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吉瀬部活の夜遊び

作者: 孔明

大事な人やそのかたちは人それぞれ

「吉瀬部長のどこを好きになったんですか?」

そう訊かれ、吉瀬響子は考える。会社員の夫の吉瀬光一とは、先月籍を入れたばかりだ。


光一より八つほど若いとはいえ、響子も今年で三十七歳になる。明らかに結婚適齢期を過ぎた二人にこの質問が投げかけられるのは当然のことだった。


光一は部下からの人望も厚く今日は部下数人を自宅へ招いて食事を取っていた。光一はどこかぎこちない笑みを貼り付け食後のコーヒーを取りにキッチンへと向かった。響子はそれを横目に軽く微笑み、口を開いた。




 

 光一が響子と出会ったのは十二年前、光一がまだ係長で三十三歳の頃だった。


その日は大きなプレゼンを終えた後で、上司たちに飲みに連れ出された。普段なら絶対に断っているが、勝手に幹事を押し付けられ、来なければ査定に響くと脅し文句をつけられれば、選択肢などないに等しかった。どうやら仕事はできるが愛想がなく人付き合いが悪い後輩をどうにかして連れ出したかったらしい。飲み会は至って普通の飲み会だった。仕事の愚痴や女の好みなど毒にも薬にもならないような他愛のない話をひたすら聞かされた。



 店を出て帰宅しようとしていたところ、上司の一人が二軒目に誘ってきた。先ほど査定に響くと軽く釘を刺してきた同じ部署の次長である。先ほどの飲み会でも、女の好みをしつこく聞いてきた。面倒な人に誘われたものだと光一は喉まで出かかった溜息を必死で堪え、仕方なく次長に付き添った。


 歓楽街の建物の一室で、光一は盛大に溜息を吐いた。まさか娼館とは、先ほどの判断は間違いだったと深い後悔に襲われた。おおかた次長はこのことを上司内の話のネタにでもしたいのだろう。光一も女に興味が無いわけではないが、最近は仕事ばかりでそれどころでは無い。そんな彼に彼女も愛想を尽かし出ていってもう二年になる。今日もプレゼン資料を徹夜で作っていたため、ろくに寝ていない。適当に他愛のない話をして帰ろうと決め、嬢を待つ。


 出てきた女性に、光一は目を見張った。一回りほど若いだろうか、女は美しかった。化粧っ気もなく、思い切り短くした髪から覗く顔からは、しなやかさと清潔な美しさが漂っていた。彼は早くから父を亡くし女手一つで育てられた影響か、歳上の自立した女性が好きだった。どろどろとした感情に自分で折り合いをつけ、それでもなお凛としているような女性。会社にいるような、子ウサギやお人形さんのような女たちにはなにも感じなかったし、会社の人間もなぜあのような女性を好むのか理解ができなかった。


しかし、目の前の女性は一回りほど若い風体だが、その切れ長の目からは凛とした強さが伝わってきた。女はアリスと名乗った。日本美人風の彼女の風貌に似つかわしくない源氏名に娼館に来た気恥ずかしさも忘れて吹き出してしまった。 


彼女は思った通りの強さを持っていた。聞けば中学生の頃に両親が他界しており、叔母の家でいじめを受け育ってきたようだ。高校卒業と共に家を出て上京し、この娼館で働きだしたと言う。源氏名も旧姓の有栖川から取っているらしい。なぜそんなことを初対面の私に話したか訊くと。

「だってお兄さん、私と行為をしにきたわけじゃないでしょ?なら少しでも楽しませないと。そのためなら話せることはなんでも話すよ」と笑いながら言った。

 鳥肌が立った。この子は自分なんかよりよっぽど能力がある。大企業に勤め、出世街道を歩むのに最も必要な能力は仕事ができるかどうかではない。人を見る目だ、いかに上司や役員に気に入られるか、それが一番重要である。その目を彼女は持っている。


