第一章.魔王軍対策本部
少女、エマは、年季の入った、基、首都ナザリアの、古い街道を歩いていた。カーキ色のマントルを身に羽織り、中には象牙色のチュニックを着ていて、足には薄茶色の短靴を履いており、その容姿は、どことなく旅人を連想させられる。何を隠そう。彼女、エマは、旅人だった。世界を旅し、困っている人々を助ける。それが、エマの本職だった。担当は、"全て"。失踪事件の解決から、魔物の討伐まで、全てを請け負っている。それらを全て解決させるに足る意義は特になかったが、理由は存在した。
魔物を使役し、世界を堕とさんとする魔王を倒すこと。
もっと正確には、
"我が故郷であるサンタローテを滅ぼした"魔王を殺す。それが人々を救う彼女の原動力であり、理由だ。
だが、エマは確信していた。もし今魔王軍と戦ったとしても、勝つどころか、相討ちにまで持っていくことすら不可能である。と。
圧倒的戦力不足。それが哀しい現実だった。
であれば、魔王を倒せる力を手に入れるまでは最低限人助けをするまで。エマはそう捉えた。いつかの師匠がそうしていたように。
エマはそうして、カーキ色のマントルを身に羽織り、世界を旅している。
エマの右手には、一つのドーナツ。薄紙で掴むように持っていて、茶色く、そして齧ったところには卵色が垣間見えた。
それを一口頬張り、また一口。ドーナツ一つを平らげるのに、二分もかからなかった。
茶色く染った木々の葉っぱは秋がかっており、より季節を連想させられた。
力強く伸びきった数多の木々は、光放つ日光に照らされ、幾つもの影を生み出していた。
エマは、街の中央地に限りなく近い宿屋に向かっていた。そこが彼女、エマの、この街での宿舎だった。
「エマさん、お帰りなさい」
受付に立っていた金髪の美しい女性がそういうと、エマは会釈しながら喋った。
「預かってもらっていた鍵、貰っていいですか」
「承りました。こちらになります」
受付の女性は受付の机の下にあっただろう二丸二号室と書かれた鍵を取り出し、机の上に置いた。それを見計らったように、エマは鍵を回収した。
エマの部屋は、狭き小部屋だった。横長の宿舎で、そこに縦長の狭い小部屋を大量に詰め込んだ感じだ。そこの二丸二号室に、エマは泊まっていた。
エマは慣れた手つきで部屋の扉を開け、自室に入った。部屋の扉の内鍵を閉め、短靴を脱いで玄関の仕切りを跨いだ。
「あ、お帰り。⋯って、またドーナツ食べたの?」
「まあね」
声の発生源は、目の前の狭きキッチンからだった。エマの手元には、ドーナツを握っていた薄紙がくしゃくしゃに丸められた状態で握られており、それがドーナツを食べた形跡であることを暗示していた。
エマはいつも通り、軽く言葉を流した。
「食べ過ぎは良くないっていつも言ってるじゃない。それにもうご飯できるよ」
フローテ。それが彼女の名前だ。特にこれといった外見的特徴は無いが、強いて言うなら身長と赤い髪の毛ぐらいだろうか。背は"小柄の女性"という言葉が良く似合う、短身の女の子だ。赤い髪を一つ束にして水玉模様の三角巾を頭に巻いている彼女は、鍋に添えられたお玉杓子の先端を人差し指と親指でちょんと握っており、こちらを、エマの方を向きながら頬を膨らませている。
フローテは、所謂仲間だった。エマが旅をしている最中に出会い、以降は仲間として共に依頼をこなし、衣食住を共にしている。
彼女はどうやら、私、エマと同じ師匠を持っているらしい。
名はマリア。世界トップクラスの魔法を操る魔女。世界を駆け回り、人々を救った。人々は采配の魔女と呼び、彼女を崇めたこともあったそうな。
そんな彼女には、世界各国に弟子がいるらしい。フローテはその内の一人というわけだ。
しかしながら、彼女、マリアは突如行方不明になった。弟子であるエマも、フローテも、所在は分からない。フローテは、我が師匠である、マリアを探すため旅をしている。
