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古い記憶と緑の匂い

 ネリネは芋のミルク煮スープをすすりながら今日も素っ気なく返す。横長テーブルの対角線上の会話は、いつもの食事風景だ。


「料理もだいぶマシになってきたし、呑み込みが早いんだね。初日はどうしようかと思ったよ」

「……」


 初めて出した料理の酷さを思い出しグッと詰まる。言い訳めいた言葉が次々と喉元に押し寄せたが、楽しそうにこちらを見ている悪魔と目が合いぷいっと目を逸らした。

 クツクツと笑いを噛み殺すような気配が伝わってくる。恥ずかしさをごまかすようにスープを掻きこんだ彼女は、早々に料理の腕を上げようと決意したのだった。


 ***


 そんな日が続いていたある朝、庭で洗濯物を干していたネリネは遠くから子供の泣き声が近づいてくるのを聞きつけた。


「しすたぁぁ、わあぁぁぁん」


 何事かと視線を上げると、わぁわぁと泣きながら教会の庭に入ってきたのは、ここ最近よく遊びにくる女の子だった。寄り添う兄がその肩を抱いている。


「シスターごめん、かけっこしてる時に転んで切ったみたいで」


 確かに、女の子の脛からは赤い血が流れ出していた。

 火が付いたように泣く彼女をベンチに座らせ、傷口を丁寧に水で洗い流していく。幸いそこまで深くは無いようだ。ホッとしたネリネは泥汚れを丁寧に拭いながら少年に尋ねた。


「何で切ったのか覚えてますか?」

「鉄の破片か何かだと思う。あの辺り荷馬車の往来が激しくてよく落ちてるんだ」


 傷口から細菌が入らないかどうかだけ気になったが、あいにく教会に常備している薬はわずかしかない。だいたいの汚れを洗い流した後、清潔な布をあてて多少きつめに紐で縛る。血が止まるまでは圧迫しておくこと、そして万が一熱が出るようならすぐにまた来るようにと告げて、感謝する兄妹を見送った。


(せめて消毒だけでもしてあげられれば良いのだけど……)


 傷口を洗浄する薬は緊急性の高い時の物だ。子供の擦り傷ぐらいでいちいち使っていては足りなくなってしまう。


「……」



「畑を借りたい?」


 午後、いつものように土いじりをしていた神父は視線を上げた。こくんと頷いたネリネの胸には、どこから取って来たのか様々な草が株ごと抱えられている。


「はい。ここからそちらまで」

「それは構わないけど……」


 生真面目な顔をしたシスターの全身には、無数の泥や葉っぱが付いていた。おそらく近場の森まで行って採取してきたのだろう。眉根を寄せたクラウスは苦言を呈す。


「一人で取りに行ったのか、危ないじゃないか」

「大丈夫です、毒草は混じっていません」


 そうじゃなくて、とぼやく神父をよそに、ネリネは空いている畝にそれらをドサッと落とした。許可を貰ったので小さなスコップでせっせと植え始める。青々としたラインナップを見たクラウスは口の端を上げた。


「薬草かな?」

「えぇ、民間療法ですけど」


 ネリネは手にした薬草の簡単な効能を口の端で羅列していく。スラスラと流れ出る知識は付け焼刃ではなく、彼女の記憶にきちんと根付いているものだと判断できた。


「ずいぶんと詳しいね。教会のカリキュラムには薬草学なんて無かったけど、どこで学んだのかな?」


 額に汗しながら作業を進めるシスターは、少しだけ遠い目をしながら語りだした。古い記憶と共に、濃い緑の匂いがよみがえる。


「産みの母親に教えて貰いました。母は植物に関する造詣が深くて、村の人たちから森の賢者と呼ばれていたんです」

「腕のいい薬師だったんだね」

「はい。人間はもちろん犬や猫なんかもあっという間に治してくれて……」


 ここまで言ってハッと我に返る。植え替えに熱中していたので油断した。なぜ悪魔に自分の身の上話をしているのだろう。だが彼はそれには気づかず、空を見上げて話し出した。


「なるほど、君が聖女候補として選出される前の話か」

「あ、あの」

「しかし神父の私が言うのも何だが、まったくおかしな話だよ。先代聖女が死んだ直後に産まれた女の子が次の候補者だなんて。なあ、君はいくつの時に貴族家に引き取られて――」


