帰り花は、復讐に咲く
赤道線より遥か北に位置する場所に、ムーンキウヌという帝国があった。
周辺国と比べて決して大国とは言い難いものの、争い事が少ない平和な国として名の知れた場所だ。
季節ごとに寒暖差が激しく、他国にはない独自の生活スタイルを確立させながら、人々が心穏やかに暮らしている。
隣接する国との関係性も良好で、さらには海に面しているためか貿易や異民族の受け入れ、多様な文化の取り入れが活発化しているのも特徴のひとつ。
国を統治している王族の柔軟な考え方によって、帝国は文化の発展を著しく遂げ続けていた。
……今日、という日まで。
「探せ! まだどこかに隠れているはずだ!」
「しかし、今のは先代のギフトでは……」
「いいから、探せ! リオネル新王のお顔に泥を塗るつもりか! 蓮第四王……いや、あいつは、反逆者だぞ!」
「は、はっ!」
穏やかな時間を過ごせる場所は、既にない。
玉座の前に横たわった王族の遺体、その遺体の顔によく似た男性が、兵士たちが慌ただしく立ち去る様子を不穏な笑みを浮かべて見送っている。
「……これで、邪魔者は消えた。後はあいつだけだ」
彼の名は、リオネル・キングハート。
ムーンキウヌ帝国の第三王子であるはずの彼は、そんな気配を微塵も見せないような表情で玉座に座り続けていた。……直前まで家族でもあった、王や王妃、兄弟たちが死に絶えた光景を見ながら。
「あいつ……蓮・アーサー・キングハート!!!」
これは、先王への叛逆をもって国を支配しようとしていた第三王子の話……ではなく、反逆者として追われる身と化した第四王子……蓮・アーサー・キングハートの物語である。
***
あれは、俺がまだ一人旅を始める前のこと。
とても天気の良い昼下がりの時間帯に、とある事件が起こった。
「……は? 何これ」
「なんだと思う〜?」
目の前には、いつも眉間のシワをこれでもかと刻んでいる奴が、とてもにこやかな表情で立っている。
首から下げた真っ赤な宝石の付いたネックレスが、日の光に反射してかなり眩しい。
でも、それが気にならないほど、目の前の奴の態度がおかしいんだ。しかも、何やら青い布を両手で持ってこちらに向かって差し出しているというおまけ付き。
この状況を見て、罠だと思わない方がおかしいだろう。
きっと、あの布の下に爆薬でも入ってるに違いない。こいつは、そういうのを平気でやる。
「わかんねえから聞いてんだけど」
「ふーん……。そっかそっかあ、わからないっと」
「……何、最近の師匠は弟子の自主トレを邪魔すんのが主流なの?」
「ん、なんだ邪魔して良いのか? では、最近開発した爆撃魔法をひとつ「お前一昨日もそれやってこの辺火の海にしただろ、学べ!!」」
「むぅー、最近の弟子は師匠に冷たい」
警戒しながら会話を続けているのが馬鹿馬鹿しくなってきた俺は、今の今まで素振りに使っていた剣を下ろしてこいつ……まあ、一応世話をしてもらってる自覚はあるから呼ぶけど、「師匠」の方へと身体を向けた。
俺よりも身長が高く、ちょっとでも風が吹いたら吹き飛んでしまうほど細っこい身体をしている彼女は、見た目に反してかなり強いんだ。
俺なんか、足元にすら及ばない。
王城から命からがら逃げた俺を保護するなんて、変なやつだろ?
追っ手に怯えながら森の中で立ち往生していたら、偶然通りかかったこいつに出会っていつの間にか数年が経ってたんだ。こいつと居ると、憎しみの感情が馬鹿馬鹿しくなってしまうし……。
本当、変な奴。
「で、その布は何? 売ってこいって?」
「まさか。毎日弟子が修行を頑張ってるからな。プレゼントでもしようと思ったんだ」
「……なんか、悪いモンでも食ったか?」
そうだ、聞いて欲しい。
時間がなくても、聞いて欲しい。
こいつ、料理のセンスがマイナスなんだ。ゼロじゃない、マイナスだ。
火を使えば百%焦がすし、砂糖と塩の違いはもちろん、小麦粉と片栗粉も「砂糖と何が違うんだ?」ときた。多分、こいつの舌に神経は通ってない。
なのに、ちょっと目を離した隙に「今日の晩御飯は私が作った!」となる。
あの味で今までどうやって生きてきたのか、小一時間問い詰めてみたい。
とりあえず、火と包丁だけは使わないで欲しいな。
起きたら目の前が火の海だったなんて、洒落にならないだろ。
そんな奴が、俺にプレゼント?
