくっきりと見える。
エマは硬く歯を噛み締める。
ここでこいつを殺さねば、私は一生後悔するだろう。そして、それをする義務がある。エマは自身を無理やり説得させ、頷く。
「殺す」
「へえ?」
そして、エマはそれら全ての風の刃を喜悦に放った。
喜悦は一歩後ずさったあと、空中へ浮き回転する。すると、喜悦を中心に大量の光の剣が現れる。
そして、その光の剣と、エマの放った風の刃の刃先が触れ合い、そして、弾け飛んだ。
「・・・っ」
エマが舌を鳴らす。
「まだまだ行くよー??あはははは!!あはははははははははは!!!!」
そして、エマが次の魔法に切り替えたところで、エマの頭上に、光の刃が現れた。
エマは慌てて後ずさった。
しかし、それを見て楽しむように次々と光の剣を生成する喜悦の攻撃により、エマは一律逃げの一手にまわっていた。
挙げ句の果てには、玄関境目まで下がってしまった。
「・・・っ!」
エマがなりふり構わず風魔法を放ち続ける。エマの額を多量の汗が流れ落ちる。
「さあ、終わりにしよう?」
喜悦のその鋭い言葉に、エマは身震いした。
なぜか。それは、喜悦の魔力が、かつての三人のように、強大に、そして悍ましいほどに膨れ上がったからだ。
「これでぜーんぶ終わり!!幸せだったこの時間も最後!!あぁあ、残念だな」
エマは、なにもせぬまま、ただ、立ち続けていた。
エマの顔が絶望の色に染まる。
だめだ。もう、これ以上は───
そう、思った時。
視界の端で、何かが動いた気がした。
見ると、フローテが無惨にも倒れているだけ。だったのだが。
フローテが、穴だらけの体を必死に動かし、エマに向かって、手を伸ばしていた。
エマの心が熱くなった気がした。
「・・・!!フローテ!!」
叫びながら近寄り、その差し伸べられた手を握る。
「ごめ・・・エ・・・マ」
「フローテ・・・!!」
「ごめ・・・ん、ね?」
フローテの目に涙が浮かぶ。
「ごめ・・・・・・さい・・・」
続ける。
「ごめんなさい・・・」
その瞬間、エマの手を握っていたフローテの手が力強くなった。それと同時に、フローテの身体が青く光る。
大量の魔力がエマの身体に流れ込む。まるで電流のように流れ出したその魔力は、次第に大きくなり、エマの体温を上げていった。
エマの瞳から涙が一雫落ちた。
「さあ!!終わりにしよう!!お姉さん!!」
喜悦が笑みを浮かべる。
喜悦の頭上には、自動車が四台は収まりそうなほど大きな光の剣が生成されていた。
「ええ」エマは続けた。
「終わりにしましょう」
次の瞬間。エマの身体からとんでもなく巨大な魔力の塊が溢れ出す。
「・・・!?」
喜悦は驚愕の表情をするとともに、どこかニヤリとした表情を浮かべる。
エマの周囲には、風に乗って氷の塊が漂っていた。
そして、エマが杖を構えた瞬間。
その風と氷は同時に、一つの塊となって喜悦に刃を向いた。
喜悦の攻撃と負けず劣らずの巨大さを占めたその塊は、どこか美しさと神秘を孕んでいた。
エマは深呼吸する。その脳の片隅には、たった一人の。赤髪の少女がいた。
たった今、エマは決心した。この戦いがどう終わろうと、例え自分の身を滅ぼすことになろうとも、必ず。この化け物。ユーグリル・デルタ・フェンネルを殺す。と。
エマはその巨大で強大な塊を喜悦に向かって放った。
喜悦もそれに合わせて放つ。
二つの、それも強大で末恐ろしいほどの巨大な魔力の塊は、ぶつかり合った。
周囲に衝撃波が走る。崩れ落ちた瓦礫、土煙、全てもろとも吹き飛ばしていった。
エマのマントルがチュニックと共に激しく揺れる。エマは、両手で杖を構えていた。
