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傘のなか

カリイナは雨で冷えた体をお湯で温め、借りた服に着替えた。


ここは中産階級のビジネスマンを相手にするホテルでカリイナの部屋にはボイラーで沸かしたお湯が出る小さな浴室が備わっていた。


下着を洗濯して、それと共にぐしょゆれだった外套やワンピースをタオルドライしてからストーブの近くに干し、小さなバックは表面を拭いてからベッドの枕元に置く。

そして最後に自分の濡れた髪をストーブに当て乾かす。


ずいぶん時間が経ってしまった。あの人を待たせているかもしれない…

そう思いロビーに降りて行こうとドアを開けたらいきなりさっきの男が部屋に入って来た。


カリイナになにを言う間も与えず、干してある外套とワンピースを何かブツブツ言いながらチェックし始めた。


あっと思い、カリイナは一緒に干してあった下着を急いで紐から外しベッドの下に放り込む。

そんな彼女を気にすることもなく男は言った。


「君が持っていたバックはどこだ」


カリイナはもしかしたらこの人の方が悪者だったのかもしれない…と不安になる。

不安になりながらも黙ってバックを彼に差し出した。

少し霞んだ黄緑の天鵞絨のバックを。


「この刺繍されているビーズ…本物の翡翠じゃないか?

留め金に埋め込まれている石は…エメラルドなのか?」


うーん、と唸ったあと男はバックをカリイナに返し「さあ、下に行くぞ、ちゃんと鍵を閉めてから来るんだ」と言って部屋を出て行った。


カリイナは訳がわからずぼうっとしていたけれどしばらくするとベッドの下から下着をとり出し、再び洗濯紐にかけてから部屋を出た。言われたとおりちゃんと部屋の鍵がかかっているかを確認してから。



ロビーに降りていくと男は中央に置かれた大きなストーブをぐるりとり巻く椅子に腰掛けていた。

カリイナは彼の隣の椅子に座る。


ロビーにはカリイナたちのほかにも数人いて、同じようにストーブ近くの椅子に腰掛けたり、立ったまま歓談していた。


カリイナは部屋のベッドの上にあったブランケットを横に三つに折ってそれを肩からかけて上半身を包んでいた。

下着を付けていなかったのでそれを気づかれないように。


彼女は濡れた靴を乾かすように足先をそっとストーブの方の伸ばす。


暖かいな…


ここに来てカリイナはやっとほっとした。

それにしても、ルシファーと別れるとはこういうことだったのかとカリイナは思い知た気がする。


もう誰も黙って私を守ってくれない。

一人の私は無力で、お金を無くし、人に騙されかけ、助けてくれた人には怒られ…


愛される愛されないとかは別にして、私は今までルシファーの広げたの大きな傘のなかにに入れてもらっていた。

あの人の側にいればどんな人でも入れてもらえる大きな傘の中に…




無言で大きなダルマストーブの炎を見るカリイナに男は尋ねた。


「名前は?」


「カリイナと申します」


そう名乗ったカリイナに小さい声だなと男はダメ出しをした。


「歳は?」


「来月17になります…」


見た目通りの歳だなと男は思う。


「私はレイン。苗木を扱う業者だ。

早速だが…

カリイナ、家に帰れ。

君は家出娘だろ?」


「…私に家はありません」


「家出娘はみんなそう言う。

ふん、家出の理由などどうせ意に染まない縁談を親に押し付けられたとか、そんな類のことだろう」


そう言うとレインはふいっと横を向いた。


「いえ、私は孤児なので…家は…本当にないんです」


「っ、だから声が小さい!もっとはっきり喋れ。


家の無い孤児が何であんないい身なりをしてるんだ。

君が着ていた服は間違いなく貴族階級の娘のものだ、それもかなり上流の」


聞こえているじゃないの…とカリイナは心の中で小さくこの恩人に反抗する。


それにしても自分の身の上をどのように説明していいかカリイナはわからない。


知らせの一族の屋敷にいたことがわかったらこの人は驚いて今すぐ私を見捨てるかもしれない…

困る…

お金も行くあてもないのに…


「あの服は…私が奉公に上がった屋敷の当主様が買って下さったもので…」


しどろもどろにカリイナはそう説明する。


レインは、はあん、そう言うことかと思った。


この娘はその当主様とやらに気に入られ彼女の気を引くためのプレゼントをもらっていたのだ。

けれどそういうことに嫌気が差して屋敷を逃げ出してきたのだな、多分。


「カリイナ、その屋敷に戻るつもりは無いのか?」


「ありません!」


きっぱりと言い切ったカリイナに「ふ、ちゃんと大きな声が出せるではないか」と言ってレインは笑った。


「じゃあ君はこれからどうするつもりだ?

金は持っていないんだろう?

あんな男の誘いに乗って付いて行こうとしていたくらいだから」


「はい、多分落としたかスリに会って無一文です…

でもどうしても屋敷にはもどりたくないんです。

私はもう少し田舎の方に行って新しい働き口を探したいと思っています」


「そんな困窮した顔で慌てて職を探したらまた怪しげなヤツに目をつけられるのが関の山だ。

堅気の職につきたいのなら、焦ってはダメだ。

納得のできる職に就くためには職探しの間をしのげるだけの金が必要だ。

まず金を作れ」


どうやって?とカリイナが尋ねる前にレインは畳みかけてきた。


「明日質屋で持ち物を売れ。

コートやドレス、バックを売って安いものに買い替えろ。

君の持ち物はかなりの金になる」


一瞬迷う、カリイナは。

あれらを購入した時のことを思い出して。


あれはみんな当主様が選んでくださったものだ。

外套など襟の高さ1ミリまでこだわって作ってくださった。

ルシファーもドレスの布を一緒に見てくれたけど、彼は途中で飽きてしまって上の空だった。

当主様だけが真剣に根気よく私の肌の色に合う生地を選んで下さって…

当主様…


感傷にしたるカリイナにレインは君にはそれ以外の選択肢は無いと告げる。


「はい、そうします」とカリイナは答えた。

彼女も彼の言う通りだと思ったので。


するとレインはそうか、と言ってフロント横の売店に向かい、一番質素なサンドイッチを注文し、それを紙で包んでもらったものをカリイナに手渡した。


「あり…ありがとうございます」と彼女はそれを受け取る。


「部屋に戻って食べろ」と言った後レインはホテルの玄関に向かおうとした。


「あ…どこに?」


カリイナがひどく不安げな声を出す。


するとレインは振り返ってこう言った。


「ちょっといいホテルに泊まって都会の洗練された女のいる店で一杯飲むのがこの旅の苦労を乗り切るための原動力の一つなんだ。

カリイナ、明日の朝8時にロビーで待ち合わせだ。

朝一番で質屋に行く」


カリイナをその場に残し、レインは玄関横の鏡で自分の姿を確認した後、雨が上がった夜の街に出かけていった。

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