戸惑う
ルシファーがわざとゆっくり宿直室を出て行く様は、リンカを益々苛立たせた。
彼女は彼が出ていった後、室内ををイラつきながらグルグルと早足で歩きまわる。
悔しい。このままずっと彼にいたぶられ続けるわけにはいかないと思いながら。
今度来た時は私も明確な反撃をしよう。
そんなことを言うあなたこそが私のことを好きになってしまったんじゃないの?と。
そう考えついた時、不意にリンカの脳裏にあの時、間近に見たルシファーの顔が浮かんできた。
押し問答の末、いきなり態度を豹変させてきたビルド。
咄嗟にかわした拳は顔をかすめる程度だったけど、それでも体が吹き飛んだ。
怖かった…
いつも冷静なビルドとは違う人みたいだった。
けれどルシファーがすぐに駆けつけてきてくれて…
殴られた箇所をそっと触ったルシファーの心配そうな顔を息がかかるほどの至近距離で見たことを今になって気づき、顔が火照り足が止まる。
リンカはそんな自分に戸惑う。
…
好きになってしまったのは私のほうだろうか?
リンカは雨の夜にルシファーに押さえつけられた時の感触がまだ残っている肩にそっと手を当てた。
彼に来られるのを迷惑に思いつつも彼が帰ってしまった後に感じるこの一抹の寂しさ…
リンカはいたぶられてはいるけれど、あんな悪いことをした自分をルシファーは嫌ってないような気がしている。
もしも私がルシファーを好きで、彼も私のことが好きならば…
リンカはルシファーと寄り添う自分の姿を思わず想像してしまう。
屋敷に勤めていた頃、目にしていたルシファーとカリイナが寄り添い静かに語り合う様子を思い出し、カリイナの替わりに自分の姿をルシファーの隣に置いてみる。
そして瞬時にそんな自分を戒める。
ダメよ。
私がカリイナを陥れようとしたのは私たち家族の運命を変えてしまったあの娘への恨みからだった。
もし今ルシファーを好きな自分を認めてしまったら、それは家族のためではなく自分自身のためにカリイナとルシファーの仲を引き裂いたことになってしまう。
そんな…卑怯な自分は許せない。
キッと彼女はルシファーが出て行ったドアを睨みつけた。
もうルシファーの来訪を許さないことにしよう。
二度とこの部屋には入れない。口もきかない。
リンカはそう強く決意したのだけれどその後ルシファーが宿直室を訪ねてくることはなかった。
3月のある日、無意識にルシファーの来訪を待つリンカの元に当主がやってきた。
その突然の訪問にリンカはひどく驚く。
いったい何事かと身構えたリンカに当主は問う。
「リンカ、君は絵が描けるか?」と。
「はい」とリンカは答える。
「では弟の似顔絵を描きたまえ。仕上がったら書斎に持って来なさい」
そう言って当主は木炭と数枚の紙を彼女に渡した。
リンカは当主の命令に応じて一生懸命弟の姿を思い出しながら絵を描いた。
途中辛くなって手が止まったりもしたが、なんとか与えられた紙の分は書き終える。
仕上がった絵を眺めていたら、このまま取っておきたい気持ちになった。
けれど彼女はそれを押さえて当主の書斎に向かった。
彼女の持ってきた絵を見て当主は思わず上手いな…と腹の中で唸った。
「君の弟探しは手がかりが無く難航している。だが、その年頃の身元不明の遺体が発見されたとの報告も受けていない」
遺体という言葉を聞きリンカは体が震えてきた。
「君の描いたこの絵は捜索の助けになるだろう。
こんなに上手いのならもっと早くに描かせておけばばよかったな」
リンカはそう言った当主が少し後悔しているような顔をしていることに気づく。
それは当主が本気で弟を捜してくれている証明のような気がした。
リンカはここに勤めていた三年の間、当主のことをとても不気味に思っていた。
会話などする機会はほとんどなかったが、何かつかみどころのない人間だと思っていた。
態度はひどく紳士的であったが、優しい人には思えなかった。
けれど、この前、ルシファーの優しさにつけ込むなと警告された時、この人にも血が通っているのだと感じた。
そして今この瞬間も。
知らせの一族とはいえ、この人も親であり、人間なのだ…
今更ながらそんなことにリンカは気づく。
彼女は「よろしくお願いします」と心から当主に頭を下げて、部屋に戻って行った。




