聖女ではないけれど
一瞬ポカンとした神父は、言葉の意味を理解すると心の底からショックを受けたような顔をした。
「ひどい! いくら私が『アレ』だからって偏見にもほどがあるよ! 神に誓ってそんなことしてない!」
「悪魔が神に誓ったところで信憑性が……」
「うわぁぁ差別だー!」
ハァっとため息をついたネリネは、泣きわめくおっさんを放置して歩くスピードを上げた。まぁ、あれだけ走り回って看病をしてくれたクラウスが犯人だとは考えにくい。
(と、普通なら考えるだろうけど……)
疑り深いネリネは念押しをしてみることにした。肩越しに振り返って尋ねる。
「あなたのチカラでどうにか出来ないんですか?」
だいぶ離れた位置に居た悪魔はトンッと地を蹴るとネリネのすぐ横に出現した。ビクッとするが、彼は気にした様子もなく答えた。
「残念ながら医療は専門外だな。私は『破滅』を司る悪魔だから」
物騒な発言に冷や汗が出る。だが、ここで手立てを示さないということは、恩を売りつける自作自演の線は薄いのだろうか? 真顔で思考を巡らせるネリネをよそに、破滅の悪魔らしい男は思い出したように喋り出した。
「居るには居るよ、契約する代わりに不老不死の秘密を教える医療系悪魔が知り合いに」
それは何と言うか……ずいぶんと高い代償が付きそうな悪魔である。どんな死の淵に立ったとしてもそいつだけには頼るまいと密かに決めたネリネだったが、クラウスは親切そうな顔をしてこう続けた。
「なんならそいつを呼んで来ようか――いや、やっぱりダメだ。君が私以外の悪魔と契約するなんて考えただけでも嫉妬で狂いそうだ」
「あなたと契約するつもり『も』全くありませんけどね」
なぜこの悪魔が自分に執着するのかは分からないまま、ネリネは問題解決に向けて歩みを進めた。事態はそれどころでは無いのだから。
***
北西地区は死んだように静まり返っていた。ぽつぽつと明かりが灯っている家もあるが、やはり住人の大半は教会に駆け込んでいるようだ。
変わった様子は無いかとネリネは辺りを見回すが、異変に気付いたのはクラウスが先だった。空気中の臭いをクンと嗅いだ彼は顔をしかめる。
「……魔界の瘴気に似た香りがする。人間には良くない物だ」
身体を強ばらせたネリネは、慌てて持ってきた布を口に当てた。平然とどこかへ向かう神父の後を追うと、村の境界を守る低木の生け垣にぶつかった。この季節に咲く白い花が咲き乱れ、月明りを反射している。
「ここからだ」
「えっ」
俄かには信じられず目を見開く。ソフィアリリーと呼ばれるこの花は、初代聖女ソフィアの名を冠する聖花だ。野生動物が匂いを嫌うので、教会が育てることを推奨している。例外ではなく、ホーセン村にも取り囲むようにして植えられているのだが……。
その時、生ぬるい風がザザザと宵闇をかき乱す。可憐に咲く白い花たちが一斉に揺れ、淡く光るピンク色の花粉がそのほころびから一斉に放出された。
「うっ!」
その花粉を少し吸い込んだだけですさまじい頭痛がネリネを襲った。激しく咳き込む彼女を遠ざけながら、クラウスは口を開く。
「どうやらこの花が原因で間違いなさそうだね。焼き払おうか?」
「待っ……て下さ……」
こみ上げる吐き気を堪えながら、ネリネは神父の腕に手を掛ける。原因を特定する前に手がかりを消すのはまずいし、それに
「こうなる原因に、心当たりがあるかもしれません」
***
幸い、花粉を吸い込んだのはほんの少しだったようで、ネリネの症状はしばらくすると治まっていった。長時間吸い込み続けると患者たちのような症状が出るのだろう。
教会の食堂へと戻ってきた二人は、サンプルとして採取してきたソフィアリリーをガラスケースに入れ向かい合う。
「ずいぶん昔に聞いた話ですが……母の生まれ故郷に、環境が悪くなると臭気を放出する低木の花があったそうです」
