眠れぬ夜
その日の夜カリイナは寝れなかった。
夕食時に姐さんに言われたことが心に引っかかって。
セシルとルシファーがお互いのことを忘れられずにいると知ったあの日の明け方。
私は自分から身を引くことで、自らの傷を浅くしようとした。
屋敷を出た日の妙な高揚感。
あれは、その自分の行動がルシファーの幸せにつながると信じていたからだ。
なるべくルシファーのそばから離れようとしたことも、他の人を好きになろうとしたことも。
…私はできればルシファーのことを忘れて、思いやりに満ちたヒースみたいな人を好きになりたかった。
けれど自分の意思で人に恋することなんかできない。
孤児院にいた頃、大人数でその場にいても、ルシファーはセシルにだけ特別な視線を送っていた。
そしてそれに応えるようにセシルも一瞬ルシファーと目を合わせる。
彼らは視線で語り合っていた。
そんな場面に私は何度も立ち会っていた。
その度に感じた自分の体のどこかが焼かれているようなあの痛み。
ルシファーの卒院の時が刻々と近づいてくる。
その事実は私を焦らせ、心を重くした。
そんな中で聞いた噂。
ルシファーとセシルが結婚の約束をしたという。
もちろんそういうことになるだろうと思っていたけど、あの時はいきなり背中を強く押され、突き落とされたような気がした。
二度と這い上がることのできない暗い暗い崖の下に。
毎日寂しくて、辛かった私とは逆にルシファーは生き生きとしていた。
卒院が待ちきれないようだった。
彼の胸には卒院後に歩みだす自分の人生への期待が満ち溢れていたのだろう。
セシルと共に歩む人生への期待が…
私は自分の気持ちを慰めるために毎日小さい紙に気持ちをを書いては捨て、書いては捨てを繰り返していた。
彼に気持ちを伝える勇気なんてこれっぽっちもなかった。
けれどルシファーが孤児院を去る日。
どこか名残惜しそうに構内を眺めながら一人歩くルシファーに偶然会ってしまい、つい、お守りのようにポケットに入れてあった紙を渡してしまった。
そうしたら彼はこんなことを言った。
「僕が面倒を見てきた子たちはルシファー行かないでって派手に泣いてくれたよ。
お別れなのに君は泣かないの?」
そして私の渡した紙を振って「後で読むよ、別れの挨拶も口で言えないなんて恥ずかしがりやにもほどがある」と笑って去っていった。
彼にとって私は孤児院で暮らす仲間の一人に過ぎないことはわかっていたのだけれど、これでお別れかと思ったら、どうしても気持ちを伝えたい衝動が湧いて、それが抑えきれなくなった。
あの紙を渡さなければ、あの日彼が中庭で私に手を差し出してくることはなかっただろう。
その後のことも。
暗い部屋の中で髪を引っ張られることも、明るい日差しの中で頬にキスされることも。
…そしてこうして見知らぬ土地で農婦として労働に従事することも。
あの小さな紙切れが私の運命を大きく変えた…
私は彼の側で暮らす権利を手に入れた。
でも私は彼と一緒に知らせの一族よ屋敷で暮らすようになった後も目と目で通じ合うような間柄にはなれなかった。
…
あの人…
リンカは…
ルシファーとリンカは…
リンカの失礼な態度にはルシファーは目で思い切り不快感をぶつけていたし、リンカもそれに応えて彼への嫌悪を表していた。
あれは明らかに心と心での会話だった。
そんな会話が成立する仲だったからこそ、ルシファーはリンカといつのまにか仲良くなり、セシルとの復縁の仲介を頼んだに違いない。
あのまま何事もなく屋敷にいて、結婚したとしてもルシファーと私はお互いを理解し合うような日は来なかったような気がする。
きっとどこか噛み合わない夫婦になっていた。
だって性格が違いすぎるもの。
…それでも、それでもずっと側にいたかったな。
やだ。
まだこんなに心が執着してしまっている…
無理、だと思う。
私がルシファー無しで幸せになることなんて。
というよりは私はもともと幸せになれない運命を背負いこの世に生まれてきたのかもしれない。
だからこそ母親を早くに亡くし、父親には捨てられ、それと知らず知らせの一族の嫡子を好きになり、彼と別れた後も知らせの一族と関わりのあった者としての過去を背負いこうして一人ぼっちでいるのかもしれない。
そしてこれからもずっと一人…
だったら、だったらルシファーのことを思い出すことを自分に許してもいいのではないだろうか?
だって、こんなに遠くにいるんだからそれがあの人の邪魔になることはない…
カリイナと同室の農婦たちは夜中、彼女が寝返りを打つ度にきしむベッドの音を何度も聞いた。




