人間界の悪魔は晴耕雨読なスローライフを満喫する
ご機嫌が服を着て歩いている。
今朝の神父の様子を例えるなら、まさにそんな一文がふさわしかった。
鼻歌まじりに朝の清掃を終え、ニコニコしながら廊下を歩き、背中に羽でも生えているのではと思うほど足取りが軽く見える。いや、悪魔だから実際に羽はあるのだけど。
「何かいいことでもあったんですか? さすがに浮かれすぎでは……」
「えっ、わかる?」
昼食時に尋ねてみたところ、意外そうな顔でそう返されてしまった。自覚ナシかと少し呆れながら渋い顔をする。
「バレバレですよ、皆さんから何かあったのかと尋ねられたんですから」
「ごめんごめん……実は、前々から予約していた小説の新刊が届きそうなんだ」
ふにゃっと笑ったクラウスは心底嬉しそうに言う。あぁ、と合点したネリネは彼の自室にある本棚を思った。
この悪魔が好むのは意外なことに少女小説だ。ネリネは読んだことが無かったが、どうやらその最新刊が発売されているらしい。
されている、と過去形なのには訳がある。このホーセン村には本屋がなく、欲しい書籍がある場合はこちらから注文を入れた上で折り返し首都からの定期便を待つ必要がある。なのでこうして発売から少しタイムラグが発生してしまう。
「前の巻がいいところで終わっていてね、ついにその続きが読めるかと思うと嬉しくて嬉しくて」
「はぁ」
あまり小説というものに縁がなかったネリネはピンと来ずに生返事を返した。エーベルヴァイン家にいたころは娯楽を一切禁止されていたし、母と暮らしていた頃はここよりさらに田舎だった。
「それならいいんですけど、浮かれすぎてケガしないようにしてくださいね」
「あー楽しみだな、明後日ぐらいには届くかなー」
聞いているのかと苦笑しながら聖堂に戻る。扉を開けたところで意外な来客が来ていることに気づいた。最後列に掛けていた彼女が嬉しそうな顔で立ち上がる。
「ネリネ、久しぶり。クラウス神父もお久しぶりですわ」
「ジル!」
金髪を揺らし、肩のショールを引き上げた彼女は前回見た時よりさらにぽっちゃりとしていた。それでもツヤツヤとした笑顔でこちらに駆け寄ってくる様子は元気そうだ。
「事前に知らせていなくてごめんなさい、ちょうどダーリンが仕事の関係でここを通るっていうから途中で下ろして貰ったんですの」
「そうだったの、元気そうで何よりだわ」
思わぬ訪問にネリネも笑顔になる。今日は参拝者も少なく、午後の仕事を手早く終えることができた。お茶にしようとジルを食堂に招き、雑談をする。
「あら、この銘柄わたくしのお気に入りですわ」
「ええ、あなたに分けて貰ったのが好きで、これだけは取り寄せてるの」
そう言うと、隣の席にいたクラウスがカップをゆすりながら穏やかに続けた。
「そうそう、いつだったか薔薇の咲く時期に庭でお茶会をしたんだけど、その時も評判だったね」
「まぁ、それは素敵。次回はぜひお誘い頂いても?」
「もちろん」
彼も含めた3人での話は弾み、和やかな時間が流れていく。そんな中、ジルは急に思い出したように鞄から1冊の本を取り出した。
「そうだ! ネリネにぜひ見せたいものがあったの。知っているかしら? わたくしが最近ドハマりしている小説なのだけど――」
そのタイトルを見たクラウスが笑顔のままピクッと反応する。それに気づかずジルは興奮したような早口で布教活動を開始した。
「じゃーん! 『あの空の向こうで』の最新刊ですわ! この前発売されたばかりなのだけど、一晩で読み切ってしまうくらい素晴らしかったのよ! これは、魔法のある世界で育った幼なじみ二人の物語なのですけど、主人公はある日とつぜん不思議なチカラに目覚め、国を巻き込んだ戦いに巻き込まれていくことになりますの。前回まではライバル役の男性が現れて主人公に強引に迫る展開でしたのよ! それを知って自分には手が届かないからと諦めようとするヒーローなのですが、魂のつがいという運命が自分にはあると気づかされますの。だけどその時にはもう主人公は遠く離れた地でライバル役の男性と契約を交わそうとしていて……あ、そのライバル役っていうのもまたいい味を出していて憎み切れないんですけど――その三角関係がなんとも言えず燃えるといいますか、えっ、もしかしたらそっちとくっついちゃうの!? っていう、キャー!」
まさかと思い、横目でチラリと見ると、クラウスはいい笑顔のまま固まっていた。ガンガンにストーリー展開をブチ込んでくるジルはどうやらネタバレを全く気にしない人物のようで、最新刊を心待ちにしているファンがこの場にいるとも気づかず、『その』領域に踏み込もうとする。
「もちろん恋愛だけじゃなくて戦いや人間ドラマの部分にも比重が置かれていますの。この最新巻では、これまで主人公の周囲で暗躍していたと思われていた裏切者の正体がついに明かされまして」
「っ、」
苦悶の表情を浮かべたクラウスが目をつむりキュッと口を引き結ぶ。見たことのないほどしょっぱい顔に驚いていると、ジルはついに核心に迫ろうとした。
