「知らない人と恋しちゃいけません」
告白した。人生初だった。偉業を為した。すごい。
すごい、すごいよ。よくやったあたし。
頭を抱えて悶々と自画自賛を強制中。
結果は、結果は……うん。お察し。
笑うなかれ。
そこらへんにいる有象無象系現役女子高生にとって告白なんて世界規模の偉業である。
あたしの好きな人、名前は青乃。苗字は音が悪口に似てるからみんな呼ばない。
四月に来た隣のクラスの転校生で、物静かに見えて自己紹介時でちゃっかり下の名前で呼ばせることに成功しちゃうようなやつ。
隣のクラスだから人づて、だけど。
強い。
クラスの壁は想像以上に厚かった。
それに青乃にとって全校生徒知らない人状態からのスタートだ。隣のクラスの女子なんて覚えてるわけがない。
そんな状態で告白するとか、ほんとよくやるよ誰だそんな無茶かましたの。あたしですけど。
だからまあ当然っちゃ当然なんだけど、さー!
「俺、よく知らない子とは付き合えない。山吹さん、だっけ。君も俺のこと知らないでしょ」
なんてクールに言ってのけられた。
不覚にもなんか雰囲気でときめいた後に意味を咀嚼して『は?』って言いそうになった。言わないけど。
テンションが完全に、『知らない人についてっちゃいけませんって教わったんで……』って感じだった。
えっ。ときめきのカケラもない。
いや、でも。あいつまじであたしのこと知らない。
あたしの名前、山吹。名字みたいだけどしっかり親の趣味でつけられた下の名前だ。
苗字が逆に名前っぽいから男子もみんなあたしのことを山吹って呼ぶけど。
あいつ、完全にあたしのフルネームを知らない感じで誤解マシマシで名前を呼んでた。
好きな子に名前を不意打ちで呼ばれるという王道トキメキイベントなのに、なーんでがっくりくるのか!
あんにゃろ。
まったく、可愛い顔して残酷な御仁であるのです。
必死に自画自賛してフォローかまして今にもどんがらがっしゃと崩れそうなメンタルをセーフティーしてるわけだけど、あたしはどうあがいたって「知らない人と恋しちゃいけません」って感じで振られた女。
そんなのアリかよ。今時そんなのアリなのかよ。
とか、ぼやいたりしてみちゃったりする以外になにができるというのでしょうか神様仏様よくわかんないけど恋愛を司るヤバい邪神さま。(完全に余談だけどあたしは人の色恋に口出すのはヤバいし邪悪だと思うわけです)
とは言いつつも。
奇声を噛み殺しながら自室のベッドでのたうち回るうちに、心が冷えてきた。頭が逆にかっかと熱くなってきた。
考えに考えるとやっぱり、なんていうか。
フラれた事実そのものよりも。『よく知らないから』なんて理由を突きつけられたのがすごく悔しい。
だって全然言い返せなかった。
だってほら、あたしマジで青乃くんのこと知らないわけですし!
あれ、超絶意訳すると『君、俺のこと知らないのに好きとか正気?』なわけじゃない。
正気だよ。こちとら生まれて十六年弱ずっと一貫して正気だよ!
いや……絶賛恋愛中で論理的に勝ち筋見えずで告白特攻かますぐらいだから全然正気ではない?
あれ?
まあいい。
つまりあれだ。
あれなのだ。
負けっぱなしじゃいられないのだ。
よく知らないことがいけないのだと、あいつは言った。ならば。
徹底的に知ってやろうじゃないか。恋する乙女のヤバさを舐めんな、どちくしょう!
そう、決意を胸に秘めるのだった──。
「いやだからなんでそうなるのかな、あんたは」
部活の休憩時間。
決意早々、顛末を親友に吐かされた。
秘め事も許されぬというのか。
自分の口から何かあったかを詳らかるのってめっちゃ恥ずかしい。
特に正当性もなく末代まで祟りたいくらいには恥。
「あんたの適当な記憶力を信じるとしたら、そのセリフだとアレじゃん? あんたの行き着くべき結論は『だったら青乃きゅんにあたしのことを知ってもらえるように頑張らなきゃっ!』じゃない?」
「猫なで声やめろよ……。いや、まあ、そうだけど普通そうなんですけど。でもロジカルシンキング的に、あたしが相手に知ることを強要するならあたしの方が青乃くん検定準二級くらい取れなきゃだめじゃない? 実際向こうの言い分に納得したし。仮にも好きな人なのに全然、知らないし……ほらあれじゃないですか誠意を見せろってもんですよ。誠意は小指の形をしている」
「してないしてない」
自白させられるのは時間の問題でしかなかった。
仕方ないのだ。親友・紫莉はシンユウっていうか悪友とか腐れ外ど……腐れ縁って感じのつまり良心と曖昧系な尊重心と容赦がないタイプの仲で、クラスも部活も同じなわけだから。
でもさ。
早いよ! もっとこう、心の整理ってもんが大事でしょ! 傷が! 癒えてないのに塩!!
