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第三話

「今日はやたらご機嫌だな。珍しくいい事でもあったのか?」

淳太じゅんたにそうきかれりんは、わからないと笑って答えた。

「なんだそれ。いい事があったかどうかもわからないのにそんなにご機嫌になるとか、変な奴。でも、まぁ。どんな理由でも、凛がそんな笑顔になれるくらい気分が良いなら、俺は嬉しい。だからもっと笑え。ついでにもっとお前が気分良くなれるように、お前の好きなトマトをくれてやる。採れたてだぞ。美味しいぞ。なんてたってうちの畑で採れたやつだからな。」

そう言う淳太に採れたてのトマトをほっぺに押し付けられて、凛は収穫中に遊んでると怒られるよと窘めつつ、それを受け取って頬張った。トマトを口いっぱいに詰め込んで、その美味しさに目を輝かせる凛を見て、淳太が満足そうに笑う。

「淳太。今年のトマト、凄く美味しい。いつも美味しいけど、いつもよりずっと美味しい。淳太も一口。食べて、食べて。」

口の中のトマトを呑み込んで、今度は凛が採れたてのトマトを持って淳太に詰め寄る。

「俺は後でいいよ。」

「今。今すぐ。凄く美味しいから、淳太も今すぐこれを味わうべきだよ。早く、早く。」

そう急かされて、仕方がないという調子で淳太もトマトを齧る。そして思わず、美味いなコレと口に出し、それを聞いてでしょでしょと嬉しそうにはしゃぐ凛を見て、淳太は目を逸らした。

「うちのトマトが例年より美味くて、なんでお前がそんなに喜ぶんだよ。」

ぶっきらぼうにそう呟いて、淳太は作業に戻って仕事に集中するフリをした。手放しにはしゃぐ凛の顔を直視できなかった。そんな凛を見て、顔が熱くなった自分に気が付かれたくなかった。

こんな風に浮かれる凛を見るのは久しぶりの事だった。こんな風に心からはしゃぐ凛を見るのは、それこそ凛が神隠しにあう前、自分達がまだ本当に幼い子供だった頃以来な気がして、淳太は意味もなく心がざわめいた。

今の二人は十四歳。まだ子供。でももう幼いだけの子供ではない。凛は綺麗になった。あと数年して年頃になれば、誰もが羨む美女になる。そんな想像がたやすくできるほど、今のままでも十二分に美しい娘に凛は成長していた。それは凛を化け物呼ばわりして石を投げつけていた連中も、凛へのちょっかいの出し方が変わるほどだった。彼等はああいうことは子供のすることだと虐めをやめて、でも表向きは今まで通り凛を忌避しているように装いながら、裏では粉をかけるようになった。本当は誰も、凛が化け物で厄災を運んでくるなんて本気で思っちゃいやしないから。本当に凛が化け物で人を呪って殺すのなら、自分達はとうに生きてはいないとわかっているから。ちょっと頭がおかしくて不気味なところがある女だと思っていても手に入れたいと男達に思わせる。それほどにまで美しく凛は成長していた。

それを知っているからこそ余計、淳太は胸がざわついた。凛が幼い頃のように笑ってくれて嬉しい。でも、その笑顔の理由がなんでもいいなんて、それは嘘だった。

隣で作業する凛を意識して、浮かれる自分と苛つく自分の間を行ったり来たりして、淳太はモヤモヤした。凛が浮かれてる訳が知りたい。本当に何もないのにこんなに浮かれる訳がない。まさか大好きなトマトの収穫でここまで気分が上がってる訳じゃないだろ、毎年のことだし。何があったんだよ。まさか男じゃないよな。ちょっと優しく声かけられたからって、あんな連中のどれかにコロっと騙されておとされたんじゃねーよな。粉かけるなら、俺の方がずっと前からかけてんだろ。俺に落ちねーで他の誰かとかふざけるなよ。そう思うと淳太は無性にむしゃくしゃした気分になった。もし凛が浮かれてる理由が男でも、その相手が自分だったら嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。でもそうじゃなかったら。そうじゃなかったら・・・。

