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空の旅  作者: ごんたろう
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お坊さんと不安の種




 ザバッと海から顔を上げると、大きな頭が前に居た。

 結構、遠い距離なのに、随分とまあ、大きく見えるもんだ。

 見渡せば、首も胴も手も足もちゃんと付いているようで、海を敷布団のようにして寝ている。

 とてつもなく大きなその怪物は、どうやらお坊さんのようだった。

 青い空と青い海の狭間に寝そべるその姿は、さながら息づく大地のようにも見えた。

 そいつの他には、だあれもいない。

 皆はあんなに恐れていたが、私は意を決して、そいつに話しかけてみた。

 まずは、話すことから始めよう。

 それは、きっと大事なことだから。

「おおい、其処のお坊さん。ちょっと何処か他の場所に行ってください」

 すると、大きな目玉をぐるりと動かし寝ていたお坊さんは此方を注視した。

「ずいぶん手前勝手だが、そいつは何故だ?」

 どうやら言葉が届いたようで私は一安心しながらそれに応えた。

「海の中に居る、月やイワシやサバが、空に戻りたいからです」

 すると、大きなお坊さんはこう答えた。

「戻るんだったら勝手に戻りな。此処は誰のもんでもない」

「みんな、あなたが恐ろしい所為で空に昇れないと言うのです。あなたがみんな食べてしまうから。どうか何処かへ行ってください」

「生憎だがな、俺ぁ、腹が減って動けねえんだ」

「何か、他に食べるものは無いんでしょうか?」

「何にもねえよ。此処には何にもだあれもいない。此処に居るのは俺だけだ。おでんは殆ど食いつくしたし、魚はそれ見て海ん中に潜っちまった。俺ぁ、こんなナリだから、胃もそれなりにでかいんだ。何を食っても足らないし、何を食ってもすぐに腹が減っちまう。終いにゃ、俺ぁ、怪物扱いさ」

 そして如何にもお腹が減ったと言う様に、大きな音がぐうとした。

 お坊さんの肩が動いて、腕の先の大きな手がお腹を押さえる。

「他所へ行けというのなら、何か食えるもんをよこしな」

 口を真一文字に引き結びながら、こちらの返答を待っているのが窺えた。

 私は何か、持っていはしなかっただろうか。

 こぶしを開くと、小さなものが見つかった。

 きのこの種だ。それを見れば赤いきのこに囲まれた時の不安な気持ちがよみがえってくる。

 私はこの、きのこの種を青い海に放らなければいけない。

 ずっと、考えないようにしていたことを思い出してしまった。

 私は一体どうしたらいいのだろう。悩みを抱えた私の手のひらを覗き込んでお坊さんが言った。

「それはなんだ?」

 私はお坊さんが見やすいようにきのこの種を掲げた。

「これは、赤いきのこの種です。このきのこの種を、私が放れば、すぐに、たくさんのきのこがはえるんです。青い海は一面中赤く染まってきのこたちの領土になります。私はそれが恐ろしくてどうしたらいいのかわからないのです」

 思い切って胸のうちを明かした私に、お坊さんは少し考えるとこう言った。

「そうか。それならきのこの種を、俺にくれ。俺の胃はすぐに消化してしまうだろうが、はえたきのこもすぐに増えてしまうなら、きっともう、酷く腹が減りはしないだろう」

 私は迷った。きのこたちは青い海に放れと言った。この大きな大きなお坊さんに、きのこの種を食べさせて良いのだろうか。

 私は、きのこたちが恐ろしかった。

 私は今まできのこの種を握りながらも、不安や恐怖から目をそらすように、海を渡り続けた。 青い海を羊と歩き、青い海で鯖と鰯に出くわした。

 いつでもよかった。

 青い海ならどこでもよかった。

 それなのに私が種を放らなかったのは、種を放った結果どうなるのかが恐かったからだ。

 あたり一面が赤く染まった海を。

 我が物顔できのこたちが闊歩する光景を。

 私は見たくなかった。

 お坊さんの提案は、私が抱えていた不安や恐怖といった問題を解決させ、一筋の光明を見出させるものだった。

 しかし、すぐさま飛びつきたい提案に、私は迷いを抱く。

 青い海に放らなかったという事実を、赤いきのこたちが知れば報復されるかもしれない。

 あんな毒々しい赤色なのだ。毒キノコの可能性もある。

 きのこたちが増えすぎて腹がはち切れるかもしれない。

 そんな不安を、お坊さんに打ち明けた。

 お坊さんは口を大きく開き、大きな声で笑った。いつかの雷雲のように轟いた笑い声に、私の不安は一蹴されてしまう。

「きのこの軍勢が報復に来たら、喜んで俺が食ってやろう。腹が減って死にそうなんだ。毒で死んだとしても満腹になれるなら本望よ。たとえ腹がはち切れたとしてもな」

 お坊さんのそんな言葉に救われて気づけば涙が頬を伝った。

 海の上の怪物がこんな豪気なお坊さんだなんて思わなかった。

 きっとみんな知らないんだろうな。

 私は意を決して、きのこの種をお坊さんの口へと投げ出した。

 大きなお坊さんは、大きな大きなその口で、小さな種を受け取ると、何も言わずにゴクンと呑んだ。

 しばらくしてからお坊さんは、やんわりと満足げに笑った。

「美味くはないが、満足だ。ありがたい。これで酷い空腹とはおさらばだ!」

 お坊さんの大きな声が、海に、空にと響く。

 すると、イワシやサバやひつじ等、みんな海から出て来ては、もうあいつは恐くは無いと喜んだ。

 やせ細っていた月は海から出るとふわふわとしたくらげになった。

 相変らず頼りない姿だが、優しく微笑んでいる。

 みんな空を飛びまわっている。青い海に青い空、境界線はもうどこにも見えない。

 私は空を飛んでいるんだろうか。海に揺蕩って居るのだろうか。

 いつのまにか、大きな大きなお坊さんの後ろから眩い太陽が覗き、かすかに遠雷が聞こえれば、ぱあっと光に照らされて、それらは全部、虹色に輝き見えなくなった。



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