父の病
前日、父親の顔色が少し悪いことには気づいていた。
軽く咳もしていたし。
だから、ビルドから今日は一人で城に行くようにと彼からの伝言を受けた時、父は風邪をひいたのだなと思った。
あれから一週間経つが父親はまだ伏せっている。
さすがにルシファーも心配になる。
寝室に様子を見に行きたいのだけれど、それをビルドに止められている。
部屋に入るのを許されているのは城から派遣された医師と看護の専門職の者のみだった。
明日は良くなるだろう、明日は良くなるだろうと思い続けているうちに父が寝ついてから半月が経った。
こんなに長く父の顔を見ないのはこの屋敷に来てから初めてのことだ…
ルシファーは寂しさと不安を感じていた。
常駐する看護の者を捕まえて話を聞いてもそんなに深刻な病状ではありませんので心配いりませんと言われるだけだ。
心配しないわけにはいかない。
すでに半月も寝込んでいる。
もしかして…
移る病気なのだろうか?
だから私は部屋に入ることを許されないのではないだろうか。
ドキリと大きく胸が鳴る。
最近流行り始めた悪い病気の噂を思い出して。
これは…罰なのだろうか?
父が本当の父ではないのではないかと疑ったりしたことへの。
容姿も性格も少しも似ていない父と自分を比べると、一度湧いたその疑いはどうしても消せなかった。
フロリナ王女に叱られた後も。
私は今その不敬を天から戒められているではないだろうか…?
こうなって初めて気づく。
血が繋がっていようがいまいが父は父だ。
私は世間に認められた父の息子だ。
正の遺産も負の遺産も受け継ぐ権利を持っている。
だからこそ彼と一緒に辛い役目を担い、共に皆から嫌われている。
これ以上の深い絆があるだろうか?
私になんの遠慮がいるのだ?
…会いに行こう。
叱られても構わない。
そう思いルシファーが父の寝室に向かうと寝室の前ではライアがうろうろと部屋の前の廊下を行ったり来たりしていた。
ルシファーに対しては憎らしいほど冷静で小生意気な態度をとる彼の動揺が見て取れた。
もしかして彼も部屋に入ろうとして追い返されたのかも知れないとルシファーは思う。
…目障りだ。
ルシファーはライアに意地悪く「仕事をサボるな。
お前は主人から与えられる給金にふさわしい作業をこなせ」と言い放った。
ライアはキッとルシファーを睨みつけたが、無言でその場を去っていった。
ライアを追い払ってからルシファーは呼吸を整え部屋に入った。
彼が父の寝室に入るのは初めてのことだった。
前室には看護の者が椅子に座って控えている。
「だれも入れないようにと申し付けられております」
看護の者は立ち上がってルシファーにそう告げたのだが、その言葉を無視して彼は扉を開け奥の部屋に入って行く。
ここが父の寝室…
その部屋に漂うなんとも言えない重い空気に思わず怯む。
飾り棚やテーブル、ソファーは同じこげ茶の色調で揃えられている。
作られた年代に差はあるのかも知れないけれどそれらの家具はどれも陰気な感じがする。
そして一際異様な空気を放っていたのは部屋の中央に置かれたベッドだった。
その下に敷かれたラグはまるで時間の経った血のように赤黒く、ルシファーの不安を煽る。
独特な色彩感…
明らかに父は自ら知らせの一族当主の住むべき部屋を演出している…
この部屋の広さに比べて少し小さいように見えるベッドに父親はドアのある方とは逆に顔を向けて横たわっていた。
微動だにしなかったが、父は多分眠ってはいないとルシファーは感じた。
しばらくすると父はこちらに背を向けたまま語りかけてきた。
「…ルシファー
出て行きなさい。私は人がいると寝れない」
「いやです」とルシファーはその頼みを断った。
こんな弱々しい声を出す父を一人にしておけないと思い。
「バカ…
君が思うような深刻な病ではない…
病とさえ言えないかも知れない」
「病でなければなんなのです?」
「…疲れだ。
私は毎年5月に疲れが出るのだ、一年分の。
日数にばらつきはあるが、毎年こうなる」
ルシファーは自分を安心させるために父はこんなことを言っているのではないかと思う。
それを父親は察した。
「嘘ではない。
疑うならビルドに聞いてみたまえ」
…そう言われてみれば確かに、前に広報係の誰かがそんなこと言っていたような気がする。
ふと、父親のベッドの側に置かれたサイドテーブルに目が行く。
これまた重々しく天板の側面にはぎっしり神話の彫刻が施されている。
そしてその上には無造作に父親がいつもつけている銀のロケットが置かれていた。
彼は相変わらず背を向けていてこちらを向く気配がない。
そーっとルシファーはそれに手を伸ばす。
そしてロケットに手が触れそうになった時、「ルシファー」と名を呼ばれ慌てて手を引っ込めた。
「出て行きなさい。
私は今毒を吐いている。
世間からの嫌悪や、知らせた相手が放つ悲しみや怒り。
心や身体に染みついてしまった様々な人々の感情を抜いているのだ。
君はこの部屋にいてはいけない。
そのロケットが欲しいなら君にやろう。
それを持って出て行きなさい…」
ルシファーは父の背中には目があるのだろうかと思った。
いや…
私の考えることなど、この人にはお見通しなんだろうな。
…だとすれば、自分が本当は父の子ではないのではないかと疑って悩んでいることも彼には分かっていたのではないだろうか?
「父上…
申し訳ありませんでした」
小声でそう言ってルシファーはうなだれた。
自分のそういった感情も父を疲れさせたのだと思い。
その声に対する父親からの応えはなかった。
呼吸は安定している。
苦しんでる様子もない。
本人の言うようにただ疲れているだけなのかも知れない。
自分が心配しすぎるのもきっと彼の新たな負担になる…
そう思ったルシファーは再び父に声をかけることなく静かに部屋を出て行った。
父を病気で失うかもしれないという不安に襲われたことで、ルシファーは自分が知らせの一族の嫡子だと知らされてからは運命の渦に揉れながらも、父親と言う保護者を得たことにはそれなりの幸せを感じていたことに気づかされたのだった。




