発疹
王妃の侍女、サンドラは鏡に映る自分の顔を見てため息をついた。
どうしてこんな時に病気になんかなるんだろう…
本当だったら今日は知らせの一族の嫡子、ルシファー様と観劇の予定だったのに。
サンドラは知らせの一族の当主に頼まれてルシファーの観劇マナーの授業の相手役を務めることになっていた。
王妃の前で知らせの一族の当主にそれを頼まれた時、どんな返事をすればいいのかわからなかった。
彼女はチラリ王妃の顔を見る。
王妃は静かに頷く。
私に頼む前に王妃様にすでに話を通してあるのだと気づいたサンドラは淡々と「承知致しました」と言った。
共に王妃に仕えるのもう一人の侍女、マアヤは二人きりになった時、ひどくサンドラを気の毒がった。知らせの一族の嫡子にエスコートされて観劇に行かなければならないなんて、と。
気の毒がりながらも、話を持ちかけられたのが自分でなくてよかったと彼女が胸をなでおろしていたのがサンドラにはよくわかった。
実はサンドラにはルシファーに恩を感じていることがある。
だから観劇のパートナーを務めることがあの時の恩返しになれば…と密かにと思っていたのだが、観劇予定日の数日前に顔に発疹の出来る病気になってしまった。
ただの発熱や、感冒などなら無理をして観劇に行くことができる。
けれど明らかに病気だとわかるこんな顔では、それができない。
それにこの病気は人に移る。
助けてもらったあの日からサンドラにとってルシファーは気になる存在になっていた。
そう、それはルシファーが城に出入りするようになってまだ間もない頃。
王妃は身分の高い貴族を自室に招きお茶会をした。
六人ほどの少人数で。
その中にルシファーもいた。
ほかの参加者は最初彼が知らせの一族の嫡子だと気がつかなかった。
だから王妃が彼を紹介した時、皆ぎょっとした。
なぜ王妃のお茶会に知らせの一族がいるのだ…と思い。
ルシファーの参加は王妃の客たちへの嫌がらせである。
王妃は王の2度目の妻だったのだが、あまり身分の高い出身ではなかったため、美貌一つでのし上がった彼女を軽んじる風潮が宮廷にはあった。
その日招かれた客はそれが特に目立つ者たちだった。
皆、一瞬でルシファーとの同席に不愉快になる。
けれどお茶会はダラダラと続く。
ルシファーはその場で一言も発しなかった。
賢明である。
多分誰も彼の言葉に応えるものなどいないだろうから。
実はこの日、サンドラもマアヤも腹痛を起こしていた。
原因は昼にモリアス夫人に差し入れられた豚肉のパイだと推察される。
王妃の友人のモリアス夫人の子息は美男子で、二人の侍女は密かに心を寄せていた。
だから彼女に気に入られたい気持ちが働き、少し味に違和感を感じたのだけれど、美味しい美味しいと言って二人は夫人の前でそれを食べた。
先にマアヤに腹痛の症状が出た。お茶会の前に彼女は医務室に駆け込んでしまったので、給仕はサンドラだけが担当していた。
会が始まってしばらくするとサンドラもお腹が痛くなってきた。
なので一刻も早くお茶会が終わってくれるよう祈りながら彼女は給仕をしていた。
そろそろお開きに…と言う空気が流れた時、王妃はそうはさせじとサンドラにもう一度皆にお菓子を配るように命令する。
サンドラはだんだんひどくなる痛みに冷や汗が出てきた。
籠に入った焼き菓子を円卓に座る客人に配っている時。そう、ちょうどルシファーの斜め後ろから彼の皿に菓子を置こうとした時に、ギュルギュルと腹が大きく鳴った。
その音は会話が途切れていた場に響き渡る。
サンドラは恥ずかしさのあまり死にたくなった。
ところが…
「失礼」
腹が鳴り終わったのと同時にルシファーがそう言ったのだ。
皆はルシファーを見て失笑した。
隣の席の者同士で顔を寄せ合って彼の無作法を侮辱するような言葉をささやきあった。
が、ルシファーはそれを気にすることはなかった。
何事もなかったように平然と配られた菓子に手を伸ばしている。
…身代わりに…なってくれた…
この方…
その咄嗟の機転と思いやりにお礼を言いたい気持ちでサンドラはルシファーを見つめたのだけれど彼はまっすぐ前を向いたままでサンドラの方をチラリとも見ようとしなかった。
そんな出来事の後、何回か城の廊下で彼とすれ違ったことがあるが、ルシファーはサンドラを気にもとめない。
私を思いやってあの時のことを忘れているふりをしてくれているの?
まだ若いのになんて優しくて気遣いのある人だろうとサンドラは思った。
彼と二人きりになる機会があればあの時のお礼が言える…
そう考えていたサンドラは観劇の相手を依頼されたことを密かに嬉しく思っていた。
なのにそれは頬の発疹によって無くなってしまった。
サンドラは窓辺に行き窓を開ける。
そしてそこから知らせの一族の屋敷のある丘の方を眺めながらまたひとつため息をついたのだった。