「それがなんと驚くことに――」
「あああああ!!!」
突然奇声を上げたクラウスがテーブルに頭をガンと打ち付ける。さすがにビクッと止まったジルは恐る恐ると言った感じで声をかけた。
「ど、どうしましたの神父様。何かありました?」
「……」
しばらく突っ伏していたクラウスだったが、すっくと体を起こすと何事も無かったように爽やかに髪をかき上げてみせた。
「いや、すまないね。心配しないでくれ」
「そうですの? それでネリネ、話の続きなのですけど、実はその犯人というのが――」
「イイイイイ!!!!」
今度は頭を抱えてのけ反る。もうここまで来ると見ていられなくて、ネリネは助け船を出すことにした。
「えっと……あのねジル、話の面白さを伝えようとしてくれるのは嬉しいけれど、私は何も知らないまっさらな状態で物語を楽しんでみたいわ。だからあらすじは大丈夫」
「えっ、だけどあらかじめ展開が分かってないと安心して読めないじゃない?」
心底驚いたようにジルは言う。ネリネは苦笑しながらやんわりと答えた。
「ドキドキとかワクワク感を楽しみたい、そういうタイプも居るってことよ」
しばらく考え込んでいたジルだったが、ハッとしたように口を押えると心の底から申し訳なさそうに謝罪した。
「いやだわ、わたくし、あなたの楽しみを奪うところだったのね。ごめんなさい、ミュラー家ではそれが当たり前だったから気づかなかったの。なるほど……そういうスリリングな楽しみ方をする人もいる……勉強になったわ」
「分かってくれて嬉しいわ」
素直な親友に嬉しくなる。するとジルは瞳を輝かせて本をネリネの手の中に押し付けた。
「でも本当にこの最新刊は素敵なの! 最高傑作よ。これ、作者のサイン入りを我が家が経営してる印刷所から何冊も頂いたからあげるわ。ぜひ読んでね!」
「えっ、いやあの、これ3巻って……1巻と2巻は?」
「前回までのあらすじを読めば大丈夫!」
「……」
ダメだ、やはり根本的なところが伝わっていない気がする。ネリネが言葉を失っていたその時、勝手口がバーンと開き、一人の男性が勝手に入ってきた。
「ハニーっ! こっちに居たのか探したよ」
「まぁダーリン、もうお仕事終わったの?」
「君と少しでも離れているのが堪えられなかったからね。いつもの300倍頑張って早く終わらせてきたよ! やぁネリネちゃん久しぶり! そっちがウワサの神父さんか初めましてこんにちは!」
いつ見てもまぶしい笑顔の太陽のような人だ。勢いに圧倒されていたクラウスの手をブンブンと上下に振った後、バカップ……ラブラブな恋人たちは嵐のように去っていった。
「それじゃあまた来ますわ。お二人ともお元気で~」
「今度は俺っちもおみやげ持ってくるからなーっ」
あのカップルの側に居ると、謎のパワーにもみくちゃにされたような気になる……。ようやく静寂を取り戻した食堂でネリネはふぅとため息をついた。手の中に押し付けられた本の表紙を開けると、確かに著者のサインが書いてある。
わざわざ本を汚す意味が分からない……と、首を傾げていたネリネは、ふと横からの視線を感じた。見上げれば隣に立つクラウスがキラキラとした眼差しでそのサインを見つめている。その、子どものような表情を見ていると自然と笑みがこみ上げてきた。クスッと笑って本を差し出す。
「どうぞ、これを乗せた定期便が来るのはまだ先なんでしょう?」
「えっ、いいのか?」
「ええ。その代わり、」
彼の手に本を押し付けたネリネは、廊下への扉を開けながら振り返った。
「あなたが持っている1巻を貸してもらえませんか? どうせならきちんと最初から読んでみたいです」
これまであまり創作物に興味を示して来なかった彼女の言葉に、クラウスの頬が嬉しさで染まっていく。再びご機嫌が服を着て歩き出した。
「それじゃあ今夜は二人で読書会にしよう。分からないところがあれば解説は任せてくれ。暗記するほど読み込んでいるんだ」
「ふふ、楽しみです」
同じものを読み、感想を共有することがどれだけ楽しい体験なのか、娯楽に疎かったシスターがそれを知るまでもう少し……。
いつもお読み頂きありがとうございます。
本日12/28より、かづか将来先生によるコミカライズ版『失格聖女の下克上』第1巻が全国の書店およびネット書店等で発売となりました。
内容としては冒頭の追放からの出会い~なのですが、書籍版がベースになっているので本の半分以上はweb版にないエピソードです(この番外編にもある、クラウスが『なぜ少女小説を好むようになったか』にも触れてます)
それらが、かづか先生によってめちゃくちゃ美しい画力と演出で、漫画化されてるんですよ! これはもう買うしか!
……180ページぐらいオール挿絵って考えるとめちゃくちゃ豪華じゃないですか?(人はそれを漫画という)
小説家になろうさんの規約が緩和されたようなので、目次ページの下に商品ページへのリンク貼っておきます。絶対みてね!




