神は見ているのだから
次々と悪事を白状する王子はますます調子に乗る。ヒナコの肩を引き寄せ見せつけるように頬を撫でた。
「この国は平和すぎるんだ。だから俺の事を無能のバカ王子と侮辱する……。だが貴様も見ただろう! 俺たちに泣いて縋るあの愚民どもの姿を! ハハハ、そうだ、あれこそが本来あるべき俺への敬い方なのだ!」
「狂ってる……!」
吐き捨てるように呟くのだが、優位に立つジークは余裕の笑みで金髪をかき上げた。
「ほざいていろ。俺は武力だけではなく、賢君としても後世に語られる器だ。意見する者はこいつらを使って容赦なく粛清してきた」
周囲の取り巻きどもはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。こんな奴らがいずれ国を背負うことになるだなんて……。絶望するネリネを見下ろし、ジークは彼が考える『有能戦術』を、ベラベラと続けた。
「人徳者の元には自然と有能な者が集まるということだな。だが聖女役はお前のような地味女では務まらない。明るく華がなくては民衆に示しがつかないだろう? だからヒナコを抜擢したのさ」
屈辱でギリィと噛みしめる。確かに自分の髪はくすんで縁起の悪い灰色だし、愛想笑いも下手くそで世間ウケはしないだろう。だが聖女とはそういう物ではないはずだ。断じて!
にらみ付けているとジークは鼻を鳴らしてせせら笑った。
「そう睨むな。こちらの都合も考えてくれ。ジルならばまだ見栄えが良かったものを、よりによってお前が残ってしまったのだからな。俺がこういう選択肢をとるのも仕方のないことだろう?」
「……」
「しかしそのジルにも困ったものだな。あれしきの人数で音をあげるなど」
「えっ……」
何気なく付け足された言葉に思わず声を漏らす。その意味を考えていたネリネは次第に怒りと恐怖で身が震えだすのを感じた。
「まさか……まさかジルが身投げをしたのは」
誰よりも敬虔で誠実。責任感の強い彼女が命を絶つだなんて今でも信じられなかった。まさかこの男が何か――
「えぇ~、まさかヤっちゃったんですかぁ? 王子」
ヒナコが厭らしく笑いながら口を挟む。周囲にいた近衛兵たちも同様に下卑た笑い声を立て始めた。呆然とするネリネを見た王子は、醜悪に笑って最低の行いを白状した。
「あれは笑えたぞ、泣いて神に祈りながら犯される女というのはな」
ギャハハと男たちが揃って笑い声をあげる。人を人とは思わないケダモノたちがそこにいた。
「でも王子、俺はあれすっげ興奮したぜ」
「そうそう、お綺麗な物を汚してる感がたまんなかったよな。背徳感っつーの?」
「聖職者の割にひん剥くといい女だったよな、後ろから掴んだ時の尻の形が、こう……」
「もうっ、女の子の前でそんな話するなんてサイテーですぅ。王子ぃ、ヒナにはそんなことしませんよね?」
「あぁ、お前は特別だからな」
「キャー、嬉しい!」
彼らの声が耳障りだった。耳を塞ぐこともできないネリネはせめて自らの声でかき消すように叫ぶ。
「人でなし! あなた達なんてケダモノ以下よ!!」
村の誰かまで届いてくれとの大声だったがパッと口をふさがれてしまう。汗臭い皮の手袋の臭いがむわりと鼻腔を突き総毛立つ。近寄ってきた王子がこちらを見下しながら言った。
「なんとでも言え。死人に口なし、すぐに処理してやろう」
「これからもヒナの引き立て役として振る舞ってくれるなら生かしてあげるけど、どうする?」
両脇で手を握りこむお決まりのポーズをした聖女は、実に楽しそうに続けた。
「悪い話じゃないでしょ? 割り切って一緒にバカな国民を騙しちゃおうよ。これからは事情もちゃーんと説明するし、な・か・ま、に入れてあげる」
断れば数時間後には冷たい土の下だろう。ホーセン村の寡黙なシスターは己の無能さに絶望し行方不明に……そんなシナリオが彼らの頭の中では描かれているはずだ。
「とりあえず今回の毒花騒動はコルネリアちゃんが犯人ね」
生き延びるためにはうわべだけでもこの提案に乗るべきだ。けど、だけど――
返答のため口を覆っていた手を外される。すぅっと息を吸い込んだネリネは、返事の代わりに目の前でニヤつくヒナコの顔に思いっきり唾を吐きかけてやった。彼女はきゃあと悲鳴を上げのけぞる。それを見据えたネリネの緑の瞳に怒りの燐光が走った。
「死んでもお断りです」
