【コミカライズ記念】成りすましの代償①
それは、陽も傾き世界が茜色に染まりつつある夕方の事だった。
洗濯物を取り込み終えて礼拝堂に帰ってきたネリネは、最後列の椅子に小さな影が掛けているのに気づいて心の中でちいさく(あら?)と、呟く。
暗く沈みかける薄闇の中で動かない影は、スカーフを頬かむりにした小さな老婦人だった。杖を傍らに置き、しわくちゃの両手を胸の前で組んで穏やかに目を閉じている。村では見た事のない顔に興味を惹かれて立ち止まると、気配に気づいたのか、あるいは単に祈りが終わったのか、ゆっくりと目を開けた老婦人はネリネの姿を見てにっこりと首を傾げて見せた。
「あらぁ、ここのシスターさん? どうもこんにちは」
「こんにちは、お祈りは済みましたか?」
「えぇ。この教会はとっても居心地がいいわねぇ、心が落ち着くわ」
終始ニコニコとしていて、とても可愛らしい印象の老婦人だ。教会を褒められた事も相まってネリネはやわらかく微笑み返す。どこから来たのかと尋ねると、彼女は人を探して遠い地からホーセン村まで来たのだと言った。興味を惹かれて質問を重ねる。
「探している方、ですか?」
「そう。私のドラ息子でねぇ、人様を騙して悪い事ばっかりしてる子なの。結婚詐欺なんて働いて、行方をくらましていたのだけど……。だけど最近、この村で姿を見かけたって聞いて、はるばるやってきたのよ」
「そうなんですか」
それらしい人なんて村にいたかしらと考えるがパッと思い浮かばない。まぁ、悪人を捕らえるのは自分の役割ではないかとネリネはそこまでにする。自分たち聖職者の役割は、そういった悪人も含めて赦しを与え、教会に来た者たちの心のケアをする事なのだから。そう考え穏やかな声でこう続ける。
「確かに詐欺は悪いことですけど……ですが息子さんは幸せ者ですね。こうして心配して下さるお母さまがいる。その真心はきっと伝わりますよ」
「ありがとうシスター、あんたはとってもいい子だねぇ」
和やかな空気が流れ、二人してフフッと笑う。
その時、教会の鉄柵を押し開ける音がした。開け放しの正面玄関を振り返ると、肩に重たそうな麻袋を担いだ神父がアプローチを歩いてくるところだった。彼はその伝書バト用の飼料をドサリと玄関ポーチに下ろすと、反るように伸びをしながら腰を叩く。
「あー疲れた、花の肥料ならいくらでも運ぶけど、あの小憎らしいハトたちの為って言うのが何とも」
「お疲れ様です、小屋へはわたしが運びますのでそこに置いといて下さい」
「重いからいいよ、私が少し突かれれば済む話さ……」
遠い目をしながら語る彼には悪いが、相変わらず動物に怯えられてる姿にクスリと笑ってしまう。そんな中、椅子から立ち上がった老婦人が杖も持たずにヨタヨタとそちらに向かって歩き出した。
「あら、あらあらあらまぁ」
「おっと」
クラウスはそのつんのめりそうになった体をとっさに受け止める。顔を見上げた老婦人はうっすらと涙を滲ませながら支えてくれた腕をさすった。
「なんとまぁ、こんなに立派になって……元気だったかい?」
「ん?」
「会えて嬉しいよぉ、クラウス。このバカ息子」
親し気な呼びかけに、神父とシスターは一つ瞬いて視線を合わせる。こぼれたハトの飼料を目当てに、小鳥が舞い降りる羽音だけがその場に響いた。
***
とりあえず事情を聞こうと、エルマと名乗った老婦人を裏の食堂に案内してお茶を出す。
ほっこりとハーブティーを楽しむ彼女をよそに、勝手口から出た二人は一番星が輝き始めた空の下でコソコソと言い合いをしていた。
「どういうことですか、あなた結婚詐欺を働いていたって本当ですか?」
「するわけないだろう! 私がそんなことをするような男に見えるか?」
