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聖女、堕ちる


 目の前が怒りで真っ赤に染まっていた。


 自分の中にこれほど強い感情が眠っているとは思ってもみなかった。いつのまにか、自分が思うよりはるかに存在が大きくなっていたのだ。


 あの子の待つ村へ帰りたい。その一心でひたすらに苦しい日々を生き延びてきた。


 大きすぎる力のせいで、神殿ではいつも一人ぼっちだった。

 旅の最中、救えなかった命を何度も責められた。

 皆を守るために力を使えば化け物と謗られた。

 全てが終わればまた会えると、それだけを信じて。


 別に一緒に旅をした仲間に裏切られて命を狙われたっていい、これから先今までの功績が全て無くなってしまっても別に構わない。あの子が生きていて、再び会えるのならセシリアの全ては報われたのに。


「ふざけるな! 約束したのに…、あの時私が従えばあの子が人間であると証明してくれると言ったのに!! 何の力もない人間の子供が魔界に落としたの!?」


 心の底から憎いと思った。獣が獲物に牙を立てるように、セシリアは目の前の男に詰め寄り、その胸倉を掴み上げる。


「そもそも私は聖女なんてやりたくなかった! あの子をダシにして、私を利用して!! お前の方がよっぽど悪魔じゃない!!」


 セシリアの中に渦巻く力のすべてが、その怒りに呼応してどんどんと膨れ上がっていく。溢れ出す力の奔流が金色の粒子としてセシリアの身体から立ち上っていた。


(今すぐ殺してやりたい!)


 初めて抱いたその思いのままに目の前の男を縊り殺してやりたいのに、重たい鉄の首輪と、物々しい手錠のせいでセシリアの力は封じられてしまっていた。今のセシリアには何もすることができない。


「そなたが悪い魔族に騙されていたから救いあげてやったのだろう? その恩も忘れて儂に殺意を抱くとは…、いやはや魔族とは恐ろしいのう。そなたの様な聖女ですら毒されてしまうのだから」

「あの子は魔族なんかじゃない! あの子には何の力もなかった…! 私と触れ合うことができていたのが何よりの証拠じゃない!」


 激高するセシリアにまともにとりあおうともせず、わざとらしく頭を振った神官長は非力な小娘の手を無理矢理引きはがして前へと突き飛ばす。


「やはり手遅れのようだの。聖女セシリアは魔族と通じ、その清らかな魂は既に汚された後だった。民たちにはそう説明しよう。勇者よ、後は任せた」

「はい」


 そう返事をして、勇者は無様に地に臥せったセシリアの美しい黄金色の髪を掴み上げた。感情の欠落した機械のような顔をして、陽光すら吸い込んでしまう≪竜の顎≫へとセシリアを引きずっていく。


 ここへ連れてこられる間に既にセシリアは満身創痍の身だったが、ボサボサの髪の隙間から燃えるような目が神官長を鋭く睨みつけていた。


「許さない」


 死後神の世界に上る権利を捨てたっていい。絶対にこの男だけは許さない。


 勇者ですらもぞくりと背筋が粟立つような気配を醸し出すセシリアを前にして、神官長は怯えるどころか却って我慢できないとばかりに笑み崩れた。


「そうして儂を恨んでどうなる? 殺すか? だが殺してどうなる? そなたの大事な幼馴染はもう帰ってこないのに」

「!」

「もう負けているのだセシリアよ。そなたのような神力が強いだけの娘を散々面倒見てやったというのに、そなたときたら儂に何の恩も返そうとしないどころか儂に成り替わろうとする! これはその報いだ。といっても、大好きな少年と同じ末路を辿らせてやろうとしているのだから感謝せよ」

「お前!」

「勇者よ、早く連れて行かぬか」


(悔しい、悔しい悔しい悔しい! 肝心な時に何もできないなんて!)


 セシリアはされるがままに穴の淵へと引きずられた。


 ≪竜の顎≫は今にもセシリアを飲み込もうと黒々とした大きな口を開けて迫っている。


 逃げなくては、と、心はそう思うのに、足はちっとも言うことを聞いてくれない。あの子を殺したと、そう聞かされてからセシリアの身体はとっくに抵抗を諦めてしまっているのだ。だって、セシリア一人でのうのうと生き延びたってなんの意味もない。


(動け私の足! 最後まで、最後まで生きようとしなくてどうするの!)


 セシリアの心がそう必死で訴えたってどこもピクリとも動かない。


 何もできないまま、セシリアは闇をたたえた縦穴の淵へと立たされていた。


 そうして。


「これも運命だ」


 濁った昏い目がそう囁く。



 あっさりと、本当にあっさりとセシリアは突き落とされた。


 天地がひっくり返って、頭から奈落の底へと飛び込んでいく。

 神官長が言う通りセシリアは何もできないまま、いいように使われたまま負けたのだ。


(こんなものが運命? そんなことあっていいはずがないでしょう)


 運命を決めるのが神ならば、セシリアは今までその神の命令に従ってずっと身を粉にして働いてきたではないか。


 その結果がこれか。


 大切なものは奪われ、残したものは汚され、セシリアの人生には何の意味もなかった。

 許せない、みな、皆許せない。一人残らず殺してやりたい。魂が汚れたって構わない。

 だけど——


 復讐したとて、セシリアの手には何も返ってこない。


 絶望がセシリアの身を支配していた。


(いない…もういない……、あの子が世界にいない!)


 枯れたと思っていた涙がとめどなく両の目から溢れ出す。涙と一緒に使い物にならないこの力さえも全て流れ出してしまえばいい。



 落ちる。深い奈落の底へと。

 身も心も全てが空っぽになってしまった少女の身体が落ちていく。


 落ちて、落ちて、おちて————



 聖女はそうして堕ちた。


完結済みの作品です。

毎日投稿していくのしばらくよろしくお願いいたします。

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