羊の行く先
私はもう、何も解らず、気づけばぽつんと、青い海に立っていた。
しばらく泳ぐ事もせず、ただボーっとして青い海の中にたった一人居たのだった。
変な歌が聞こえる。そう気づいたのは、どれ位時間がたってからだかわからない。
「ひつじは8つ。たくさんいるよ。恐れず行こうよ北東へ。こわくはないさ、きびきび歩け」
だんだんと大きくなるその歌は、後ろの方から聞こえて来て、とうとう私にぶつかった。
振り返れば、今度は羊が行列を作っている。歌のとおりに羊は全部で8つ居た。
なぜ態々ぶつかるのか。ちゃんと前を見ていれば避けることも出来ただろうに。
そうは思っても、もこもこと柔らかい毛に覆われた羊にぶつかったところで、私はちっとも痛くは無かったし、ぶつかった際の暖かさがなんだか胸に沁みるようであった。
私にぶつかった先頭の羊が歌を中断して声を上げる。
「おっと!お前は何者だ?」
小首を傾げた先頭の羊はぶつかった事なんてとんと気にせず、疑念をそのまま口にしたようだ。
私は一体何者なのか、その問いに答えようと口を開き、問いの答えが分からない事に気が付いた。
「おやおや、お前さんもひつじかい?」
答えられずにいる私に2番目の羊が問いかけた。
「お前は只の羊だよ」
自分が何者なのかさっぱり分からなくなってしまった私に3番目の羊が言い切った。
「羊ならば一緒に歩こう」
「お前は一番前がいい」
「北東に向かうんだ」
「さて、誰が一番だろう?」
「皆で歩けばこわくない」
もこもこした8匹のひつじは、みんなメエメエそんな事を言ったかと思うと、私を先頭にして歩きだした。ひつじにおされて私も歩く。
歌に合わせて8つの羊が右に左に体を揺らす。規則正しくイチニのリズム。
「君はどこから来たんだい?」
私は、どこから来たんだろう?
きのこの居た赤い海から?月の居た暗い海から?それとも、霧の中から来たんだろうか。
自分の事だというのに、私は、私がどこから来たのか分からなかった。
分からないと答えれば、羊はそれでもいいと私を誘う。
「一緒に歩こう。北東へ向かうんだ」
特に何か目的があった訳じゃない。向かう先も決めていなかった。
どこから来たのか分からなければ、此処がどこかも分からない。
どこへ行きたいのかも、分からない。
私は、羊達と一緒に北東へと向かった。
「北東には何をしに向かうんでしょうか?」
「さあ?北東はまだまだ遠い」
「そんなことを考えている暇があるなら、とっとと歌え」
問えば叱られて私は羊に合わせて歌を歌う。
「ひつじは8つ。たくさん居るよ。こわくはないさ。恐れずに」
私は何も考えず、羊と歌って一緒に進んだ。
道は幾つもあるようでいて、私たちには目の前に示された唯ひとつの道しか見えない。
砂利道、泥道、獣道。道は様々に色を変えたがただひとつ、まっすぐに延びたそれだけを見ていた。
規則正しくイチニのリズム。ワルツならば楽しいものを、ただまっすぐに進むだけ。
「尻ごむ君は怖いのかい?こわくはないさ北東へ。飛んで狂って突き進め」
終わりは見えず、先は見えず、周囲も見えない。
そんな道だけを見て、只ひたすらに進んでいった。