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観劇

観劇の日の夕方、玄関にいるドレス姿のシンシアの周りを使用人たちが物珍しそうに取り囲んでいた。

そこによそ行きの服に着替えたルシファーが階段を降りてきて「シンシア、綺麗だな」と声をかける。


その一言にシンシアも周りの使用人達も驚いた。

使用人たちは皆ビア樽がドレスを着てるみたいだと思っていたので。シンシア自身も。


ミセスグレインだけは、女性を褒めるのは紳士の紳士たるあかしと、満足気に頷く。


「さあ、行こう」と言ってルシファーはシンシアに手を差し出した。




ミセスグレインはまだルシファーは一般には知らせの一族として知れ渡っていないので、一観客として、ビジター用のボックス席のチケットを購入することを勧めた。

その劇場には知らせの一族専用のボックス席があったのだが。


ルシファーは先にシンシアを席までエスコートしてからボックスの入り口のカーテンを開けてくれていた案内係にチップを渡した。


あれほどひゃーひゃー観劇を嫌がっていたシンシアであったが、劇が始まってしまえば、そこは女子。劇に夢中になり、クライマックスの悲しいシーンではぐすりと鼻をすする。

すかさずルシファーはハンカチを彼女に差し出す。


彼らの後方で様子をチェックしていたミセスグレインは、女性に対してのマナーは教える必要がなかったかもしれないと思った。ルシファーの自然の振舞は、そのままマナーにかなっている。

むしろ、内気なカリイナの方に、スマートなエスコートのされ方を伝授したかったと思った。




観劇後、ルシファーとシンシアは劇場の前でミセスグレインと別れた。

別れ際、ミセスグレインは総評をした。


「ルシファー、あらゆる場面でとても紳士らしい態度でしたよ。

女性に対する優しさも滲み出ていました。

今日はあなたに合格点を差し上げます」


この言葉を聞いてルシファーはカリイナを逃すまいと髪を掴んでしまった日のことを思い出す。

あれを知ったら父親以上にこの人は自分を叱責するだろうなと思い、思わず肩をすくめてしまう。




知らせの一族の紋章の付いた馬車は劇場前ではなく、二つ先の辻の車寄せに停めてあった。


そこからは劇場まで歩いてきた。

帰りもそこまで歩いて行く。


二人で歩くその通りは都を走る大きな街道と並行している。

老舗の服飾店やレストランが立ち並ぶ賑やかな通りだった。


知らせの途中、馬車で通ったことはあるが、こうして歩くのはルシファーにとって初めてのことだった。

この通りに限らずルシファーが街を徒歩で歩くことはほとんどない。


レストランの大きなウインドウに移る自分たちの姿を見てルシファーはシンシアに問いかける。


「シンシア、周りからは私たちは歳の離れたカップルに見えただろうか?」


ふんっとシンシアは鼻を鳴らす。


「馬鹿言っちゃいけません。

恋人のいないマザコン息子が母親と観劇に来たと思われたでしょうよ」


シンシアの返しに、あははとルシファーは笑う。それは事実だと思い。


「坊ちゃん…あの…

今日はありがとうございました。

こんな綺麗なドレスを着させていただいて、劇も見せていただいて…」


「うん…」


ルシファーは軽くうなずいた後、シンシアに質問する。


「シンシア、君は私が生まれた時も屋敷にいたのだな?」


「…あ、はい」


「母のことも知っているな?」


「ええ、まあ」


「どんな人だった?」


シンシアは口を開きかけたが、何か引っかかるものを感じルシファーの質問には答えなかった。


「坊ちゃん、お父様にお聞きになるのが一番だと思いますよ」


「父はあまり話してくれないのだ」


「それなら私もお話しできませんよ。

当主様も何かお考えがあってのことなんでしょうから」


「そうか、そう思うか」


シンシアは少しがっかりしているルシファーに優しく語りかける。


「私はねぇ、当主様を随分冷たい人だと思っていましたよ。生まれたばかりの赤ん坊をすぐさまよそに預けちまうなんて。さすが知らせの一族だってね。

でもねぇ、ここ2、3日で考えがちいっとばかり変わってきました。

当主様が坊ちゃんを手放さず、あの屋敷で育てていたら、坊ちゃんはさっきみたいに明るく笑う性格にはなってなかったんじゃないかって」


「…」


「当主様は坊ちゃんが心から笑える人になるよう、手放したんだなと思いましたよ。

そうなって欲しかったんだろうなって」


「…」


「だからねえ、心配させちゃいけませんよ。お父様に。

朝食…

朝食はちゃんと食べた方がいいですよ」


ルシファーは思わず立ち止まる。


「ありがとう、私たち父子のことを気にかけてくれて。

この屋敷に来てそんな優しい言葉をかけられたのは初めてだ」


その言葉にシンシアは申し訳なさそうな顔をした。

そして語り始める。


「あのねえ、屋敷の中では私達は雇用主と使用人と別れていますけれど、世間から見れば私らは知らせの一族の屋敷の人間なんです。

つまり…世間の人にとってみれば私らも知らせの一族の一味なんです」


「一味…」


「だから…私らにもそれ相当の世間からの風当たりはあるんです。

親戚付き合いにも近所付き合いにも支障があります。

…あの家のおかみさんは知らせの一族に関わりのあるものだ、不吉だって。

うちなんか親にも縁を切られたんですから。


私はあんまり働かない亭主がいるもんで給金のいい知らせの屋敷に勤め始めたんですが…

もしこの屋敷に勤めてなければもっといい人生だったんじゃないかと考えちまって。

だからその…つい当主様に良くない態度をとってしまっていたんですよ…」


「君たちにも事情があると言いたいのだな?」


「いや、まあ反省はしてますよ?」


「それにしても…一味と言う言葉はよくないな。

…身内…世間から見れば君たちも知らせの一族の身内と言う言い方の方が的を射てるんじゃないか?」


「ああ、そうですね」


シンシアはうんうんとうなずいた。


「身内なら、仲良くしなければいけないな?」と言ってルシファーは彼女に微笑みかける。


その瞬間、シンシアは私にもこんな息子がいたらどんなに幸せだっただろうと、子供のいない自分を少し寂しく思ったのだった。

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