中編
「君は随分大切にされているようだね」
かくも珍しいことがあったと事の顛末を話したら、返ってきたのはそんな台詞だった。
自分でも随分過保護なことだと思いはしたので、真弓の方でも即座に否定の言葉は出ない。かといって肯定するのも違うから、ただ首を横に振る事になった。
「俺が何を言ったって、あの男が重い腰を上げたためしはないのにね」
天を仰いで大袈裟に嘆く素振りで、その実はただ真弓をからかって男が言う。
色の淡い髪がさらりと揺れた。
物腰は柔らかいが、あの店主の友人だけはあってなかなかいい性格をしている。日本画家だという話だが、真弓は彼が絵を描いている所を見たことはない。
十畳程の広さの座敷に卓をはさんでふたりは向かい合っている。
真っ白な開襟シャツの襟元から、くっきりと骨のかたちが見てとれた。
この人はもっと食べるべきだと真弓は思う。
卓の真ん中に置かれた鉢には貰い物だという最中が山を作っているが、男は盛んに真弓に食べろとすすめるばかりで、自分は食べようとしない。
「…一緒に暮らしてると性格も似てくるのかな」
真弓の視線に気付いたらしい男は、湯飲みに茶を継ぎ足しながら溜息のような笑い声をたてた。
「気色悪いこと言わないでくれますか」
「えー?本当のことじゃない」
目線が手許に落ちて、長い睫毛が濃い影を作る。
肌が白い。
…外に出ることを嫌っているのは、この人もあの店主と同じなのである。交友が続いているのがいっそ不思議なくらいだ。
男が背にした床の間には、掛軸に仕立てられた美人画が掛かっている。花嫁衣装だろうか、純白の着物を着て静かに微笑む女である。男の手によるものだろうか。
高校の同窓生だと聞いているが、彼らの間柄には美術商と画家という側面もあるから、そのせいで続いているとも言えるのかも知れない。
「一緒に暮らしている訳じゃありません。…間借りしてるだけです」
「同じじゃない」
ひとつ屋根の下に寝起きして同じ釜の飯を食っているのだから、事実としては確かに同居と変わらないのだが、認めると認めないとでは真弓の気分が違う。
むっとして口をつぐむと、今度こそ男は声をあげて笑った。
「君たちは本当によく似ているよ」
血の気が薄いのか、色の淡い唇を笑みのかたちにたわめて、男はす、と目を細めた。
「竹二郎が珍しい事をするものだから、血の雨が降ったようだ」
男は畳に手をついて体の向きを変えると、床の間に視線をやった。その視線を追って床の間を、そこに掛けられた画を見た真弓の喉から細く、息を吸う音が漏れる。
画の中の女の白い着物が、血のような赤い色で染まっていた。
あの、女だ。
何事も無かったかのように、男は掛軸を巻き取ると桐箱に仕舞った。濃い紫色の風呂敷で包んで、男はそれを真弓に託す。
「…今日も辻には女が立っているだろう。だけど、決して目を合わせてはいけないよ。約束できるね?」
真っ直ぐに見つめられて、真弓は男の瞳の色までもが薄い事に感心していた。
「もし守れなかったら?」
「とても怖い事が起こるだろうね」
薄く微笑んで、男は唇の前に指を立てた。
「辻を過ぎたら、決して振り返らずに極東庵におかえり。約束だよ」
残念な事に白無垢という言葉を真弓はまだ知らぬのです。