叱られる
ルシファーの父親は午前中、城での会議に出た後、王家お抱えの占い師のところに寄って負の占い結果が出ていないかを聞きに行く予定だった。
けれど会議の最中、使いの者から占い師の体調が優れないので訪問は後日に伸ばしてもらいたいとの旨の連絡を受け、本来帰宅は夜になる予定だった彼は昼過ぎには屋敷に戻ってきていた。
帰宅して、屋敷の東の端にある執事の事務室に向かう途中おや?と思う。
使われていないはずの談話室の扉がわずかに空いていたのだ。
多くの使用人を解雇する際、扉の取っ手にくくりつけられていた紐は美観が良くないという理由でとっくに取り外されていた。
きっちり扉を閉めようとした父親は、その前に何気なく部屋の中をのぞいて見た。
そして思わず眉をひそめる。
部屋にはルシファーとカリイナがいた。
ルシファーは薄暗い部屋の奥のカーテンの閉まった窓辺で、右手で彼女の髪を一房をつかんで引っ張り、自分の方に引き寄せていた。
二人の姿は恋人同士が仲睦まじく愛を語り合っているようには見えない。
明らかにカリイナは困惑していたし、ルシファーの顔からは日頃の優しい表情が消えていた。
父親はわざと大きな音を立て扉を開いた。
「君たちはここで何をしているのだ?」
突然の父親の登場にルシファーはひどく驚いたが、振り返りざま間髪入れずに答える。
「昔話をしていたのです」と。
「驚いた。私は君は粗野ではあるがとても賢い男だと思っていた。そんな見え透いた嘘を平気でつくとは」
ルシファーはこの父親の言葉に恥ずかしさを覚えた。
女の子に迫ろうとしているところを見られたことよりも。
「申し訳ありません。
父上に対して不誠実な口答えをしました」
反省の感を出す彼に向かって父親は言う。
「私に謝る前にカリイナに謝りたまえ。
今の君の態度は紳士の婚約者に対するそれではない。
女性の髪を掴むとは何事だ?
そしてカリイナ、私は君にも失望した。
君がこの屋敷の使用人を減らしたのは自分たちが好き勝手に振る舞う為に人の目を減らしたかったからではあるまい?
君も淑女ならたとえそれが好きな相手だったとしても自分に対しての失礼な態度を許してはいけない。
もしも二人で語り合いたいのなら、腕を組んで日の光の中、庭を歩きたまえ」
ルシファーは慌ててカリイナを庇う。
「カリイナは少しも悪くありません!
私はカリイナの抵抗できない性格を利用して彼女をからかって楽しもうとしたのです!
全ては私の不良性のせいなのです!」
「どちらにしても…
私は君たちを見損なった」と父親は一言残しその場を去って行った。
談話室に残された二人はしばらく口がきけなかった。
ルシファーは大人たちに怒られるようなことも色々してきたのでそれに見合うだけの叱責は受けてきた。
けれど人に叱られて今日ほど心が萎んだことはなかった。
正直、ここまで怒られることではないような気もする。
確かに髪をつかんだのは礼儀に反するが、カリイナと自分は結婚を約束した者同士なのだ。
そう心の中で反抗するものの、やはりルシファーは父親の怒りに動揺していた。
カリイナもすっかり顔色を失ってしまっている。
ルシファーに無理やり手を引かれ、談話室に入ってからわずか五、六分くらいの間に我が身に起きたことの展開についていけずにいる。
ただ、髪を引っ張られる前のルシファーの苛立ちと、父親の怒りだけは認識していた。
この屋敷に来た時、節度ある付き合いをするようにって言われていたのに…
私がしっかりしていなかったせいでルシファーが叱られてしまった…
それに彼は私を庇ってくれたけど、私は一言も発することができなかった。
セシルなら…
ルシファーがこの屋敷に連れて来たのがセシルならきっとこんな風に彼がお父さんに叱られるような事態にはならなかった。
その前にきっぱりセシルはルシファーの良くない態度を叱っていたはずだ。
セシルならきっと当主様も気に入って…
セシルなら…
ダメ!