「あのさ、凛。今日、お前なんか変じゃね?」

どうしても気になって、淳太はそう口にした。

「いや、変って言っても悪い意味じゃないんだけどさ。良いことがあった訳じゃないなら、なんか楽しみなことでもあんのか?」

例えば、うちの手伝いが終わったら誰かに会いに行くとか。そう思うが、そこは口にしない。でも、自分の問いを聞いた凛がどこか気恥ずかしげに笑って、誰にも内緒だよ、淳太にだから話すんだからね、絶対、絶対内緒だよと念を押して、実はねと話し始めるのを見て、淳太は一瞬、自分の悪い予感が当たったのかと思って冷やっとした。でも、その先を聞いてホッとする。

「もしかしたらお父さんが、お仕事から帰ってくる時、嬉しいお土産を持ってきてくれるかもしれないんだ。でも、まだわからないの。確定じゃないの。もしかしたら何もないかもしれなくて。でも、でもね。もしお父さんがお土産を持ってきてくれたら、凄く嬉しいなって。お母さんもきっと喜んで、少しは元気になってくれるかもしれないって。それを考えたら、わたし。わたしね。まだわからないのに、それが楽しみで仕方なくて・・・。」

そう心底嬉しそうにはにかみながら口にして、凛の目から涙が溢れる。驚いたような顔をして、戸惑うように涙を拭う凛を見て、淳太は、おじさんお土産持ってきてくれるといいなと彼女に笑いかけた。涙を流したまま凛が笑う。こんな幸せそうな泣き顔は見たことがない。人は嬉しくても泣くんだな。凛が泣き虫だからなだけかもしんねーけど。そんなことを考えて、淳太は今まで以上に凛が愛おしいと思った。

収穫作業が終わり、淳太の家の縁側で二人並んで休む。

「凛。凛の家の分、ここに置いて置くから、帰る時に持って行ってね。」

そう淳太の母の声がして、凛はありがとうございますとお礼を言った。そして、淳太の両親が出荷のために選り分けた野菜を持って出かけるのを見送って、凛は小さな溜息をついた。

「なんだよ。溜息なんかついて。」

「なんでもない。」

「なんでもなくないだろ。隠すなよ。」

そう突っ込まれ、凛が黙り込む。

「淳太の家の人は、みんなわたしに普通にしてくれるから。ここにいれば自分が普通の子供な気がして・・・。」

口を開いた凛がそう言うのを耳にして、淳太は当たり前だろと返した。

「ちょっと人と違うとこがあったって、凛は凛なんだからさ。俺は化け物とか思ったことないし、うちの親だってそんなこと思ってねーよ。もし仮に本当に化け物だったとしても、だからって凛が凛じゃなくなるわけじゃねーし。扱いが変わるわけないだろ。」

「うん。淳太も淳太のお母さん達もそういう人達だよね。そう思ってくれて、わたし、凄く嬉しい。だからね。ここにいると凄く居心地が良くて、もしわたしが淳太の家の子だったならなってちょっと考えちゃって・・・。」

凛の言葉のその先にどんな言葉が続くのか、それを想像して淳太は辛くなった。きっと凛のことだから、自分の両親に対してそんなことを考えてしまった自分を申し訳ないと思っているのだろう。凛は優しい。いつだって自分は二の次三の次で、他人のことばかり気にしてる。自分が傷つくよりも人が傷つくことを恐れ、どんな酷い仕打ちを受けても誰も恨まない。そして他人の幸せを自分の事のように心から喜べる。本当に些細なことに幸せを見つけて喜べる。バカみたいに。

でも、だからこそ淳太は凛を甘やかしたいと思った。もっと自分の事に喜びを見つけて欲しい。もっと自分自身の事で喜んで欲しい。もっとワガママになって。ワガママを言って。お前のワガママならなんだって俺が叶えてやるから。だから・・・。

「凛。大人になったら、俺と結婚しないか?」

そうすればうちの家族になれるぞ。普通の嫁扱いされて、普通にこき使われて。そういう普通の生活をお前は送りたいんだろ?そう口にしそうになるが、それはグッと堪え口に出さなかった。そんなことを口にして、自分がこんなことを言ったのが、もしうちの子だったらなんて言ったせいだと思われたくない。そんな風に思われたら、絶対こいつはうんとは言ってくれないから。そう思って、淳太はしっかり考えてから、また言葉を重ねた。