枝についた花からは相変わらずピンクの花粉がこぼれ落ちている。それを眺めながらネリネは続けた。
「ゆえに大地を汚してはいけないと、そう言い伝えられていたとか」
「じゃあこれも同じ物なのかい?」
コンコンと、ガラスを指の背で叩いたクラウスは興味深そうに覗き込んでいる。ネリネは難しい顔をしながら首を横に振った。
「わかりません。花と葉の形は聞いていた物と似ていますが、花の色が違いますし、なによりこんなに強い毒性では無かったはずです」
頬杖をつき、うーん、と考え込んでいた神父は、真剣な顔をして一つの可能性を挙げた。
「水質に問題はなし。なのに、何十年と植えられていた花がいきなり毒性を持った。……杞憂ならいいんだが、作為的な何かを感じないか?」
考えたくもない可能性にぶるりと身を震わせる。誰が、何のために? 正体の分からぬ悪意に背筋が冷たくなるが、ネリネは不安を押しやり勇気を奮い立たせた。机に手を突くと今後の方針を固める。
「とにかく、わたしは解毒するための方法を探してみます。北西地区はしばらく立ち入り禁止にするよう村長にお願いし、花の方は見回りのパトロールも兼ねて、周りに水をじゃんじゃん撒きましょう。もしこの仮説が当たっているなら大地を洗えば徐々に普通の花に戻っていくはずです」
「それがいい、本部に報告するために立証は必要だからね」
柔らかい微笑みに思わずつられそうになるが、慌てて表情を引き締めてコホンと咳払いをする。まだこの悪魔を完全に信用したわけではないのだ。
***
やるべきことを定めたネリネの行動は早かった。庭の薬草畑からありったけの薬草を詰んでくると、カゴを手に患者たちが寝ている聖堂内を走り回る。
「頭痛を軽減する薬と、少しでも気分をスッキリさせる薬草です、どうぞ」
一人ひとり丁寧に回って、症状に合わせて薬草を処方していく。すっかりやつれた患者たちは、ランプを片手に回ってきたネリネにすがった。
「シスター、わしはどうなるんだ、まさかこのまま死ぬんじゃ……」
枯れ枝のような指をした横たわる老人に、袖口をクッと引き留められる。不安なのだろう。無理もない、自分も患った時は弱気になる。
(病は気から。弱気は病状を悪化させる。なら、いまわたしが確実に出来るのは、彼らを勇気づけることじゃないだろうか)
はるか昔、まだ教会の仕組みもロクに整っていない頃、かの初代聖女ソフィアは疫病に苦しむ人々の前にあらわれ、献身的な世話をし特効薬を恵んだと言う。
自分は聖女ではない。だが教会に属する者としてソフィアの意思は継いでいる――すっくと立ちあがったネリネは、その場に居る全員に聞こえるように声を張り上げた。
「皆さん聞いて下さい! この病気に心当たりがあります。本部にも応援要請を出しました。いまわたしが急いで特効薬を調合していますので、もう少しだけ頑張ってください!」
自分のどこからこんな大声が出たのかと驚くほど力強い声が出た。少しでも信じて貰えるよう腹の底から声を出す。
「必ず! 助けます!」
患者の目に少しずつ光が戻ってくる。祈りを捧げるよう手を組み、涙を流す者も居た。
「おぉ、頼むよ……この村を救ってくれ」
「シスター、わしらにとっちゃあんたが聖女だ……」
期待と言う名の重圧が肩にのしかかってくる。だがネリネの中に迷いはなかった。力強く頷いて患者たちをまっすぐに見つめる。
もし、過去の自分に忠告できるのだとしたなら、数日後の彼女は間違いなくこの時の自分を止めただろう。この村に来るときに決意したではないか。これから先は地味に大人しく生きていくのだと。調子に乗って聖女の真似事などするべきでは無かったのだ。
後にひどい後悔に苛まれるとも知らず、ネリネは強い正義感を胸に立ち上がった。
奇しくも、首都ミュゼルの大聖堂で、聖女ヒナコが伝令を受け取ったのと同時刻であった。