マッシュポテト
観劇の翌々日、ルシファーはシンシアと共に調理場にいた。
観劇に連れて行ってくれたお礼にシンシアが、クッキーを焼いてくれるというので、それなら自分も手伝いたいとルシファーは申し出たのだ。
その日彼は登城の予定も知らせの予定もなかったので。
シンシアはルシファーの作業の手際の良さに舌を巻いた。
それを褒めたら彼は「私は肉体労働向きなんだ」と笑う。
シンシアはクッキーが焼きあがったら部屋に届けますよと言ったのだが、ルシファーはオーブンから出たばかりの温かく少し柔らかいクッキーが食べたいと言ってその場に留まった。
そんなルシファーに向かってシンシアはおもむろに話し始める。
「あのね、坊ちゃん。
私はお母様のお話はできませんけれど、カリイナさんのことなら話せることがありますよ」
「カリイナの?」
少しルシファーの顔が曇る。
それを見てシンシアはあら、まずかったかしらと思った。
「あ、や…そんな大したことじゃないんだけど」
少し間を置いてから「シンシア、聞かせてくれ」とルシファーが言った。
「いや、ほんとにそんな深刻な顔されるほどの話じゃないんですよ?
ただ、カリイナさんがここに来て坊ちゃんの食事に注文つけてたってだけで」
「注文?」
「そう、トマトの種は取ってやってくれだのマッシュポテトは固めに作ってやってくれだの。
正直その時はうるさいなと思いましたけど」
そういえば…とルシファーは思い出した。
確かに孤児院にいた頃固いマッシュポテトが好きだと彼女に話したことがあったなと。
けれどそれは腹にたまるからという意味で言ったに過ぎない。
この屋敷に来たばかりの頃、ここで出される生クリームでのばしたマッシュポテトが美味いと思っていたのだけれど、いつの間にか固いマッシュポテトに変わってしまったことを不思議に思っていた。
カリイナがそんな注文をつけていたからだったとは…
「余計な事を…」
「え?」
「いや、なんでもない。
カリイナはかん違いしていたんだ。
私が固いマッシュポテトが好きだと。
シンシア、元に戻してくれ。君のレシピの柔らかく舌触りの良いマッシュポテトが美味しかったから」
「なんだ、そうなんですか。
わかりましたよ」
マッシュポテトの話をした後うつむいて黙り込んでしまった坊ちゃんを心配して眺めていたら、急に顔を上げて「シンシア…トマトの種は今まで通り取ってくれて構わない」と言ったので笑っちまった。
やっぱりトマトの種が苦手だったのかい?あら、可愛らしいと思って。
クッキーが焼き上がりオーブンから鉄板を取り出しているところにビルドさんが来て城から呼び出しがあったと坊ちゃんに告げた。
坊ちゃんは食べたがっていた焼きたてのクッキーを一枚も口にする事なくここを出て行った。
なんだか一人残されたことがつまらなく感じる。
そうだ、クッキーを少しリンカに差し入れしてやろうと思い、宿直室に向かっていたら坊ちゃんが階段を降りてきた。
黒い上着をきっちり着込み厳しい顔をして。
私には目もくれず早足で玄関に向かう。
ああ、私の幻の息子が知らせの一族の嫡子の顔に戻り辛い仕事に出かけて行くよ…