 ザクッと、とっさにスコップを地面に刺していた。言葉を探していたネリネは、無理やり話題を逸らす。


「そ、そんなことより、ここの管理はわたしがやるので、貴方は関わらないで、いいですから」


 そのまま横にザッと引いて境界線を作る。精一杯怖い顔をして低い声を出してみせた。


「ここからこっちは立ち入り禁止です。悪魔に触られたらどんな毒草になるか」

「傷つくなぁ、そんなことしないよ」


 年甲斐もなく口を尖らせた神父に少しだけ罪悪感がこみ上げる。だが、はたと言葉尻を捉えたネリネは半目で問い詰めた。


「しないってことは、やろうと思えばできるってことですか?」

「さぁ、どうだろうね」

「ちょっと」


 へらりとはぐらかした悪魔は自分の陣地に引き返していった。ゆるく笑ってこう続ける。


「いいじゃないか、私の花が心を癒し、君の薬草が身体を治す。良いコンビになれると思わないかい?」

「思わないです、お断りします」

「おやおや、信頼されないなぁ」


 ゆるやかな風が吹き、豊かな土の薫りを巻き上げる。これから暖かくなっていく気配は、優しくネリネの灰色の髪を揺らしていった。


 結果的にこの薬草畑はしっかりと根付き、ホーセン村における簡単な治療技術を底上げすることになる。

 その事についてネリネは誇りも自慢もしなかったが、黙々と仕事をする彼女に対して村人たちの見る目は少しずつ変わっていった。


 ***


 そんな折、神父クラウス宛てに『新聖女就任式』の知らせが届いた。首都ミュゼルでヒナコが正式に聖女となるので出席しろとのお達しだ。


「ついに君を蹴落とした彼女が大層な地位に就くようだね」

「……」


 招待状をつまみヒラヒラと振る神父に対し、朝食後のお茶を淹れていたネリネは反応しない。もう終わった話だ。

 ところが、この腹の底が読めない悪魔は、ニヤニヤしながらとんでもない提案をした。


「私と契約さえしてくれるのなら、式典をめちゃくちゃにして来ようかい?」

「なっ……」


 ティーポットの射出がずれ、テーブルクロスにどぼどぼと赤い染みを作る。それを見たネリネはぎゃあと悲鳴を上げた。慌てて台拭きを取りながら叫ぶ。


「結構です! 余計なことしないで下さいっ、本当に!」

「おや、復讐したくはないと」


 意外そうな顔でこちらを見据えるクラウスに、ため息をついたネリネは、静かに頭を振ってこう答えた。


「わたしが聖女なんてガラじゃないのは自分が一番よく分かっています。濡れ衣を着せられたのは悔しいけれど、ヒナコさんの方が私よりよっぽど聖女にふさわしいのは事実だから……」


 断罪の場で見上げた彼女を思い出す。華やかで人気があって――これ以上考えているとますます卑屈になっていきそうだ。踏ん切りをつけるように、赤い染みをやっきになって叩く。


「わたしは地道に生きていくのが性に合っている。もう平穏に暮らしたいんです」


 染みは手ごわかった。こうなったら丸洗いした方が早いかもしれない。テーブルからクロスを外した時、ふいに視線を感じて顔を上げる。悪魔は相変わらず微笑みながらこちらを見つめていた。その優しい眼差しにバツが悪くなり背を向ける。


「い、今の話は忘れて下さい」


 いけない。また油断してしまった。どうしてこの男相手だと本音を漏らしてしまうのだろう。悪魔の掌握術だろうか? それに『濡れ衣』だなんて発言が本部に伝わったらまた厄介な事になってしまう。そんな事を考えていたネリネに、クラウスはのほほんと言った。


「いいんだよ、信者の悩みを聞くことも神父としての立派な務めだからね」

「……」


 悪魔のくせにその外面の良さはなんなのか。いっそ見習うべきかもしれない。やるせなさを鼻から吐き出し出て行こうとする。ドアに手をかけたところで背後からの言葉は続いた。


「私は知っているよ、君はそんなことできるような人間じゃないってことをね。大丈夫、真っ当に生きてさえいればいつかちゃんと報われる。見る人はちゃんと見ているのだから」

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