リングヤード
カリイナがジュディと別れたカスマンの東には山岳地帯が広がっている。
なのでそれより東にあるリングヤードに向かうためには一度南に下りその山岳地帯のへりを東に伝い、次に北に上がりそこからさらに東に向かう必要があった。
カリイナの旅は順調ではなかった。
途中で風邪をこじらせ、やむを得ず宿に連泊したりした。
彼女は悪い薬屋に足元を見られ、たいして効果のない薬を法外の値段で売りつけられた。
普段ならそんなことを見破る力のあるカリイナだったが、何日も熱が引かず、朦朧とした意識の中、心細さも手伝いまんまと騙されてしまう。
そのため薬代や、宿泊費が嵩みリングヤードまでの旅費が心許なくなってしまった。
カスマンを出てからはレインやジュディのように彼女を庇護してくれる相手にも出会えなかった。
リングヤードへ行くのを諦めこの土地で働き口を探そうか、もう十分ルシファーから離れた…とも考えたが、思い込みの強い彼女はそれが出来ない。
この国の東の端にゆく。
それは彼女にとってルシファーと別れるためのセレモニーのようなものだったので。
その目的を叶えるためにカリイナは最後の財産を売ることにした。
腰まであった自分の長い髪の毛を。
苦労の末、やっとリングヤードのF村にたどり着いたカリイナは先ずレインを探そうとする。
きっと果樹園の人に聞けば種苗商人のレインの情報が得られるはず。
そう思い果樹園のある地域に向かう途中、カリイナは街寄りの広い農道で果物の直売所の看板を掲げる小屋を見つける。
その小屋には商品は並べられておらず、体の大きな男が何やら大工作業をしていた。
汚い野良着を着ていたが、金色の短い巻毛と口角の上がった口もとが見るからに優しそうである。
思い切ってカリイナは彼に声をかけた。
運良くその農夫はレインのことを知っていた。
けれど彼から教えられたレインの情報は彼女に衝撃を与える。
その詳細はこうだ。
レインが苗木を仕入れに都会に行っているうちに国中をよく旅する彼の父親が隣国のスパイの疑いをかけられた。
彼の父親は目端のきく商人だったので、最近の羽振り良さが周りの嫉妬を買い、足を引っ張られたのかもしれない。
新種の苗木を仕入れ、この村に帰って来たばかりのレインも取り調べを受けるハメになった。
国籍が変わることの多いこの土地は元々デリケートな場所である。
一応取り調べの結果、レインも彼の父親も疑いは晴れたのだが、この土地でこのまま商売を続けることに危険を感じたレインの父親は商売の基点をこの村から移すことにした。
ほんの数日前に家族揃ってこの村を出て行ったばかりだと言う。
その話を聞いてカリイナはひどくレインの身が心配になる。
彼の目つきを思い出すと、もしかすると本当にそう言う仕事をしていた人ではないかという疑いも湧いてくる。
けれどカリイナは大丈夫と自分に言い聞かせた。
どちらにしても…
きっとレインならどこにいても、何をしても要領良く生きていける。
「レイン…」
目を閉じたカリイナの脳裏にテキパキとこの村を出る支度をするレインの様子が浮かぶ。
「君…もしかしてカリイナ?」
農夫に名を呼ばれ、目を閉じうなだれていたカリイナははっと顔を上げる。
「あーやっぱりそうか。
すぐにはわからなかった。
髪の長い女の子だってレインから聞いていたから…」
「レインが?私のことを?」
「うん、僕はレインとは同級生なんだよ。
レインが旅立つ前に言っていた。
もしかしたら自分を訪ねてカリイナと言う髪の長い綺麗な女の子が訪ねてくるかもしれないって。
こないかもしれないけどって」
綺麗…?
あの人私のことを怒ってばかりだったけど、そんなふうに思ってくれていたの…?
「もしその子が訪ねてきたら就職先を世話してやってくれないかって頼まれたんだ。
要領は悪そうだけど真面目そうな子だから堅気の仕事を世話してやってくれって」
レイン…
思わずカリイナは胸の前で手を組み彼に感謝を捧げる。
大変な目に会っただろうにちゃんと私のことも気にかけてくれていたんだ、と。
そんな彼女を農夫はまじまじと観察した。
うん、本当にべっぴんさんだ。大人しそうな。
漠然とうちの農園で働いてもらってもいいかなと思っていたけど…
農婦と言うタイプではないか…
「カリイナ、君今日の宿はあるのかい?
この村に着いたばかりなんだろ?」
「あ…いえ…」とカリイナは口ごもる。
正直宿を取るほどのお金はもう残っていない。
「決まっていないのなら今日は家に泊まればいいよ。
ちなみに僕は独身で両親と一緒に暮らしているんだ」
「…ありがとうございます。助かります…」と安堵に満ちた声でカリイナは言う。
「なあ、夕方までちょっと仕事を手伝ってくれよ。
今はここで売るものはないから、この小屋の修理をしてるんだ。
ほら上の方、所々壁が浮いているだろう?
補修したいからそこの釘を一本ずつ僕に手渡してくれないか?
おっと、自己紹介を忘れてた。
僕は見ての通りの農夫でヒースって言うんだ。
よろしくな、カリイナ」
そう言ってヒースはカリイナに微笑みかけた。
こうして少し労働をさせた方が彼女も遠慮なく家に泊まれるだろうと思いながら。
この農夫。ヒースは人並み外れて体が大きく、一見愚鈍な印象を与えたが、意外と気の回る優しい男だった。