「充分にできる容姿だとは思いますので」
「褒めてくれるのは嬉しいけど今は複雑だよ!」
情けなく眉を下げるクラウスは、はたと気づいたように動きを止めた。気まずそうに頭を掻くと視線を逸らして呟く。
「あー、まさか……『本物の』クラウスの母親か」
「本物の?」
何の話かと怪訝な顔をすると、一度グッと詰まった彼は言いづらそうに切り出した。
「えぇとその……悪魔の時の私と、この姿は少し雰囲気が違うだろう?」
「それはまぁ、確かに」
壮絶なまでの妖艶さを誇る悪魔時と比べ、普段の彼はご覧の通り「ほわほわ」とした雰囲気を振りまく癒し系だ。
まるで叱られるのが分かっている子どものように身体を縮こまらせた神父は、クラウスという人物像の元ネタを明かした。
「だからその、生来の姿では人間社会で生活するに当たって不都合が多いから……道端で行き倒れていた、よく似た男の身分を借りたというか……。すこーしだけ外見を拝借して混ぜて元のオーラを中和させているというか……」
しばらくポカンとしていたネリネだったが、理解すると少しだけ引いたように一歩後ずさった。
「あなたそれ……完全な『成りすまし』じゃないですか」
「仕方なかったんだよぉ、意外とこの国の戸籍管理がしっかりしてて、国の出生名簿に名前が無いと教会に所属すら出来なかったんだから」
「ヒト一人の立場に成り代わってる自覚はおありですか? その方の尊厳を踏みにじっているのも同然ですよ」
「別にこの姿で悪事を働いてるわけじゃないし良いじゃないか。そいつはもうとっくに死んでるんだし」
半泣きになりながら縋りついてくる彼にうわぁ、うわぁと引く。ここでもまた悪魔と人の倫理観に差がありそうだ。
ひとしきり軽べつしてみせた後、ふぅっとため息をついたネリネは腰に手を当てて言った。
「とにかく、やってしまった過去は変えられません。聖職者らしく悔い改めましょう。悪魔ということは伏せるにしても、エルマさんに正直に別人だと打ち明けてはいかがです?」
「いいや待ってくれ! あんな生い先短いお年寄りに、息子が行き倒れになって死んでいたなんて残酷な事実を突き付けてもいいものか?」
強めに主張され、うぐっと言葉に詰まる。明かりが灯る室内の様子をちらりと伺うと、ニコニコしながらカップを傾けている老婦人の嬉しそうな顔が目に入った。がっかりさせるのは忍びないが、だからと言って騙すような真似は……。
そう考えていたネリネの肩を叩き、やけに力強い表情をするクラウスは自信満々に頷いて見せた。
「任せてくれ、彼女を傷つけず、こちらも正体を明かさずに済む方法がある」
「?」
何をするのかと不安に思いながらも、食堂に戻る彼の後について中に入る。老婦人はこちらに顔を向けるとニコニコとカップを掲げて見せた。
「お茶、とってもおいしいわ。とても爽やかなレモンの香りがするのね、それにほんのり甘い気がする。毎日でも飲みたいわ」
席に着く前に自分たちのカップも出してハーブティーを入れる。ネリネは彼女の向かいに、クラウスは隣に掛けた。
「庭で育てているレモングラスです。よかったら少しお持ち下さい、たくさん生えていますので」
「そーお? それはありがとう。そういえばお庭には花もたくさんあったわねぇ、あれもネリネちゃんが育てているのかしら?」
「いえ、そちらは彼の趣味なんです」
神父を示して素直に答えると、エルマは「まぁ」と口に手を当てて見せた。
「クラウスが? それは驚いたわ。以前のあなたなら花なんてとても……」
驚いた顔を見つめていた神父は、真剣な顔をして彼女に向き直る。胸に手を当てると誠実そのものと言った声色で切り出した。
「エルマさん、その件についてお話しておきたい事があります」




