第二話
「凛を返せ。あの子をどこにやったんだ。この化け物め。凛の姿を真似て、あの子のフリをして。お前なんかが凛の訳がない。わたしの娘な訳がない。本物の凛をどこにやった。凛を返せ。凛を返せ。」
そう言いながら凛に掴みかかる母を父が羽交い締めにし、引き離す。父に宥められながら奥の部屋に連れて行かれる母を眺めながら、凛は、今日は一段とお母さんの調子が悪いと思った。
頭がおかしくなってしまった可哀想な子。そう凛が揶揄され人々から遠巻きにされるようになったころから、母は様子がおかしくなった。最初こそ、そんな噂気に止めることはないと、凛を慰め寄り添っていた母だったが、そのうち凛がそうなってしまったのはあの時目を離した自分のせいだと自分を責めては泣くようになり、そして。凛が化け物と呼ばれ忌避されるようになると、母も凛を疎むようになった。今ここにいるのは凛ではない。凛の姿をした化け物なのだ。本当の凛はとうの昔に化け物に喰われて死んでしまったのだ。そんな妄想に取り憑かれた母は、凛を深く憎むようになった。
そんな母を凛は哀しく思った。わたしは本物の凛なのに。そう思って辛くなると同時に、こんな風に自分を責めずにはいらない母の心の内を想って胸が締め付けられた。心を患った母は臥せていることが多くなった。臥せていない時は暴言を吐き暴れることが多くなった。そんな母に少しでも安らかでいて欲しい。そう思って凛はできる限りの手伝いをし、いつでも両親を労った。でも自分が母の目に映るところにいることが母を苦しめているとわかると、凛は、母が臥せていれば代わりに家のことをなんでもし、母が起きている時はできるだけ母と顔を合わせないように外に出て過ごすようになった。
それでも同じ屋根の下に暮らす家族。全く顔を合わさないわけにはいかない。調子が良ければ母は何も言わない。でも調子が悪ければ、こうして心底憎悪に満ち満ちた目で凛を責めたてた。
母の暴言を凛は聞き流すことができなかった。
母が自分に向ける憎悪を、凛は受け流すことができなかった。
道行く人に当たり前のようにそうされても、もう何も感じないのに。母から向けられるこれにだけは、いつまで経っても慣れる事ができなかった。母に慈しまれた記憶が、自分が本物の凛であるという自負が、それを赦さなかった。いつかまた母に娘と想われたい。受け入れて欲しい。そんなこと口に出せばきっと母を苦しめる。そう思って胸にしまったその思い。それを、凛はいつまでも捨てる事が出来なかった。
母を宥め寝かしつけた父が戻ってきて大きなため息をつく。
「まったく、手の焼ける。病人なら病人らしく、ただ臥せていればいいものを。」
心底うんざりした調子で放たれた父の言葉に、凛は苦しくなった。わかってる。お父さんも疲れている。疲れているのに、こうして仕事をし家を支えながら母にも寄り添っている父は立派な人だと思う。でも、父の口から漏れたその心無い言葉に傷ついている自分がいて、凛は母の前では絶対にこんな事口にしないで欲しいと思った。
「お前のせいでうちはめちゃくちゃだ。」
父の愚痴が続く。凛のせいで村ではまともに商売ができないから、山を越えてむこうの町まで行かなくてはいけない。それだけでも一苦労だと言うのに、家の中までこんな状態でたまったものじゃない。こんな生活を続けていたら身がもたない。そんないつもの愚痴を聞き流して、凛は父に、いつもありがとうと伝えた。
わかっている。父のこれは本当にただの愚痴なのだ。そこには恨みも憎悪も何もない。ただ本当に大変で、ただ本当に疲れていて、だから吐き出さなければやっていけない、そういうもの。だから凛は、父の愚痴を聞くことは苦痛ではなかった。こうして吐き出して父がまた頑張れるならそれで良い。その為ならいくらでも聞けるし、何を言われても労って心から感謝する事が出来た。それに、こうして父と過ごす時間は変わりない父子の時間である様に思えて、凛はこの時間が嫌いではなかった。今の父は、昔の優しい父ではなくなってしまった。いつも愚痴ばかりで、今の生活に対する不満か、凛や母を責めるような事ばかり言うようになった。労うことも慰めることもしてくれなくなった。それでも、こうして父と向かい合っている時間に、凛はささやかな幸せを感じていた。
「せめてお前が見えるのが、知れてもなんの得にもならないものではなく金になるようなことならな。金の心配さえなければ俺は・・・。」
そんな父の言葉に、凛はハッとした。そしてそんな凛に気が付いて、父が気まずそうな顔をする。
「これは、そのだな。俺が働かずとも金が入るなら、家にいてあいつにもっと寄り添ってやることも、気晴らしに何処か連れて行ってやることもできるのに、ということだ。前よりずっと時間と体力ばかり消費させられた上にこんな肩身の狭い窮屈な生活を強いられるなど、やってられんだろ。本物、やってられんな。」
しどろもどろに発せられたそんな父のボヤきが、凛には天啓の様に聞こえた。
そうか。お金があればお父さんは家にいられる。お父さんが家にいれば、お母さんも嬉しいに違いない。それにお金があれば、お父さんもお母さんも何処か養生できるところにお出かけする事ができるんだ。お出かけして身も心も休ませて、そうすれば、お母さんも元気になるかもしれない。そうしたら、また家族円満で過ごせるようになるかもしれない。そう思うと凛の心は浮き足立った。お金、お金、うちにお金を下さい。そう願って、凛はどうしたら沢山のお金が手に入るのかを知った。
そうか。こんなに簡単なことだったんだ。大雨が続いて、このまま雨が続いたらどうなっちゃうんだろうって不安になって、空は晴れてもぬかるんで緩くなった地面が怖ろしく感じて、何か悪いことが起こるんじゃないか、そんなことを考えたら、土砂崩れを予見した。あんなのは嫌だと、厄災からみんなを助けたいと、次があったら今度は上手く伝えるんだと思っていたら、大きいものから小さいことまで次々と悪いことが起こる未来が見えた。怪我だって、自分が手を添えて癒えることを願えば、たちどころにその傷は跡形もなく消えた。そうか、願えばいいんだ。わたしが願えばなんでも叶うんだ。そう思って凛は、なんでもなわけはないかと少し冷静になった。
なんでも叶うなら、自分はこんな風になっているわけがない。でも今はとりあえず、願ったら沢山のお金を得る方法を知ることが出来た。だからこれをお父さんに伝えて・・・。お父さんはわたしの話しを信じてくれるだろうか。お父さんが信じてくれて、そしてうちに沢山のお金が手に入ったら。そうしたらきっと、今よりはずっと、お父さんもお母さんも幸せになれる。お父さんとお母さんが幸せなら、わたしも凄く嬉しいな。わたしのせいで沢山辛い思いをさせたから、その分もいっはい幸せになって欲しい。神隠しにあってわたしが変になったせいで、今までわたしが戻って来なければ良かったと思わせてしまった分、不思議な力を手に入れてわたしが戻って来て良かったって思ってもらえたら嬉しい。そんな事を思って、今より少しだけ明るい未来を夢みて、凛はそっと内緒話しをする様に、自分が知ったお金を得る方法を父に伝えた。