「ずっとお前のことが好きだった。俺はお前がどんなんでも気にしない。うちの親だって気にしないし、きっと結婚を反対もしない。むしろ、お前のこと働き者だって褒めてたし、お前が嫁に来たら働き手が増えたって喜ぶんじゃねーの?こき使われるだろうし、苦労はかけるだろうけど、絶対、絶対幸せにする。誰よりもお前のこと大切にして、幸せにするから。だから。大人になったら、俺んとこ嫁に来い。ってか、迎えに行くから待ってろ。」

そう宣言して、酷く恥ずかしくなって、淳太は熱くなった顔が見られないようにそっぽを向いた。そして少しだけ、今自分が嘘をついた事に苦しくなった。

本当は、凛を嫁にするなんて言ったら反対されるとわかっていた。自分の両親が、凛が思ってるほど凛を受け入れていないと知っているから。

幼い頃、淳太は凛の事が嫌いだった。泣き虫でお節介で、鬱陶しくてしかたがなかった。もし凛が男だったら、ブン殴って大人しくさせてやるのに、そんなことを思っては女だからと我慢して、我慢して。自分のやる事を邪魔されては、女のくせに男のやる事に口出してくんじゃねーと怒鳴っていた。他人の為に泣く凛がうざかった。他人の事で喜ぶ凛に苛ついていた。でも、だからと言って、凛を疎ましいと思った事はなかった。凛が神隠しにあって、村の人々から疎まれるようになってからも。

大人は嘘つきだ。心の内で何を思っていたって、表には出さず良い人を偽れる。その点、子供は正直だ。だから、大人が隠している腹の内を悪気なく明かしてしまう。変な言動をするようになった凛を、大人達は可愛そうと憐れむ一方で、自分の子供には関わるなと言っていた。頭のおかしな不気味な子。あんなものに関わって何があるかわからない。子供が仲良くして家に入り込まれたら堪らない。そんな大人の意思が、子供達に凛を虐げさせた。その現状に当時の淳太は苛ついた。それまで凛と普通に遊んでいた子供達が、掌を返した様に凛を避け酷い言葉を浴びせる行為が信じられなかった。こいつらは何をしてるんだ、そう思って。苛ついて。何バカなことしてんだと、お前等おかしいだろと、凛を虐める奴等を非難したら喧嘩になって、相手をボコボコにして。そして父に怒られた。まるで凛を虐めてる奴らの方が正しい様に言う親の言葉が信じられなかった。子供を使って凛を虐める大人達が醜悪に思えた。そして、それを是とするそんな人間が自分の親だということが酷く恥ずかしく思えて、淳太はそのままそれを両親に伝え、母に頬を叩かれた。それに対し、淳太は怯まなかった。それどころか逆に火がついて、両親に噛み付いて、それが親に対する態度かと父に怒鳴られ殴られて。でも、淳太は自分の意思を曲げなかった。自分の考えを改めなかった。こんなのおかしい、間違ってると訴え続け、大人達は卑怯だ醜悪だと糾弾し続け、父に殴られ続け。それは母が、これ以上したら淳太が死んでしまうと、父に縋って止めるまで続いた。

気が落ち着いて、全身を覆う痣の痛みに苦しみながら過ごしてみて、淳太は少し後悔した。別に凛がどうなったって俺には関係ないし。何であいつなんかの為にこんな目に合わなきゃいけないんだよと、理不尽な悪態を心の中で吐いたりもした。でも、やはり周囲の行為を是とできない自分がいて、酷く苛ついて。そんな自分に心底心配そうに大丈夫?と声をかけてきた凛に、淳太は、お前には関係ないだろ、あっち行けブスと怒鳴っていた。

「でも、凄く痛そう。」

そう人の怪我の心配をしてくる凛に、淳太は苛ついた。自分が疎まれていると分かっているのかいないのか、凛は誰に対してもこうだった。疎まれる前と同じように誰に対しても。今はもうあいつらと仲良くなんかないくせに、あいつらから酷いことされてるくせに、誰かが傷ついついていれば声をかけ、誰かが困っていれば手を差し伸べて。バカじゃねーの。そんなことしたって誰もお前に感謝なんかしないのに。誰もお前に優しくなんかしないのに。それどころか、人に優しくして逆に酷い仕打ちを受ているのに。お前はもっと自分の事考えてろよ。今、一番手を差し伸ばされるべきなのはお前だろ。なのに、なんで。そう思うと遣る瀬無い気持ちで一杯になった。