そして、エマは、押されていた。
だめだ。そうエマは直感した。だめだ。私たちじゃあいつには勝てない。もう足と腕の筋肉ははち切れてしまいそうなほどにボロボロで、もうすでに限界を迎えようとしていた。エマはそれを実感していた。が。
「・・・!!」
それがどうした。エマの脳内にフローテの声が反芻する。『ごめんなさい』その言葉が、脳からしがみついて離れないのだ。
筋肉が悲鳴をあげ、エマに痛みとして危険信号を与えた。が。それすらも気に留めず、エマは、ひたすらに力を込め続けた。
「でりゃああああああああああ!!!!」
「・・・!?」
今度はエマが喜悦の攻撃を押し返し、喜悦が怯む。
エマは、その瞬間を見逃さなかった。
「でああああああああああ!!!!」
全力で魔力を注ぎ込む。例え、魔力が尽きようとも構わない。必ず。仕留める。
「・・・っ私が・・・負けるなんて、あり得・・・」
エマの魔法が喜悦の魔法を包み込む。
「そんな・・・すぐに逃げて・・・だめ、巻き込まれ──────」
そして、輝く光が、一瞬。世界を覆い尽くした。
強大な魔力の塊が弾けて消え去る。その魔力の去り際も、どこか、美しさを兼ね備えていた。
エマは、過呼吸を起こしそうなほどに息を切らし、汗を垂らしながらそこに立っていた。
反対に、喜悦の、ユーグリル・デルタ・フェンネルはというと───
「が・・・ぁあ・・・」
微かな呻き声を上げながら、余った腕で、首を必死に押さえていた。
喜悦は下半身がなかった。光に包まれていたはずの上半身は光を失い、艶やかな肌が露出していた。
エマは膝をつく。心の中で、敵を倒した爽快感と、フローテへの罪悪感と、虚無感が押し寄せてくる。
「く・・・そが・・・!!なんで・・・いつも・・・こうなるの・・・!!」
喜悦が泣き叫ぶ。
「こんな・・・ところで、私・・・はあ!!」
喜悦は身を捩らせて暴れる。
「こんな・・・はずじゃないのに・・・!!」
両手で涙を拭いながら喜悦、少女は、叫ぶ。
「何もかもお前らのせいだ!!お前らの・・・人間の、せいだ!!」
少女の身体はだんだんと崩れゆく。
「私から喜びの時間を奪いやがって!!」
少女は続ける。
「私は・・・ただ、幸せになりたかっただけなのに!!」
エマは立ち上がる。
「私が何をしたって言うんだ!!私は!!私はあ!!」
エマが少女に近寄った。
「私は!!みんなみたいに幸せになりたかった・・・」
少女は続ける。
「お前らに私の人生は壊された!!絶対に呪ってやる!!呪ってや──────」
その言葉が、放たれることはなかった。
ザシュッという効果音と共に、エマの風が喜悦の喉を切り裂いたのだ。
喜悦は力なく首を掴んでいたその手を緩めると、白い光と共に崩れ去った。
そして。
エマは、フローテの側に寄った。
「フローテ・・・ごめんなさい」
涙を浮かべた。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい」
何度も。何度も。何度も何度も。贖罪の気持ちをフローテに告げる。
「ごめ──────」
「うっ・・・」
「え?」
「あ、エマ、もう終わったの?」
「え?」
「う、うん。喜悦は倒したけど、え?」
「なによ。え?って」
「え、生きてるの?」
「え、うん。なんかいろんなところが刺されたみたいで痛いけど致命傷は避けたみたい」
「・・・」
エマが放心する。予想外のフローテの復活に、安堵となぜが腹が立ってくる。
「フローテ」
「ん?」
「回復したら一発殴らせて」
「なんで!?」
そうして、二人の伝説は、始まった。