前編
残酷、流血表現がございますので、苦手な方はご注意くださいませ。
使いの度に通る辻には、いつも女が立っている。
女の姿はいつも朧気である。一目で、生きている者ではないと知れる。
…怖いと思った事はない。
女はただ立っているだけで、何をしてくるというのでもないからだ。
ただ、女の前を行き過ぎる度、酷く悲しい心持ちになるのが困ったものだった。
しかしそれも、流れる雲に陽が陰る程の、取るに足らぬ一瞬にすぎぬ。
ある日、使いの帰りに雨に降られた。
俄か雨だと思われたので、そのまま濡れながら帰路を急いでいると、辻にはやはり女が立っている。
その姿が嫌にはっきりしていた。いつもはモノクロ写真を見ているかのようにぼんやりしているが、衣の色ばかりか柄までが見てとれる。
女の衣は赤かった。
まるで生きた人がそこにいるようだ。
そう思ったら、いつものように側を通り抜けることが出来なくなった。
何故ならば女の衣の赤は切り裂かれた腹から染み出た血の色、柄と見えたは飛び散った臓物であると気付いたからだった。
決して生きているはずのない存在が、まるで生きてそこにいるかのように雨に打たれている。
凄惨な肢体とは裏腹、陶器のように滑らかな頬に滴が流れるのに知らず見とれていると声がした。
「──様」
くっきりと紅の引かれた唇が動き、耳朶を熱い舌でなぶるかのような声は耳から侵入して脳髄へと到る。
「花街の女はお前にはまだ早かろう…」
不意に背後から声を掛けられた。
よく知った男の声である。
「…アンタが店の外に出るなんてどういう風の吹き回しです?」
驚いて真弓は酷くひねた言葉を返してしまった。
振り返って見た男は片手で傘を差し、もう片方の手に畳んだままの傘を持っている。
ぞろりと着流した藍染めの衣の裾は、草履が跳ね散らした水でまだらに濡れていた。無造作に束ねた長い黒髪も、湿気を吸って重そうである。
まさかこの人は、真弓を迎えに来たのだろうか。
「…店はどうしたの」
「『かみや』の娘に預けてきた」
尋ねると男は心底嫌そうに顔をしかめた。
「アンタが他人に借りを作るなんて」
「誰のせいだ、馬鹿」
「…オレのせいだとでも?」
押し付けられた傘を、真弓は苦笑しながら開く。
「でもまぁ、助かりましたよ」
女は未だ辻に立っていた。だがもう、気になりはしない。
半ば傘に隠れた男の顔の中で、唇だけが僅かに弛むのを真弓は見た。
中編に続きます。
ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。