やっぱり私はセシルになんかなれない!
私…私はここにいていいんだろうか?
あの時私に手を差し出したことをルシファーは後悔することはないんだろうか…
私ではなく強引にセシルを連れて来ればよかったと。
ああ、だけど今さら後悔されても困る。
もうルシファーの側から離れるなんてできない。
頑張るしかない。
もう一度ルシファーのお父さんの信用を取り戻すために。
ルシファーにあの日のことを後悔させないためにも。
カリイナがそう決意して顔を上げたタイミングでルシファーが声をかけた。
「カリイナ、すまなかった。
君は少しも悪くないのに。
不真面な僕のために君まで叱られた。
もう君を驚かせるようなことはしないと誓う。
だから安心してこの手を取ってくれ。
さあ、父上の勧めどうり散歩しに庭に行こう」
そう言って差し出された手にカリイナは少しためらった後自分の手を乗せた。
ルシファーは談話室での自分の行為の原因を探りながら芝の植えられた庭の小道を歩く。
孤児院にいた頃は常に誰かしらとスキンシップを取っていた。
それは上級生との取っ組み合いのケンカという方法であったり、子供達との荒っぽい遊びであったり、気の合う女の子たちとのじゃれ合いであったり、セシルとの恋人同士としての時間であったり。
けれどこちらに来てからはスキンシップどころか口をきく相手でさえ限られている。
あらゆる意味でカリイナだけが心の拠り所だ。
寂しさを少し埋めてもらいたかった。
ただ頬を寄せ合ってその温もりを味わいたかった。
自室だといつメイドが入ってくるかわからない。
だから使用していない談話室に連れて行ってカリイナを抱き寄せた。
それだけのことなのに過剰に怯えて逃げようとしたたものだから逃がすまいとつい髪をつかんでしまって…
彼女の純情さを可愛く感じるときもあるが、今日はそれがもどかしく感じた。
どうしてこんなに男女の阿吽がわからないんだ、カリイナはと。
…あの時もらった手紙に書いてあったルシファーが好きという言葉。
彼女の自分に対する好きという気持ちはどういった種類のものなのだ。
もしかして…
子供の頃からそれとなく面倒を見てきた自分を親や兄のように慕っているに過ぎないのだろうか?
あり得る…
奥手な彼女はそういった感情と恋の区別がつかないのだ、きっと。
もらった手紙の言葉を間に受けカリイナをこの屋敷に連れてきてしまったあの時の自分の判断は間違いだったのだろうか…?
が、そうだとしても僕に罪はない。
あんな手紙をもらったら男はみんな誤解する。
自己責任だ…
君はあの日小さな紙切れを僕に渡したことで自分の運命を変えてしまったのだ。
カリイナの気持ちに疑問を持ったことで少し動揺したルシファーはそう自己弁護をした。
うつむきがちに歩いていたルシファーは隣を歩くカリイナに視線を移した。
彼女はそれに気づきもせずにうなだれてとぼとぼと歩いている。
カリイナ…なんだか売られていく仔牛みたいだ、と思った瞬間それを面白く感じ、ルシファーの気持ちは少し上向いた。
あ、カリイナ。今日もドレスとちぐはぐな髪飾りを付けている。
無理もない…
孤児院ではおしゃれとは無縁の生活だったからな。
それにもともと彼女には芸術的センスがないし。
そういえば、昔こんなことがあったな。
シスターをモデルに皆で絵を描いた時、カリイナの描いた絵が猿だか鬼だがわからないようなものに仕上がって、それを悪意があると感じてひどく怒ったシスターをなだめるために「カリイナに悪意はありません!だだ破壊的に絶望的に絵が下手なだけなんです!」と皆で大合唱したことが。
カリイナは再び私はここにいていいのかしらという堂々巡りの思考に捕らえられ、うつむいて歩いていたので気がつかなかっのだが、ルシファーはふふっと思い出し笑いをしていた。




