カリイナのあれから
屋敷を出てからのカリイナにはそれなりの苦難があった。
品はないが親切な夫婦の営む宿屋の朝食の準備と後片付けを手伝った後、昼食まで食べさせてもらってから宿を出た。
その後すぐ、カリイナはスリに会ってしまう。
田舎の孤児院と閉鎖された貴族の屋敷での生活しか知らないカリイナのような娘はそう言った類の人間から見たら格好のカモだった。
中古品を扱う小さな小道具屋で手頃な旅行鞄を買おうとした時、カリイナはバックに入れたはずの金貨がないことに気づく。
ひどくそれに動揺した彼女に対して店の店主は冷たかった。
いちいちこんな事案にかまっていたら商売にならない。
ここは都会だ。
絶対見つかるはずはないと思いつつ、町の警備所に届け出ることを勧め、店主は店からカリイナを追い出した。
ついてない時はついてない。
店を出ると小雨まで降り出した。
道ゆく人に警備所の場所を尋ねようと思っても皆降り出した雨を避けようと小走りで行き過ぎてしまう。
しかたないのでカリイナもひとまず雨宿りすることにした。
表通りと交わる小さな路地の少し奥まったところに開店していないバーの小さな庇を見つけそこに避難する。
雨足は少し強くなってきた。
それを避けるようにカリイナが雨宿りしている庇にひとりの男が駆け込んできた。
三十を少し越えたくらいだろうか?
気軽に「急に天気が変わったね」とカリイナに声をかけてきた男の顔を見て彼女はあっと声を上げそうになる。
似ている…ルシファーに。
顔立ちもこの人に垣根を感じさせない懐っこい雰囲気も。
ルシファーも大人になったらきっとこんな感じだろう…
あまりに驚いてカリイナが彼を見詰めたので、男も少し変に思ったようだ。
「どうしたの?
なにか…困り事でもあるのかい?顔色が悪いよ」
「い…え…」
「そう?
先に言っておくけどこれはナンパじゃないよ。
若い頃はそう言うこともしたけど、今はもうそんな歳じゃない。
この先に顔馴染みのカフェがあるんだ。
そこで少し話さないか?
隠してもわかるよ、君家出娘だろう。
そこで事情を聞くよ。
僕に何か力になれることがあるかもしれない」
そう言って顔を覗き込んできた男の顔がカリイナにはルシファーに見えた。
彼ももし困った女の子を目の前にしたらきっとこうやって声をかけるだろう。
ふらり付いて行きたくなる。
けれど知らない男の人について行って大丈夫なのだろうか?
ああ、でもこんな見知らぬ街でお金もあてもなくひとりぼっちだなんて心細すぎる…
男はカリイナの心の揺らぎを見てとった。
「さあ、行こう」と言うといきなりカリイナの手首を掴んだ。
その時バーの前の道を通りがかった若い男が叫んだ。
「君!その男はタチの悪い口利き屋だぞ!」
え…?
驚いてうろたえたカリイナの前で二人の男は睨み合う。
「前にも同じように若い娘に声をかけていたところを見たことがある。
その娘は今場末のバーにいる!」
そう若い男が言うとルシファー似の男は言い返した。
「騙されてはいけない!
あの男こそ人買いの手先だ!」
二人の剣幕に間に挟まれたカリイナは怯えた。
怯えながらも二人を観察する。
若い男の方は目つきがあまり良くない。
目が細いからそう見えるだけなのかもしれない。
特に高級そうではないがサイズの合ったジャケットを着てシャツのボタンは一番上まで溜まっている。
そして髪もきれいに撫でつけられている。
一方ルシファー似の男は無造作な服の着方。
髪は特に作り込まれていない。
いなせと言えばいなせ。
それが孤児院にいた頃のルシファーを思い出させる。
すうっとカリイナの体はルシファー似の男に吸い寄せられそうになる。
その刹那、カリイナは思い出した。
自分はルシファーと離れて生きて行こうと決意したばかりではないかと。
カリイナは男の手を思い切り振り払った。
そして若い男が顎で指し示した方向に走っていった。全速力で。