性格は、お節介おバカさんと言ったところか。調理はエマが好みな食材や味を選択し、叱る時はしつこく叱る。有難いような有難くないような。エマからはそんな印象だった。
「先風呂入るね」
「早く上がってよね。ご飯冷めちゃうから」
マントルを脱ぎ、その勢いでチュニックも脱いだ。ペールオレンジの美しい肌を露出させる。筋肉が程よくついており、豊満なバストに富んだヒップ。引き締まった肉体美は、その身体能力の高さを物語っていた。下着姿から裸になり、浴室に入った。シャワーを浴びた。いつもだと四十一度だったが、今日は気分で四十度にした。いつもより若干低い温度を感じつつ、体の汚れを洗い流し、風呂を出た。水滴の一つ一つが体を這うように落ちていく。首から胸。胸から下半身。その道筋にすうっと寒気を覚えた。タオルでその道筋を拭き取った。ドライヤーで桃色の髪を乾かして、歯磨きをした。いつもの動きで、マントルとチュニックを洗濯機に入れ、魔法で稼働させる。下着と予備のチュニックのみを着て、小さなリビングへ向かう。
そこには、頬を膨らませ「遅い」と拗ねているフローテの姿があった。
「ごめんごめん」
そう言ってエマは床に座った。フローテの反対側に座り、フローテと対面している形だ。
目の前にはステーキにお米、キャベツや人参を使った野菜スープ。どれもエマには一級品のように見えた。涎が垂れてしまうでは無いか。
「今日は豪華だね」
「報酬金が溜まってるからね。」
「今日は聞かないの?どこ行ってたとか」
「どうせまた子供を助けに行ってたんでしょ?」
「⋯よくわかったね」
「いつものことだけど、急に一人でゴミ処分しに行くとか言い出したからビックリしたよ」
「ごめんごめん」
「まったく⋯子供のことになるとすぐ血の気が走るんだから」
「いいことでしょ」
「はぁ⋯それもそうか」
エマはご馳走様。と手を合わせ、立ち上がり、それと同じタイミングでフローテも手を合わせた。
食器を台所へ運び、エマはマントルで体を覆った。フローテはエマと同じ象牙色のチュニックを着ていたが、マントルは羽織らなかった。
余ったご飯にラップをかけ、
「さて、そろそろ行こうか」とフローテ。
「うん、そうだね」とエマが言った。
数十分もしないうちに、エマとフローテは共に宿舎を出た。目的地は、もう既に決まっていた。
「──────よぉ。久しいな。エマ」
体躯のいい黒髪の逞しい男、ルイスは一言呟いた。男性特有の重低音が響く。が。
「お久しぶりです。で、ルイスさん直々になんの用ですか?本件の依頼は?」とエマは、ドライな態度を示した。
「相変わらず冷たいなぁ。直に話すのは久しぶりなんだからゆっくりしてけよ」
「暇じゃないので」
「はいはい」
ルイスはそういうと、椅子から立ち上がり、机の引き出しを開け何かを取りだした。
「護衛だ」
「護衛⋯?」エマが言った。
「誰のですか?」フローテが続けた。
ここは、魔王軍対策本部。魔女が数々の依頼をこなし、民間人を守る団体。所謂警察のようなもの。"魔王軍"と言ってはいるが、その殆どは人的被害の解決を主としている。魔王軍対策本部は言わばその司令塔である。
エマは、魔女だった。魔女は、最高位の存在。それが世界共通認識。魔道士見習いから魔道士へ。魔道士から魔女見習いに。そこでやっと魔女の試験に望むことが出来る。魔女はその試験を突破した、言わば魔法のプロなのだ。
「とある貴族のな。詳細は書類を見ればわかる。故に詳細は省くが、その貴族の若旦那が何者かに命を狙われているという情報が入った。依頼主は若旦那本人だ。直々にお前らをご所望だ。原因と犯人は現在調査中。護衛期間は1週間。くれぐれも慎重にな。」
「分かりました」
エマはそういうと、貴族について書かれた記文らしきものを受け取った。
頭を下げ、すぐさま立ち去ろうと本部の扉を開いた。エマ同様に頭を下げたフローテを先に外に出し、自分も外に出ようと敷居を跨いだ。
「頑張れよ。天稟の魔女」
エマは、ルイスのその言葉を背景に、扉を閉めた。