子守唄
カリイナって使えない…とジュディは思う。
8時ごろ道端に立ち、その美声で飯屋に向かう人たちの足を止めされたジュディだったが、カリイナのリズムを外す手拍子に、これなら無い方がマシと思って途中でやめさせた。
昼間ならともかく、微かに人影がわかる程度の暗さの中ではカリイナの美貌も役に立たない。
歌い終わる前に巾着を広げて歌を聞いてくれている人たちからお捻りを回収するように頼んでおいたのに、足がすくんでしまったらしく隣につっ立ったままだった。
しょうがないから歌い終わってからアタシが急いで回収に回ったけど、さっと人はいなくなっちまって…
あーあ。
あれだけ人が足を止めてくれたのに、たったこれだけ。
ジュディが巾着袋を振ればチャリチャリと寂しげな音がする。
これで二人分のパン買えるかなぁ…?
私はなんの役にも立たなかったから、自分のパン代は自分で払うと言ったのだけれど、ジュディはあんたがいてくれたからアタシも道で歌をうたうなんて勇気のいることができたんだよと、彼女が稼いだお金で私の分のパンも買ってくれた。
少し厚目に切った食パンにピーナツバターを塗ったものを。
ジュディに渡されたパンを手にしたとき、初めて自分がお腹が空いていることに気がついた。
院長先生や、当主様がこんな姿を見たら眉を潜めるだろうと思いながら、ジュディと並んで宿に帰る道を歩きながら食べるパンはびっくりするくらい美味しい。
…この美味しさの中にはジュディの優しさも混じっている。
夕飯にしては質素すぎるけど、あの家で双子の面倒を見ながらかっこむように食べていたご飯よりよっぽど美味しい。
このパン。
あ、カリイナもムシャムシャ食べている。
ふふ、お腹空いてたんだね?
…それにしてもカリイナって何者だろう。
孤児院にいた子たちとは全然雰囲気が違う。
か弱いというか、遠慮がちというか、揉まれてないというか…
頭が悪いわけじゃないんだろうけど、要領が悪そう。
こんな子がなんで一人で旅をしようと思ったんだろう。
一体どんな事情があって…
宿屋に再び戻ってきた二人は服を脱ぎ、寒い寒いと言いながら下着姿のままベッドに潜り込んだ。
「ね、カリイナ寝ちゃった?」
しばらくしてジュディがカリイナに声をかける。
カリイナは起きていた。
けれど寝たふりをした。
なんとなく自分のことについて聞かれそうな気がしたから。
ジュディに嘘はつきたくない。
けれど私が知らせの一族の屋敷でその嫡子の婚約者として暮らしていたことを知ったらジュディは私のことをどう思うだろう…
知らせの一族だということだけでルシファーや彼の父親が人々に嫌われ、不当な扱いを受けているところを間近で見てきたカリイナにとって、それを告白することは勇気のいることだった。
なので彼女は寝たふりをすることにした。
そして本当にその後すぐに眠ってしまった。
カリイナとジュディは中堅都市カスマンまでの道中、四泊ほど宿を共にした。
その間雨が続いたので、初日のように道端でジュディが歌をうたうことはなかった。
翌日はカスマンに着くという日の夜、宿屋のベッドの中でジュディはこんな提案をする。
「ねえ、カリイナ。
どうしてもあんたはリングヤードに行かなきゃならないの?
私はあんたがこの先一人で旅を続けるかと思うとなんだか心配。
ね、私と一緒にカスマンで働き口を探さない?
二人で部屋を借りて暮らさない?」
そうしたい!
とカリイナは思った。けれど。
けれどやはり遠くに、出来る限り遠くに行きたいとも思う。
自分に完全にルシファーを捨てさせるためにも彼との間に物理的な距離が欲しい。
そう考えるカリイナにとってこの国の東の果てであるリングヤードは目的地としてちょうどいいように思えた。
できればレインにもう一度会ってホテル代を返したいと思っていたし。
「ありがとう…
そう言ってもらってとても嬉しい。
私もそうしたい…
ジュディと一緒にいたい。
けれどどうしても遠くにいかなければならない事情があるの」
「事情?」とジュディが聞き返すとカリイナは無言になる。
「あ、まあ言わなくていいよ。人には言いたくないことってあるもんね」
ジュディの優しい言い方にカリイナの心が揺れる。
言ってしまおうか…
私の身に起きたことの全てを。
きっとジュディなら受けとめてくれる…
そうは思ったがそれは彼女の気持ちを重くしてしまうような気がして、結局カリイナは言うことは出来なかった。
「お金を持ってたらアタシがリングヤードまで付き合うんだけど…」とジュディが神妙な声をだす。
「ジュディ…そんなに心配しないで。
大丈夫。私こう見えて図々しいの。
だからちゃんと世の中を渡っていけるわ…
それに腹が立つことがあると思いもよらない力が出るし…
いざとなれば何でもできる」
そうは見えないけどなぁ…とジュディは思う。
それしても何を目的にそんな遠くに行こうとしているんだろう…誰かに、何かに追われているのかな?
なにか悪いことをして?
借金取りとか?
それともしつこい男から?
いや、彼女はそんなタイプじなゃないか…
「ねえ、ジュディ。
ジュディはどんな仕事を探すの?」
「うん、どんな仕事でもいいよ。とりあえずは住み込みで働けるとこ。
もしそこが合わなければお金を貯めてから違うところを探すつもり」
「…歌手に…なれるといいのにね。
大きな舞台で歌える…」
「はは、無理無理」
「どうして?
いっぱいの人が足を止めてくれたじゃない。
あんな心地よい声って私初めて聞いた…」
「うん?それは双子に子守唄を歌ってたからじゃないかな。
寝ろ〜早く寝ろ〜って念じながら。
子守唄仕様なんだよ、アタシの声」
「…あの…ね、お願いがあるの…」
「なに?」
「子守唄歌ってもらえないかしら…
私が眠るまで…」
ん?私が眠るまで?
あらほんと。意外に図々しい。
私だってもう眠いのに。
ジュディはくすりと笑ってから小さい声でカリイナのために歌をうたいはじめた。
そういえば…
孤児院に入ったばかりの頃、隣のベッドだったセシルがこうして子守唄を歌ってくれたことがあった。
お母さんぶって…
あの頃のセシルはおままごとのお母さん役を誰にも譲らなかった。
セシルやルシファーはとにかく人の面倒をみたがる人だった、小さい頃から。
あの二人はとても似ている。
ふふ。…やっぱり私は屋敷を出てよかった。
ルシファーをセシルに返して…
どれどれ、カリイナもう寝たかな?
あれ、なんでこんな顔して寝てるんだろ?
気持ちよく眠れるように魂を込めて歌ってあげたのに。
暗闇慣れてきた瞳で、カリイナの顔を覗き込んだジュディは彼女の寝顔を不思議に思う。
それは本当に寂しげな、悲しげな顔だった。
セシルへの罪悪感から逃れて一旦軽くなったカリイナの心にはまたルシファーへの思慕が戻りはじめていて、それがカリイナをこんな顔にさせていた。