 しかし光一はそういったものが嫌いだった。先ほどの次長がいい例だ。当時出世株だった部長に媚びへつらい部下の手柄を自分の手柄のように報告し、次長の座を手に入れた。気がつくと光一は仕事の愚痴を彼女に吐いていた。彼女は穏やかな顔でそれを聞き終えると。


「それはお兄さんが悪いねぇ。はっきり言って努力不足。出世はしたいんでしょ?だったらもっと上に媚びないと!でも上から引っ張り上げてもらっただけの人間は引っ張ってくれた上司が同じ部署にいなくなったらすぐ失脚するよ多分。上も大事だけど下も次に大事なんだから。まぁ働いたことない私が言うのも生意気だけど女の社会ってそういうところあるから。特に夜の女はね。」


 慰めの言葉を予想していた光一は思わず再び笑ってしまった。

 それから間も無く、部長が本部に招集された。いわゆる昇進だ。

 その後、次長が部長の座に収まるかと思われた時にそれは起こった。社員の一人が次長の不祥事を本部に告発したのだ。娼館や飲食店などの費用を会社の経費で支払っていたらしい。次長は懲戒免職となった。

 その後のうちの部署は慌ただしかった。部長の本部招集は取り消しになり、次長の座は空席となった。本当に彼女の言った通りだ。おかしくなって彼女に報告しに娼館へと足を運んだ。話を聞くなり彼女は


「そんな忙しい時期にお兄さんこんなところで何してんの!そういう時期こそ上の人や下の評価が大事なの!今からでもいいから会社に帰ってどんな仕事でもいいからやってきな!」


と追い出された。客を追い出す風俗嬢など聞いたことないが前回の件があったので彼女の言う通り会社へと戻った。会社には若手の社員しか残っていなかった。仕事といえば若手のアドバイスや書類精査などの雑務くらいだったがとりあえず手伝えることや出来ることはやった。


 そうした生活が二ヶ月ほど続いたある日、課長就任が決まった。課長が次長へと昇進するタイミングでその課長の席へと収まった形だ。決め手となったのは上司からの評価はもちろんやはり部下からの評価だった。その日も光一はやはり娼館へと向かった。


 それから、仕事で行き詰まったり悩むたびに彼女の元へ足を運んだ。彼女と光一のその奇妙な関係は十年ほど続き


「いつもおじさんの話ばかりだから今日は私の悩みを話そうか。」光一の呼び方もいつしか変わったある日、彼女は自分の悩みを話しだした。


「私ももう三十三で、未だに毎回指名してくれるのは行為をしない変なおじさんくらいだしそろそろ潮時かなって思って。これからは貯金を切り崩したりパートでもなんでもしてれば死ぬくらいまでなら生きれるかなって」


 それを聞いた光一は気がつくと結婚を申し込んでいた。特別に恋愛感情があるわけでもない、一回りほど歳の離れたかけがえのない友人であるこの女性と一緒にいる方法をほかに思いつかなかった。

「別にそんなことしなくても、、、」彼女は何かを言いかけたが、

「わかったわ。とりあえず一緒に暮らしましょう。」と苦笑いしながら言い直した。この十年、彼女の心からの笑顔は未だ見たことがない、死ぬまでには見れるだろうか、と光一は思った。

 それから二年後、光一は部長へと更に昇進し、同棲をしていた響子とも籍を入れた。

 

 今ではすっかり仕事ができて気配りもできる絵に描いたような上司の光一。

 部下からのその問いに出会ってから今までの事を響子は思い出す。

(別にお店に来なくても外で会うのに)

(別に結婚しなくても一生側にいるのに)

 そして、光一がキッチンへと向かいリビングから遠かったのを横目で確認すると、

「そうね、人付き合いが下手で、しなくていいことばっかりするところかしらね」と呟いた。

 部下たちはその姿が想像できないのか、顔を見合わせ、首をかしげた。

 それを見て響子は密かな独占欲で頬を緩め、朱に染めた。


 背を向ける光一は、それに気づかない。

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