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第六話

りんは十八になった。娘盛りを迎え、益々美しく成長した凛のもとには、客を通じて次々と縁談が舞い込むようになった。しかし、どんなに良い縁談話しでも、母がその全てを取り付く島もなく断っていた。

内心、淳太じゅんたを待ち続けている凛にとってそれは幸いなことだったが、母が何を考えているのか分からなくて不安にもなった。母はこのままわたしを誰の元へも嫁がせないつもりだろうか。そう思うと苦しくもなった。淳太が迎えに来てくれたら、母には喜んで送り出して欲しい。そう思ってはいたが、きっとその時がきても、母には許されることはないだろうと思う自分がいて、凛は苦しくなった。

凛の働きぶりにより、屋敷の中には贅沢品が溢れるようになった。美しい衣服を身に纏い、贅沢な食事をし、不必要な煌びやかな物に囲まれて毎日を過ごす母は、幸せなのだろうか。そう思い凛は、少しこの生活が息苦しいと感じている自分を後ろめたくなった。母が幸せで、母が凛にとってもこの生活が幸せなのだと思っているのなら、これに不満を抱いてしまう自分が申し訳ないと思った。

でも思う。もし、淳太が本当にわたしを迎えに来てくれたら。そうしたら彼の手をとって、ここから逃げ出してしまおう。それが、凛が初めて誰かより自分を優先して考えたことだった。

例え本当にならなくても、そう思うだけで希望が持てた。

例え叶わなかったとしても、それを夢見るだけで幸せだった。

だから、本当に淳太が迎えに来てくれた時、凛は迷わず彼の手をとって屋敷を抜け出した。誰も自分達を知らない所に行って一から生活を始めようと、二人手を取り合って生きていこうと言い合って。彼と歩んでいくこれからに期待に胸を膨らませ、凛は淳太と山の中を進んで行った。

暫く走って、走り疲れて、木陰に二人並んで腰を下ろし、少し休む。少し気が抜けて、なんだかおかしくなって、二人顔を合わせて笑い出す。

「なんだか夢みたい。こうして淳太といられるなんて。」

そう言って、凛はそっと淳太に身体をあずけた。感じる彼の温もりに、鼓動の音に酷く安心する。触れる存在の確かさに、これは夢じゃないと実感する。

「遅くなって悪かった。これからはずっと一緒だ。」

凛をそっと抱きしめて淳太が言う。

「きっとめちゃくちゃ苦労はかける。大変な思いはさせるし、今までみたいな贅沢はさせてやれないけど。でも、退屈はさせない。沢山、沢山、笑わしてやるから。だから、これからはずっと俺の横で笑ってろ。」

そう言う淳太に唇を奪われて、凛は目を閉じて、ギュッと彼を抱き返した。彼の舌を受け入れて幸福感に包まれる。彼の熱を感じ、自分も熱くなる。このまま逃げて、遠くへ行って、彼と夫婦になる。二人で畑を耕して、野菜がなったら棒振りで売り歩く。慎ましく、でも幸せな家庭を築く。他に誰も頼るものがいなくても、二人で。それに不安は感じなかった、別に何も怖くないと思った。

「凛。悪い、我慢がきかない。」

そう熱に浮かされたような淳太の声がして、首筋に彼の熱い吐息がかかる。今まで感じたことのないその熱さに、心臓が早鐘を打ち、凛は身体が強張った。

「怖がるな。大丈夫だから。これでも俺、散々我慢したんだぞ。やっとお前と一緒になれる。そう思ったらもう、抑えがきかなくなったんだ。だから、な。いいだろ。」

そんな淳太の言葉をきいて、凛は彼に身をまかせることにした。怖くない訳はない。でも、淳太になら、淳太となら。そう思って凛は力を抜いた。

愛おしそうに彼に頬を撫でられる。彼の手が首筋をつたい胸に伸びる。彼の熱い息が、鼓動が、自分の全く知らないものに感じて、少し怖くて、でも酷く愛おしいと思って、凛は彼を受け入れる心の準備をした。

「淳太!お前、なにしてる⁉︎」

誰かの怒声が響く。

「凛様がいなくなったと騒ぎになって、まさかと思って探してみたが。お前。自分が何したのか分かってるのか⁉︎」

そう怒鳴り散らしながらやってきたのは淳太の父だった。淳太が力尽くで引き離されて投げ飛ばされる。父が罵倒しながら淳太を殴りつける。

「お前。お前な。お前は俺たちにどれだけ迷惑をかければ気がすむんだ。凛様はな、もうお前が触れていいような存在じゃないんだ。ただでさえ、お前のせいで。お前が・・・」

「うるせーな。俺が誰に懸想しようとどうでもいいだろ。家も村も出てってやる。俺みたいな親不孝ものが居なくなって清々すんだろ。ほっとけよ!」

淳太が怒鳴り返して父を殴る。

殴られて地面に倒れ込んだ父を一瞥し、淳太は凛を強引に立たせると、行くぞとその手を引いた。ぐいぐい自分を引っ張って、ずんずん進んで行く淳太がなにかを怖れ焦っているように見えて、凛は唐突に不安になった。

「行くな!淳太!凛様を連れて行くな!」

そんな淳太の父の声が悲痛な響きに聞こえた。

「お前が凛様を連れて行けば・・・」

「黙れよ!」

父の言葉に淳太が怒りを露わに振り返る。それでも何かを続けようとする父のもとに駆けて行き、淳太は黙れとその口を押さえつけた。見たことのない形相で父を睨みつける淳太の姿が、自分を殺そうとしてきた時の母の姿と重なって、凛はとっさに彼の背中にしがみつき、やめて、やめて、と縋っていた。

