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第五話

屋敷の庭に立ち、りんは一つ息を吐いて空を見上げた。

母の言い付けのもと拝み屋のような事をするようになってから、凛の生活は一変した。

最初は母が呼び込んで、村の外から半信半疑の人々が胡散臭いものを見るような態度でポツリポツリとやってきては、凛に思い思いの願い事を言うのを叶えていた。ごく稀に深刻な悩みを持った者もいたが大概は冷やかしで、しかし、凛はそのどれもに対等に親身に話を聞いては願いを叶えていった。そうしているうちに拝み屋としての凛の名はよく知られたものとなり、母が呼び込まなくても人が訪れるようになった。

家から出ることもほとんどなく、人と関わることなど全くなくなっていた母が、外に出て人と話すようになった事を凛は嬉しく思っていた。しかし、村の外から人を呼び込み怪しい商売を始めた凛達母娘に村の者達はいい顔をしなかった。それまでよりずっと酷い虐遇を受けるようになり、ついには村の中では生活に最低限必要な物を買うこともできなくなった。

そんな凛の境遇を気にかけ助ける者は淳太だけだった。でも今迄以上の虐遇に、凛はまた、淳太の優しさを拒むようになった。自分に優しくして淳太が傷つくのが嫌だった。淳太の迷惑になるのが嫌だった。互いにもう十六歳。子供ではない。今の凛の味方をする事は、ガキ大将だった淳太が子供達の虐めから凛を守っていたのとは訳が違った。凛の味方をすれは、淳太自身も村の営みから外されてしまう。助けてくれる者もなくなり、商売も出来なくなる。それどころか農家なのに、野菜を作ろうにも作れなくなってしまうかもしれない。自分の味方をすれば淳太を路頭に迷わせてしまう、そう思うからこそ、凛は子供の頃より強く淳太を拒んだ。口では彼を拒絶しながら、彼に縋り泣くような事はもうしなかった。言葉だけでなく態度でも拒絶した。母の言う通り、村に馴染めなくても生きていけると、誰の助けも必要ないのだと。自分を必要としている人は沢山いる。だから、自分を必要としないものの中にわざわざ媚びて入る必要はないと。実際、村の者達から弾きものにされたところで生きるのに困る事はなかった。なぜなら、凛のもとに願いを叶えてもらうためにやってくる人達が、お金ではなく食べ物や反物を置いていくことも多かったから。だから、自分は大丈夫だから、凛は、淳太には自分ではなく彼自身の生活を守ってもらいたかった。だからこそ、彼から身を引く事が唯一、彼のために自分ができる事なのだと思って、凛は心の内に蓋をして、変わらずに自分を想い続けてくれる淳太をずっと拒絶し続けた。

凛の名が遠く広まるようになると、凛の元を訪れる人の様子も変わっていった。冷やかしは減り、そして訪れる人の中には身なりの良いあからさまに裕福な者が混じるようになり、貢ぎ物の質が上がっていった。そうすると、ぽつりぽつりと村の者の中からも助けを求め凛のもとをこっそり訪れる者が現れて。そのどれもを凛は平等に受け入れ、それまでと同じように願いを叶え続けた。そうしているうちにいつしか、村の中での待遇も穏やかなものに変わっていった。普通に受け入れられ、普通に話しかけられ、普通の穏やかな日常が久々に凛のもとに帰ってきた。それが嬉しくて、凛は道行く人々の些細な願いごとも叶えては、皆が幸せになるように願った。

村に溶け込んで、凛はもう淳太に助けてもらう必要がなくなった。だから、彼の優しさに辛くなる必要もなくなった。もし今彼に会って彼に優しくされたなら、今なら純粋にそれを嬉しく思い、素直に甘えられるだろう。だから思う、もし、まだ淳太が自分を想ってくれているのならと。そうしたら彼と一緒になり、彼と家庭を築く事ができるのだろうか。そんなことを考えて、凛は切なくなった。何にせよ、子供の頃、彼と思い描いたような日々は訪れない。人々に受け入れられても自分は普通の人ではありえない。淳太が嫁にもらってくれたとしても、自分は普通の嫁にはなれはしない。一緒になればきっと、その先もずっと、彼に迷惑をかけてしまう。こんな自分は彼には相応しくない。彼には彼に合った人と普通に幸せになって欲しい。だから、凛は捨てきれない彼への未練をどうにか断ち切ろうと、それを考えないで済むように余計に拝み屋の仕事に精を出していった。

人の願いを叶え、人の喜ぶ顔を見るのが好きだった。

人の願いを叶え、人に感謝されるのが嬉しかった。

それが生き甲斐となり、これが自分のすべき事なのだと凛は思うようになった。これからはこうして人の願いを叶えて生きていくのだと、そうすれば全てがうまくいく、そんな気がした。そんな気がしていた。


人の願いを叶え続け、村の人々から凛様と崇められるようになった頃、母から家移りをすると告げられた。

村の外れの人里から少し離れた場所に、母は土地を買っていた。人を雇い、屋敷を建てていた。そして、これからは誰彼構わず願いを叶えてやるのではなく、人を選んで、人を招いて、願いを叶えてやるのだと言われた。そうやって家移りをし、村外れに建てられた大きな屋敷に暮らし始めた今、凛はほとんど人に会わない生活をしていた。