とち狂ったとしか思えない。また変なキノコ食ったか?
「ははあん、どうやら蓮は私と遊びたいようだな」
「は?」
「良いだろう、良いだろう! 今日は調子が良いから、ちょっと遊んでやろうじゃないか」
「や、やめろ! お前、先週医者から激しい運動は控えろって言われただろ」
「聞いてない」
「俺は聞いた」
「聞いてない!」
「聞いた!」
「聞いてない!!」
と、生産性のない会話が続く中、ジリジリと近寄ってくる師匠は布地を広げていく。
見ると、服か? でも、師匠のサイズではない。ってことは、本当にプレゼント?
いやいや、騙されねえぞ。
以前、戦闘用ブーツをもらったことがあった。
そこまでは良い。靴底がすり減って足首が痛かったから、むしろありがたかった。
でも、問題はそこからだ。
こいつ、料理ができないだけじゃなくて、ファッションセンスもマイナスなんだ。
俺が注意して見てやんねえと、柄×柄という目がチカチカする組み合わせで外に出ようとする。やばいだろ、柄×柄……。
そんなやつが布地のプレゼントとくれば、警戒しない方がおかしい。
絶対爆薬が込められている。
「ったく、お前は。いつまで経っても、懐いてくれないな」
「……え?」
いつの間に近づいてきたのだろう、師匠が目の前まで迫ってきていた。
彼女の影にすっぽり入ってしまった俺は、これが敵だったら一撃でやられていただろうなと恐怖を覚える。
いつもなら、「油断するな」と言って鳩尾に重ための一撃がくるのに、今日に限っては何もない。
驚いて顔を上げると、同時に肩へ違和感を覚える。
急いで視線を落とすと、今の今まで師匠が持っていた青い布地が俺の肩にかけられていた。
見た目より遥かに軽いそれは、触るだけで丈夫さがわかる。これなら戦闘中も気にせず思う存分動けるだろう。……しかし、これはなんだ?
答えにはなっていない。
そうやって疑ってばかりの俺に、師匠が話しかけてくる。
「今日は、お前がうちに来て一年の記念日だよ。私の師匠に貰ったやつをリメイクしてみたんだが……ちょっと大きいが、まあこれからデカくなるだろ」
と、笑いながら話をするんだ。
師匠は、ずるい。
どうして、俺がここに来た日を覚えてるんだ?
どうして、厄介者の俺に「記念日」をくれたんだ?
どうして、そんな楽しそうな視線で俺を見てるんだ?
何もかもが、わからない。
わからないけど、疑っていた自分が恥ずかしいのだけはわかる。
右手に握っていた剣が徐々に消えて無くなる感覚を味わいながらも、俺は下を向いたまま立ち尽くした。
すると、その影が迫ってくる。
ゆっくりと、なのに、俺はそれを拒めない。
「蓮、お前はどこに居ても私の子だよ。いつだって、何があったって」
「……」
「だから、死に物狂いで生きろ。無様でもなんでも良い。私は、それだけの術をお前に教えてある」
「……師匠」
その温かさは、俺の思考を奪い尽くす。
今まで散々罵ってきたはずの言葉は、何一つ思い出せない。なのに、拾われてから今までのことが、走馬灯のように脳裏に思い出される。
魔女に攻撃された傷を丁寧に消毒してくれ、温かいご飯を与えてくれたこと。
ふかふかのベッドに、なぜか不恰好なぬいぐるみが添えられていて……後に、あれは師匠が作った人形だと聞かされて笑ったこと。
傷口が塞がったら、毎日のように剣術や体術を教えてくれたこと。
多少美化されているだろうが、そんな日常が巡り巡っていく。
この温かい感覚は、そうだ。母様に触れた時と、少しだけ似ているような気がする。
「……では、師匠は長生きしてくださいね」
「善処しよう」
俺は、頬に流れる何かを隠すため、余命を言い渡されている師匠の細い身体を抱きしめ返した。
このまま時間が止まれば良いのにと願えば願うほど、貰った青い服の裾が風に揺れ動き、時間を刻む残酷さを見せつけてくる。
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