淳太の肩から力が抜けて、呆れたような顔で凛を振り返る。

「お前は本当にお人好しだな。こんな奴、気にかけてやることなんてないのに。」

困ったような悲しそう顔をして淳太が言う。淳太はこんな事を言う人だったろうか。自分の父親をこんな奴呼ばわりするような。いったいおじさんと淳太の間に何があったのだろう。そう思うが、それを知る事が怖い気がして、凛は何もきけなかった。

「お願いだ。凛。このまま何もきかず、何も気にせず、俺と一緒に来てくれ。お前を幸せにできるなら、俺は他には何もいらない。ただお前と幸せになりたいんだ。だから凛。今は何も考えず俺についてこい。ただ俺と一緒になる事だけ考えてついてこい。頼む。」

自分を強く抱きしめてそう言う淳太が、凛には自分に縋って泣いているように思えた。淳太は何をこんなに怖れているのだろう。何にこんなに苦しんでいるのだろう。そう思うが、淳太がそれを自分に知られたくないと思っていることがひしひしと感じられて、凛は何も言わず彼の背中に腕を伸ばしそっと彼を抱きしめた。淳太がきくなと言うのなら、何もきかないでおこう、そう思う。でも、それと同じくらい聞かないままでいる事が怖いと感じた。行くなと、自分を連れて行くなと叫んだ淳太の父の声が頭にこびりついて離れなかった。このまま彼と共に行ってしまえば何か取り返しのつかないことになる気がして、凛の中に不安感が募っていった。

不安が増すと、凛には唐突に淳太の今までが見えてしまった。そして知ってしまった。彼が何を隠しているのかを。そして思う、自分はもう人とはとうに呼べないものなんだなと。そう思って、凛は唐突に神隠しから戻ってきた時のことを思い出した。自分を人の世に返してくれた神様に言われた事を思い出した。そうだ、わたしはもう人間じゃないんだ。この器は人間のそれでも、わたしはもう神様になっていたんだった。

「ごめんね、淳太。」

それは何対してのごめんだったのだろう。それを口にした凛自身にもそれは分からなかった。

淳太からそっと離れ、凛は笑った。精一杯笑った。今までずっとありがとう。そしてさようなら。たった一人、わたしが好きになった人。大切な、大切な、わたしの一番愛しい人。

「淳太。わたしは淳太とは一緒になれないよ。だから一緒には行けない。」

そう告げると淳太の顔が悲痛に歪んだ。それを見て嬉しいと思ってしまう自分は間違っているのだろうかと凛は思う。でも。淳太はずっとわたしを一人の人として扱ってくれた。化け物でも、願いを叶えてくれる神様でもなくて、ずっと一人の女の子としてわたしを見てくれていた。わたしを愛して、わたしの幸せを願ってくれた。それだけで十分。わたしは十分だから。わたしはすごく幸せだから。

「淳太。わたしは神様なんだよ。だから、人と一緒になることはできない。人と一緒になるべきではない。だからね。わたしは誰とも結婚しないし、誰のものにもならないよ。淳太とも一緒にならない。一生、誰とも添い遂げない。これからは誰のことも特別に想わないし、みんなに平等に福をもたらす存在になる。」

凛のその言葉をきいて、淳太は自分が隠していたものが彼女に知られてしまったのだと察した。

淳太だけはずっと凛の味方だった。淳太だけはずっと凛に優しかった。だから村の者達は凛が福をもたらすものだと知った時、淳太がそれを知っていて凛の授ける幸福を独り占めしていたのだと疑った。二人が恋仲なのを知れば、淳太の家の畑が他の家より実りが良かったり害に合わないのは、凛に特別に気にかけてもらっているからだと妬んだ。そして凛を嫁にしようとする淳太を、凛がもたらす幸福を自分だけのものにするつもりかと責めたてた。それは淳太だけにとどまらず、淳太の家族も苦しめた。だから淳太の父母は絶対に凛との結婚を認めなかった。それなのに、凛がこのまま淳太と逃げてしまえば、残された淳太の家族がどんな目にあうのかわからない。だから、淳太の父は二人の駆け落ちを阻止しようとした。

それを知ってしまった凛は、淳太と行くとは言えなかった。自分が迫害されていた時、淳太の父母もまた自分に優しくしてくれた。そんなおじさんとおばさんを凛は見捨てることができなかった。それがわかっていたから、淳太は凛に知られたくなかった。知れば絶対、凛は自分と来てくれないとわかっていたから。

淳太の目から涙が落ちる。それをそっと拭って、凛はそっと彼の頬を撫でた。

「わたしは一人で散歩をしてた。誰とも一緒じゃなかった。屋敷の中が窮屈で、少し息抜きがしたかった。ただそれだけ。」

そう言って自分からそっと淳太に口付けをする。愛してる。貴方だけをずっと。わたしのこの純潔は、貴方のために捧ぐから。口に出さないその想いを、凛はその行為に乗せた。

「わたしのことは忘れて、淳太は別の誰かと幸せになって。わたしはもう待たない。貴方の迎えをもう待つことはないから。さようなら。」

そう告げて、凛は背中を向けて去っていった。

凛の中に後悔はなかった。何も。心から、淳太が自分を忘れて他の人と幸せになってくれることを願っていた。

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