ルシファーの生い立ち
とある国のとある時代の物語。
捨て子のルシファーは片田舎の孤児院で育った。
いつも空腹で、多少惨めな思いもしてきけれど、活発で面倒見の良い彼は仲間たちに慕われ、人としてそれなりに自信を持つ男に成長していた。
17歳の誕生日を前にルシファーは孤児院で暮らす仲間の一人、セシルと将来の約束をする。
規則で17歳になればこの孤児院を出て一人立ちしなければならない。
なので彼はその前に恋人のセシルと結婚の約束を取り付けておきたかったのだ。
ルシファーは特別美男ではいし少々強引なところもあるのだけれど、彼の優しさや明るさ、清濁併せ呑む男気を感じさせる性格は院の内外の娘の心を惹きつけていた。
孤児院で一緒に暮らすカリイナもルシファーを慕う娘の中の一人だった。
明るく社交的なセシルとは対象的に彼女はもの静かで友人も少ない。
カリイナもセシルも共に金髪碧眼でルシファーと同い年の16歳。
孤児院の人間はセシルを太陽のように、カリイナを月のように美しいと評した。
セシルは常に堂々としている娘だった。
肩までの髪をいつも高い位置で一つに結わえていて、それが快活な彼女にとても似合っていた。
心の窓ともいうべき瞳は彼女がどういう人間なのかをその強い輝きを持って示している。
一方のカリイナは控えめな性格。
髪は背中ほどの長さで、低い位置で一つに結ぶか、ハーフアップにしていることが多い。
憂いを含む彼女の美しい瞳は人と対面するとき伏し目がちになる習性のせいでその輝きが半分になってしまう。
結果として、一人でいれば充分美しいカリイナもセシルといるとなにか霞んでしまうのだった。
ルシファーの卒院が近いある日、カリイナはルシファーやセシルと共に食事当番を担当する。
その時カリイナは厨房で捨てられた桃の腐った部分を上手に取りのぞき、傷んでない部分の身をこっそりセシルの口の中入れるルシファーを見た。
トロっとした桃の匂いは彼女のもとまで漂ってきた。
ただそれだけのことなのにカリイナはなぜか泣きたくなる。
次の瞬間ルシファーは振り向き、カリイナの口にも桃の果肉を入れてきた、厨房長の目を盗んで。
そして悪戯っぽく微笑んだ後素知らぬふりして野菜クズの入ったたらいを持ち外に捨てに行く。
その後姿を見送りカリイナはセシルと顔を見合わせくすくすと笑った。
別れの前の楽しくて切ないひととき。
その時の桃の甘さはいつまでもカリイナの口の中に残った。
自分の唇に微かに触れたルシファーの指の感触と共に。
ルシファーは誰にでも公平な態度をとったが、彼の好意の量が自分とセシルとの間では大きく違うことをカリイナは知っている。
悲しいけれど。
七月。
ルシファーが17歳の誕生日を迎え孤児院を出発する当日、カリイナは彼にそっと手紙を手渡す。
ルシファーとセシルが結婚の約束をしたという噂はカリイナの耳にも入っていたけれど、それでも彼に自分の気持ちを伝えたかった。
ただそれだけだった。
ルシファーに求めるものは何もない。
ルシファーは将来セシルと築く家庭のために、きつくても賃金の良い北の山の採石場を就職先として選んだ。
採掘場には孤児院の院長自らが手綱を取り、ルシファーを馬車に乗せて送って行く。
これは異例の対応である。
卒院生は孤児院の門を一歩外に出た瞬間、一人で生きていくことを求められていたので。
孤児院の職員や院生は、この特別扱いになにか不思議を感じながら馬車で院を出る彼を見送ったのだった。
当のルシファーもこうして馬車で職場に送られていくことに疑問を感じている。
彼はふと思い出し、カリイナから受け取った小さく折りたたまれた紙を開いてみる。
それには一言、ルシファーが好きと書いてあった。
ルシファーはしばらくそれを眺めていたけれど、また小さく折りたたむと、着替えなどの入れてある袋にしまった。
院長が手綱を取る馬車は村外れにある1軒の宿屋の前で止まった。
なぜこんなところで?と不思議に思うルシファーに院長は「降りなさい」と声をかける。
ルシファーと院長を出迎えた宿屋の主に案内され、宿の奥の一番上等な部屋に入ると、そこには身なりの良い細身の美しい中年男性がこちらを向いて立っていた。
院長はその男性にルシファーを紹介すると「私はこれで」と言って部屋を出ていってしまう。
一人残された彼はわけが分からずひどく戸惑った。が、次の瞬間直感する。
この男性は自分の身内だ!と。
ルシファーの様子を見て男性は言う。
「君はわかりがいいな。いま君が察した通りだ。私は君の父親だ」
!!