母は言う。凛が人里に降りれば、凛に願いを叶えさせようと、欲にかられた人々に囲まれてしまうと。とても危ないから屋敷から出てはいけないと。心配そうにそう言われれば、それを拒む理由などなかった。だから、生活の全ては屋敷の中で完結するようになった。

屋敷での生活は寂しかった。会うのは母と母が連れてくる客人のみで。母は凛と客の間を繋ぐのに忙しく、客は自分の願いのことしか頭にない。ここにいるとだんだん自分がなんなのかわからなくなってきて、凛は気を紛らわすために縁側に腰掛け庭を眺めては、そこにある木や花を絵に描いて過ごしていた。

絵を描くのにも飽きて、庭に立ち、空を見上げる。空を飛ぶ鳥を眺め、もし自分も飛ぶ事が出来たのなら自分はどこへ飛んでいくのだろうと、凛はそれに思いを馳せた。

「凛。会いにきたぞ。」

淳太の声がする。これは幻聴だろうか。

「何、つまんなそうな顔してんだよ。わざわざ俺が会いに来てやったんだ。もっと嬉しそうな顔をしろ。」

そんな声と共に、目の前に現れた淳太に頬をぐっとつねられて、その痛みにこれは夢じゃないと思う。なんでここに淳太が?そう思うが、目の前の現実に心が全く追いつかなくて、凛は何も言えずにただただ目の前にある淳太の顔を呆然と見上げていた。

「変な顔だな。」

自分のよく知った顔で淳太が笑う。それに嬉しさが込み上げてきて、胸が苦しくなって、凛は淳太を突き飛ばしていた。

「なんでここにいるの?」

「んなもん。お前に会いに来たに決まってるだろ。まともに会わせてもらえないから、入るのに苦労したぞ。裏回って、そこの塀乗り越えて。まったく、どこのお姫様だよ。そんな綺麗な着物着て、こんな屋敷の奥にいて、全然似合ってねーぞ。」

「うるさいな。わかってるよ、こんな綺麗な格好わたしには似合わないことくらい。でも、ちゃんとした格好してなきゃ恥ずかしいって言われるから。お母さんに恥かかせる訳にはいかないし・・・。」

「バカ。だれもんなこと言ってないだろ。俺が言ってんのは、こんな生活がお前に合ってないってだけで、誰も別に衣装が似合ってないとか言ってねーよ。」

そう言って淳太がふいっと目を逸らす。

「その。なんだ。めちゃくちゃ綺麗だよ。お前は。本当にどっかの姫様みたいだ。格好は、別に、全然似合ってなくねーよ。」

そうぶつくさ言って、淳太は目を逸らした先にあった縁側の紙と筆のもとへ向かった。

凛の描いた絵を眺め、下手くそだなと笑う。これなら自分の方がうまいだろと、淳太は凛にそこに立っているように告げ、筆をとった。

凛の立ち姿を描く淳太の手に人ではない誰かの手が重なる。そしてそれは、スラスラと紙の上に淳太の心に映る凛の姿を描いていった。

出来上がった凛の絵姿を見て、二人が感嘆の声を上げる。俺って天才だなと呟く淳太の横で、凛は、わたしじゃないみたいと呟く。そこに描かれた凛はまるで天女のように美しかった。嫋やかで美しく清らかで眩しかった。

「わたしじゃないみたいなんて言うなよ。せっかくこんなに綺麗に描いてやったのに。」

ふてくされたように淳太が言う。

「これはお前だよ。俺にはずっと、こんな風にお前が見えてんだよ。バカ。」

そんな淳太の言葉に凛は胸がいっぱいになった。それが実際は淳太が描いたものではないとわかっていても、淳太の心の内にいる自分がこのような姿であることが嬉しくて、嬉しくて、凛は幸せな気持ちで満たされた。

「でもな、こんな絵なんかよりずっと、本当のお前の方が綺麗だよ。本物の方が何倍も、何百倍も綺麗だよ。こんな綺麗な着物着てなくたって、化粧なんかしなくたって、俺にとったらずっとお前が一番だ。畑仕事で泥だらけになって、日焼けして黒くなったって、歳取って皺くちゃになったって、ずっと・・・。」

そう言う淳太に優しく頬を撫でられる。真っ直ぐに見つめられて、そして、凛は淳太にその先を言わせないように彼の手を引き離した。

「その絵をわたしだと思って持って行って。もう淳太とは会わない。だから、ここへはもう来ないで。」

そう口にして、凛は胸が締め付けられた。抱きしめられて、目を瞑る。

「凛。すまない。大人になったら迎えに来るって、お前を絶対幸せにしてやるってそう言ったのに。それを叶えてやれない自分が不甲斐ない。でもな、俺は諦めないぞ。お前がここで幸せだったなら諦めた。お前の中にもう、少しも俺への気持ちがないのなら諦めた。でも、違うだろ。違うだろ。だから、俺は諦めない。絶対、絶対にお前を迎えに来る。お前を幸せにする準備をして、お前を連れ出しに来るから。だから、待ってろ。ずっと、俺が迎えに来るのを待ってろよ。」

そう言う淳太の言葉に凛はうんと言うことができなかった。うんと言うできなかったが、迎えに来るなとも言えなかった。迎えに来ても自分は一緒に行かないと彼を拒絶することができず、凛は静かに彼の腕に抱かれその温もりを感じていた。

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