何があってもコイツらだけには屈服してやるものか。これは虐げられてきた者としての最後の意地だ。ネリネは凛とした表情のままハッキリと言い放つ。
「たとえわたしがここで殺されようとも、いつか必ず誰かが真実に気づいてくれる」
その言葉に一瞬だけ神父の顔がよぎりキュッと胸が締め付けられる。それを振り払うように宣言した。
「あなたたちはいずれ報いを受ける事になる。神は見ているのだから!」
クラウスは神は概念に過ぎないと言った。それぞれの心に存在している指標なのだと。
ならばその彼の心に託そうではないか。彼は悪魔だが正しい心を持っている。ネリネが不自然な死を遂げたのなら意思を継ぎ、きっと真実にたどり着いてくれるに違いない。
ところが顔を拭っていたヒナコは発言をそのままの意味で捉えたらしく、一歩退いて顔をこわばらせた。
「うわ……宗教狂いこわ……マジドン引きなんですけど」
「答えは出たようだ、まぁ犯人が死体でも不都合はないだろう、喋らない分かえって都合がいい」
いよいよだ。細めのロープを袋から取り出したジークはそれを放り投げた。キャッチした男が背後からネリネの首に巻き付ける。
「くっ……は……ぁっ」
すぐに気道が詰まる。必死にロープに手をかけるがビクともしなかった。目を見開いたネリネはその場で膝立ちになる。死への恐怖で目の前がチカチカと点滅を始めた。
「ヒナコを台頭させたことをよほど怨んでいるようだが、仕方が無いだろう。お前のような女を嫁にするところだったんだぞ?」
ぴくっと動きを止めたネリネは、すぐ間近で覗き込んでくる二人を見上げた。ヒュウヒュウと鳴る口の端からは唾液が流れ落ちる。王子はぞっとするような声でコルネリアという人物の評価を下した。
「笑わない、気の利いた話の一つもできない、お前のような陰気な女を誰が愛する?」
「あはは、これは要らないゴミの処分ってことですねー王子」
わずかに持ち直したはずだった自尊心がぺちゃぺちゃにすり潰される。酸素が足りない頭は次第にぼんやりとしていった。力の入らない手がだらんと両脇に落ちる。
(わたしは誰にも愛されない……)
自覚はしていたはずだった。愛されるようにはできていないと自分に言い聞かせてきた。ちっぽけで貧相で、愛想のないぼうっきれのような女。それなのに少しでも期待を抱いてしまったのは
――君だって幸せになっていいんだよ
そう言ってくれたのは誰だっただろう。そういえば彼の名は頑なに呼ばなかったなと心のどこかで思う。
幼いころからの記憶がものすごい勢いで駆け巡る。あぁこれが走馬灯かと覚悟し、静かに目を閉じたネリネの目尻からすぅっと涙がひと筋こぼれ落ちた。
暗転していく意識の中で、光射す教会が目の前に広がる。庭の片隅で誰かが立ち上がり、優しい笑みを浮かべて振り返る。そうだ、彼の名は――
「……すけて……クラウス」
口から漏れ出た吐息のような声は、一度口周りで留まる。
「!?」
そして勢いよく飛び出していった。そう、確かにその声は何らかの意思を以ってどこかへと飛んで行ったのだ。不思議な感覚にパッとネリネは目を見開く。
「うわ、まだ死なないんですかぁ?」
「しぶといな。そこまでしがみつくほど価値のある命か?」
目を開いてもそこは現実で、醜悪な面をした王子とヒナコが居る。だがネリネは確かに感じていた。すさまじい熱量を持った『何か』が急激に接近してくる。
「なんだ?」
最初に気が付いたのは一番離れたところにいた近衛兵だった。静かに、だが着実に場の空気は渦を巻き始め、熱を帯びてブルブルと震え始める。次の瞬間、熱気は目も開けていられないほどの熱風となり、その場に居た全員の髪と服をゴウゴウとなぶった。
「きゃあ!」
「何事だ!」
(来る――!)
ネリネがギュっと目をつぶった時、首を絞めつけていた縄が唐突にブチッと焼き切れた。後ろむきに倒れ込むところを誰かにすくい上げられる。
「ゲホゲホッ!! ガハッ! ッは!!」
それが誰かを確かめる余裕もなく、身体をくの字に折って激しく咳き込む。多少熱いが新鮮な空気をむさぼるように取り込んでいたネリネは、目を開けると自分が宙に浮かんでいることに気づいた。その場にいた全員があっけに取られてこちらを見上げている。
「ようやく助けを求めてくれたね。いい傾向だ、素直だと余計に可愛がりたくなる」
「え」