ルシファーはひどく驚いた。
捨て子の自分が親と再会できるとは夢にも思っていなかったので。
しかも父親を名乗る男は明らかに貴族階級の人間だ。
「かけたまえ」
そう言って男性はルシファーに応接セットの椅子に座るよう勧め自分も席に着いた。
「私のことはこれら父上と呼ぶように。
君にはいろいろなことを説明しなければならない。
おや?何かひどく反抗的な目だね。恨んでいるのだね?君を捨てた私を。
ふ…私の話を最後まで聞けば、君は君を孤児院に預けた私に感謝するようになるだろう」
そう言った後男性は自分は知らせの一族の当主でルシファーはその一人息子だと告げた。
ルシファーはその告白に衝撃を受ける。
無理もない。
知らせの一族とはこの国の中で最も忌み嫌われる一族なのだから。
知らせの一族とは、不幸な出来事、不吉な予言をこの国の王や特権階級の人々に知らせるという役割を持った一族であった。
特権階級に関わる全ての情報は一度王室の広報室に集められ、その中の負の情報の伝達が知らせの一族に任せられる。
知らせられる出来事は多岐に渡る。
遠征先での息子の死亡。
実家の破産。
愛妻の不貞行為。
裁判での敗訴。
選挙の敗北。
人か聞きたくないと思うありとあらゆる事が知らせの一族の口から特権階級の者に告げられるのだった。
この一族が嫌われるのにはもう一つ理由がある。
知らせの一族の身分は特権階級の中でも高い。
国家から与えられる禄も少なくはない。
当然釣り合いをとるためには花嫁に身分の高い一族の娘を迎え入れなければならない。
だが、知らせの一族に娘を嫁がせようとする者などいない。
その為知らせの一族は花嫁に身分は高いが事情のある娘を迎え入れてきた。
それは罪人の娘である。
元をたどれば知らせの一族は今の王家と同じ血を持つ。
一つの一族の陽が王家、陰の部分が知らせの一族になったと言えなくはない。
かつて国を作り上げる為に使ってきた一族の不浄な部分を国が安定してから今の王家は切り捨てた。
そしてその部分がまた合流してこないように、はっきりとりとした役割を担わせた。
知らせの一族に負の部分を背負わせた為、王家は陽のイメージを常に保ち安定した人気を維持している。
なので王家はそれなりに知らせの一族を庇護してきた。
知らせの一族の婚姻にもそれなりの配慮をしている。
知らせの一族に娘を嫁がせると、親の罪が王により減罪されるのは暗黙の了解である。
そのため本来極刑に処せられるような身分の高い罪人の娘が、親のために泣く泣くこの一族の一員になってきた。
そう、つまり知らせの一族は濃く罪人の遺伝子を持つ一族なのだ。
この国の人々は末端の庶民も知らせの一族のことは知っている。
身分は高いがこの国で一番禍々しく、不吉な一族だと。
しかし、それと自分が孤児として生きてこなければならなかったことになんの関係があるのだ!
どんなに忌み嫌われる一族の子供として生まれてきたとしても自分は親の元で育ちたかったとルシファーは父親を責めた。
それなりに孤児院での暮らしは貧しく辛かったし、なにより親がないことはひどく寂しかったと。
「ふむ、親のいないことが寂しかったと…
そうか、全ての人に嫌われ、この世に自分の居場所などないと思い、自分の血を呪った私の少年時代の経験から君に居場所を与えてやろうと思ってとった策だったが…
行き違いだったか。が、まあいい。
君に親を求める気持ちがあって私はうれしい。
君の母親はすでにこの世にいないが」
最後の一言を聞きルシファーはハッとする。
父がいるなら母もいると漠然と期待してしまっていたから。
少し青ざめたルシファーを見て父親は言う。
「こうして負の知らせをするのが、私の役目なのだ」と。