どこが?
当主との話を終えたリンカはルシファーの部屋を訪ねた。
ノックをした後「入れ」と言われ、少し緊張したが、彼の父親に今回の騒動の顛末の報告と、雨の夜の謝罪をルシファーにしてくるよう命じられていたので、彼との対面を避けるわけにはいかない。
どんなにバツが悪くても。
ルシファーは自分は小さい応接セットのソファーに座り、リンカにはテーブルを挟んだ向かいの椅子に座るよう勧めたが、彼女は椅子の横に立ったまま話を始めた。
「先程は助けていただいてありがとうございました。
当主様のご慈悲で、弟の捜索を王室の諜報活動の協力者に頼んでいただけることになりました。
ビルドさんとのトラブルも当主様の仲裁で解決いたしました。
またありがたいことに私に弟が見つかるまで、宿直室で寝泊まりして良いとおっしゃって下さいました。
その間、臨時の使用人としてお給金も出していただけるそうです。そして使用人の宿直用としては客室を一つ解放して下さるそうです」
リンカは本当は家に戻って弟の帰りを待ちたかった。
けれど今は当主の機嫌を損ねてはいけないと思い彼の提案という名の命令に従いこの屋敷で当分過ごすことにしたのだった。
なるほど父はこの顔でリンカを市井に放すわけにはいかないと思ったのだな。ビルドとこの屋敷の体裁のために…と思いながらルシファーはリンカの話を聞いた。
「そして雨の夜のことですが…」と言い始めて思わずリンカは言葉に詰まる。
ルシファーはリンカが次の言葉を発するのを待つ間、彼女の姿を観察していた。
どうして彼女はいつもこんな特異な姿で自分の前に現れるんだろうと思いながら。
今は顔を腫らして。
この前はずぶ濡れで。
この屋敷に勤めていた頃はイライラと目を釣り上げて。
「私は…この屋敷からいただいたお給金で寝たきりの母と体の弱い弟を養っていました。この屋敷を解雇されてからはそれがままならず、また描いていた未来の計画も頓挫し、使用人の解雇を画策したカリイナさんを恨みました。どうしても彼女がこのままこの屋敷で安穏と暮らしていくことが許せずあんなことを…」
「…カリイナを恨んではいけない。
解雇は君自身が引き寄せたものだ。その後の不幸も。
君は私や父に随分失礼な態度を取っていた。
普通の屋敷だったらもっと早く解雇になっていた。
君は父の足元を見ていた。
どんな態度をとっても彼が嫌われ者の知らせの一族である限り文句を言ってこないだろうと」
「…そのことを含めお詫びいたします」とリンカは深々と頭を下げた。
ルシファーは彼女に問いかける。
「…リンカ、満足か?」
「は?」
「望みどうりカリイナがこの屋敷を出て行って。
カリイナが私と別れて」
さすがにこれには答えられなかった。
リンカは無言を貫いた。
そんな彼女にルシファーはこんなことを言った。
「…多分、君は最初から私が好きだったのだな…」
リンカはハッとする。
部屋に入った時からずっとルシファーが自分の姿を舐めるように見ていたことに気づいて。
心の底からの彼への嫌悪を感じる。
私が死ぬほど弟の心配をしている時にこの男は浮ついたことを!と。しかもひどい勘違い。
「当主様にうちの息子に手を出すなと釘を刺されております!当主様の誤解を招きたくないので私はこれで失礼いたします!」
叫ぶようにそう言うと怒りを抑え切れないリンカはルシファーの部屋を勢いよく出て行った。
急ぎ足で調理場とは玄関ホールを挟んで逆側にある宿直室に向かう。手前にあるビルドの事務室を通る時は少し緊張した。
バタンと宿直室のドアを閉めるが早いか、置いてある二段ベッドの下の段の枕をつかみ壁に投げつける。
もうっ!あの会話の流れではルシファーの言葉を肯定したような形になってしまったではないかとさっきの自分自身の対応にに腹を立てながら。
そしてその後、我に帰ったリンカの心はまた弟のことでいっぱいになり、気持ちが沈んでいった。
リンカが去った部屋でルシファーは苦笑している。
父がリンカに言った言葉に。
ふ、父は多分あの時口を滑らせたことを後悔している。
けれど聞いてしまった以上意識しないわけにはいかない。
いったいリンカのどこが母に似ているのだろうか、と。
それにしてもなんと感情的な娘だろう。
いつも何かに遠慮して自分を押さえていたカリイナとは大違いだ。
いや、違うな…
裏切りを疑いながら一言も責めもせずきっぱりと私との別れを選択したカリイナの方がよっぽど感情的だ。
そんなことを考えながらルシファーは何気なく袖口を飾る深いブルーのカフスボタンを眺めていた。
そしてそれを購入した日のことを思い出す。
あの時、どうしてもカリイナの瞳と同じ色のものが欲しいと押し切れなかった。
宝石商の勧めに従いこちらの色の濃いものを選んだのは、彼女を思い出して寂しさを感じ続けるよりは、早く忘れて楽になりたいという気持ちの表れだったのだろうか…
もしかしたら違う動機があったのかも知れない。
カリイナを忘れることは自分をあっさり捨てた彼女への復讐にもなるという。
私にはカリイナのことの他にも考えなければならないことがある。
けれど、それを考えることから逃げている。
セシルへの手紙にもそのことは書けなかった。
「こんなに情けない人間だったのだな…」
自嘲を含んだ微笑を浮かべ、ルシファーは袖口のカフスボタンを外し箱に納めた。