凛に触れられた場所から全身に暖かい優しい何が流れ込んできた様に感じて、気がつくと淳太の身体に走り回っていた痛みはどこかに消えてしまっていた。驚いて袖をまくり、そこにあったはずの痣が綺麗になくなっているのを目にして、淳太は凛を窺った。自分と同じように驚いた顔をして、自分の視線に気がついて嬉しいそうに笑う凛を見て、淳太は、勝手に人の傷消してんじゃねーよと言っていた。

「わかってんのか?傷は男の勲章だぞ。それをお前、勝手に・・・。」

自分でもとんだ言い掛かりだと思う。でも凛はそれに怒らず笑っていた。

「ごめんね。でも、痛いより痛くなくなった方が絶対良いよ。見てる方も痛いし。淳太の痣がなくなって良かった。」

そう言われて何言ってるんだこいつはと思う。

「でも、淳太があんなに痣だらけになるなんて珍しいね。誰かと喧嘩して負けたの?」

「負けてねーよ。俺が負けるわけないだろ。」

「そうだよね。淳太は村で一番強いもんね。」

「まぁな。でも、それは子供相手の話だ。俺だって、大人には手も足も出なかった。でも、そのうち絶対、俺は大人にだって負けなくなってやるからな。子供だろうと大人だろうと、俺の言うこと聞かねー奴は全員とっちめて、言うこと聞かせてやるようにしてやる。今に見てろよ。」

そんなどうでもいい会話をして、それは本当にどうでもいいやり取りのはずなのに、笑っていた凛の目からポロポロ涙が溢れてくるのを見て、淳太はたじろいた。凛がどうして泣くのかわからなかった。だから戸惑って、泣くな、泣くなとどうにか泣きやませようとオドオドするばかりだった。

「違う。違うの。淳太は淳太だから。淳太のままだから。淳太だけは、変わらないでいてくれたから・・・。」

そう心底苦しそうに嗚咽を漏らして泣く凛を見て、淳太はこいつのこんな泣き方は初めて見たと思った。泣き虫であんなにしょっちゅう泣いていたのに、そう思って、淳太は凛が今までずっと自分のために泣いたことがなかったことに気がついた。他人を憂いて泣くことはあっても、自分を憂いて泣いたことがない凛が、今、自分を憂いて泣いている。それがどういうことなのか。どれだけ苦しい思いをすれば、こいつがこんな風に泣いたりするんだ。そう考えると淳太は胸が締め付けられて、こんな風に泣く凛を見たくないと強く思った。そして初めて凛を愛おしいと思った。誰もが味方をしないなら自分が凛の味方になる。どこにも居場所がないのなら、自分が凛の居場所をつくる。俺が一生こいつを守る。そう誓った幼い日の想いを、淳太は忘れたことがない。あの日から、凛は淳太にとって特別な相手だった。たった一人大切で、誰よりも幸せにしたい人だった。だから凛が望むなら、凛の望む通りに。例え現実は違っていても、少しでも幸せな夢の中にいさせてやりたい。そのためなら俺はなんだってする。いくらでも嘘をついて、最後までだましきってやる。そう淳太は思っていた。

凛から何も返事が返ってこなくて淳太は不安になった。これで断るとか言わないよな。ちゃんと餌もぶら下げて嫁に来いっつってるのに、これで断られるなんてこと・・・。そんなことを考えて、不安に押し潰されそうになって、淳太はそっぽを向いたまま、凛の手を握った。逃げるなよ。絶対。絶対、俺と一緒になるのが一番だから。だから、お願いだから俺のとこに嫁に来るって言えよ。そう思う。

「待ってる。」

暫くして漸く戻って来た返事。それを耳にして、淳太はバッと凛の方に向き直った。凛が顔を真っ赤にして俯いている姿を目にして、今の返事が色好いものだったと実感が湧き、淳太は全身が一気に熱くなった。握ったままの手が酷く熱く感じる。早鐘を打つ心臓の音がうるさくて、落ち着かなくて、淳太は手を離し凛を抱きしめた。

「迎えに行く。絶対、大人になったら迎えに行くから。約束だぞ。これでもうお前は俺のものだ。絶対手放したりしないからな。覚悟しとけよ。」

「うん。わたし絶対、淳太のお嫁さんになる。」

そう誓った約束がどんな結末につながるのか、この時の二人にはまだ想像すらできなかった。だからこの時はただ、純粋にありふれた幸せな結末を二人は夢見ていた。

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