別れの品
翌日、駅馬車はジュディの目的地であるカスマンに昼過ぎに着いた。
今まで親切にしてもらったお礼にお昼をご馳走したいとカリイナは申し出たのだけれど、ジュディはそれを断った。
「カリイナ、早く南に下る馬車を探して乗りな。
リングヤードまではまだまだ長い旅になるよ。
お金は大切にしな。
あ、そうだ、あんたにこれをあげる」
そう言ってジュディは鞄からくたくたになった紙を取り出しカリイナに渡す。
広げてみるとそれはこの国の地図だった。
「アタシね、あの家でつらいなーと思ったことがあった時はこれを眺めてたの。
これでカスマンまでの道を指で何度も何度も辿っていたの。妄想の中で里帰りしてたの。
あんたにもこれから辛いことがあるかもしれない。
そんな時はこれを見て楽しかったことのあった場所を探して心を慰めな。
ちょっとは気が紛れるから」
そう言ってジュディは微笑む。
…なんて優しい人。
地図を手にカリイナは改めてジュディの顔を見た。
栗色のクセの強い髪に少し緑が入った鳶色の瞳。
整っているとは言い難いけれどとても温もりのある顔つき。
ジュディは同い年だけどちょっと幼く見える。
中身はうんとしっかりしているのに。
ああ、幸せになってほしい。
彼女の優しさを搾取することのない人たちに巡り合って…
シュルッとカリイナは自分の髪を縛ってあったリボンを解いた。
そしてそれを黙ってジュディに手渡した。
気づかなかったのか、それとも見逃してくれたのか、レインが質屋で売れと言わなかったサテンの黒いリボンを。
別れの挨拶の品だと思い、ジュディはそれを黙って受け取る。
さよならを言った後、南に下る馬車の乗り場に向かうカリイナを見送ったジュディはあれっと思う。
急に、ひどく心細い思いがしたから。
そして彼女は気づく。
あの頼りない子に寄り添って面倒をみてあげていたつもりでいたけれど、寄り添ってもらっていたのはアタシのほうだったのかもしれない…と。
またひとつあの屋敷での思い出の品がなくなった。
リボン結びが下手だとルシファーが私をからかったリボン…
何度か彼が結び直してくれたリボン…
向かい風にほどいた髪を弄ばれながら歩くカリイナは、知らせの屋敷に行ったばかりの頃のルシファーとのやり取りを思い出していた。
「カリイナ、やがて君は僕の妻になる。
知らせの一族は国中の人から嫌われてはいるけれど、身分自体は高いんだ。
つまり君は特権階級の人間になる。
だからメイドに髪を扱ってもらうのは不自然なことじゃないんだよ?
苦手なら自分でやらずに朝、リンカにでもリボンを結んでもらえばいい。
態度は悪いが彼女はとても器用だから。
彼女のベッドメイクの上手さは君も知っているだろう?」
その言葉に静かに首を振った私にルシファーは言った。
「まあいい。
僕が気づいた時に直してあげる。
それを新しい自分の役割だと思ことにするよ。
ふ、楽しい役目だ。遠慮なく女の子の髪に触れるんだから」とちょっと悪い顔をして。
あ、ダメ。
こんなことを思い出しては。
心が彼のもとに戻ってしまう。
早く…早くルシファーから離れなければ。
遠くに…
二度と会えないくらい遠くに!
カスマンの街道で馬に餌を喰ませていた馬丁は自分のすぐそばを駆け抜けて行った娘を見て、いったい何から逃げてるんだろうと不思議に思い、周りをキョロキョロと見渡した。