吐瀉った方が楽だぜってカツ丼で後頭部を殴られた感じ。
めそっと泣きたい。
「いやいや。てかさー。まずそれさー。完全にさー」
ヒュィン、と紫莉は細いラケットを手持ち無沙汰に振る。
なんかやけに殺意たっぷりな気がするのは気のせい……?
「あんたそれ綺麗さっぱりざっくばらんとフラレてるわよ! 今後のご活躍をお祈りしますレベル! ワンチャンないっしょ! バカだねー! もうちょっと言葉の裏とか読みなよバカだねーーー!!」
「うっせーやい! はっきりきっぱり言わないと伝わらねーし! そんな純度の低い『ざっくばらん』とか認めないし! 紫莉のばかやろー!」
こういうやつだから。
乙女心はガラス細工なのによくもまあ言ってくれちゃうわけ。
ひどいひどいひどすぎる。人の心がない。
ランニングの召集がかかったのをいいことに、あたしは紫莉のもとから逃げ出した。
部活は終わり、『カレシと帰るからー』とにっこやかに手を振られて紫莉はあたしを置いて帰っていった。家の方向は逆だからつまり放課後デートの隠喩である。
バレー部所属の彼氏と外練が被ってお互いの部活がちょっと早めに終わる水曜日はいつもそうだ。
青乃と同じクラスの男子が紫莉のカレシで、何度か青乃とカレシ氏が一緒に帰っているのを見たことがある。
カレシ氏とは大変仲睦まじいようで、あたしは事あるごとに惚気を浴びせられ食傷気味だった。
まあ紫莉はスイーツを小馬鹿にするような斜に構えた性格の悪い女の子なので糖度はそんなに高くないんだけど、結構、なんか、粘度がある。ういろうみたいな惚気だ。
和菓子は好きだけどさあ、ねえ。
普段はつーんとすましてるくせによくやるわ。あれで超絶純情激ウザ乙女なのだ。女々。
さて、脱線したけど紫莉のこととかどうでもいい。大事なのはここから。
紫莉のカレシは青乃とすごく仲がいい。
青乃は生徒会で部活はやっていないらしいのだけど、それでも一緒に帰るくらいには。
青乃と紫莉ズ・カレシは高校の地元民で、駅とは逆方向に進んでいく稀有な人種だから部活仲間と一緒に帰れないってのもあるんだろうけど……いやそれでもめちゃくちゃ仲よくない?
まあなんだ、つまり今日は青乃一人なのだ。これはチャンス以外のなんだという。というわけで、あたしは靴箱の影で待ち伏せ青乃の後ろをそっと追うのでした。
敵の実情はこっそり探るもの。
初手は、尾行だ。
しかし自転車通学じゃなくってよかった。
足の速さには自信があるけど、さすがにあたしの足でも追いつけない。
我が校は現在、一時的に自転車通学禁止。
離れの棟が工事中で、その余波で自転車置き場が使えなくなってしまった。
ありがとう工事。
赤信号が変わるのを離れて待ちながら、あたしは工事現場の方に感謝の祈りを捧げた。
適切な文言がわからないので祈るも何もなかったけど。
ここの信号、変わるのが長いんだよね。手持ち無沙汰に青乃の背中をじっと眺める。
着古した感の足りないブレザー。
姿勢がいいから気が付かないけれど、実は結構背が低い。
紫莉と同じくらいの身長しかないんじゃあなかろうか。
なんて思いながらじーっと見つめる。
目からビームが出そう。
……あれ?
これ、もしかして。
ストーキングなのでは?
ふと思い当たる。
いやいやいやいや。
知れ、と言ったのは向こうですし。合意、合意です。
……言ったっけなあ?
慌ててストーカーの定義を確かめんとスマホで検索をかける。
ウィキペディアの文字の多さに目をくらくらさせているうちに、信号は変わっていた。
当然、尾行なわけだからさっきまで青乃がいた横断歩道からは大分距離が空いているわけで。
……あっ、間に合わない。
肩を落としながらどんどん小さくなっていく青乃の背中を見送り、こうして初尾行は開始数分で失敗に終わった。
見事に前途多難迷走無双中だった。
◇
尾行に失敗した次の日の昼休み。
「ていうか山吹はさ、どうしてあいつのこと好きなんだっけ」
珍しくからかいの色もなく、冷凍食品のグラタンをつまみながら紫莉はあたしに質問した。
いや、ここ、教室なんですけど。
デリカシーってもんがないったらないわ。
甘い卵焼きをもぐもぐと咀嚼しながら「ないわー」って視線を送ってみるけど伝わらない。
まあいいんだけどね。
教室の隅だし。
一応、『あいつ』って代名詞使ってくれてるし。
モロバレ固有名詞と大声でさえなければとやかく言いませんとも。目で異議は唱えるけど。
卵焼きを飲み込んで口を開く。
「言ってなかったっけ」
「言ってない言ってない。最初から全力で惚気でしたよ山吹さん」
「惚気ってそれきっかりちゃっかりくっついてる関係性でもって生じるアレソレだからね紫莉くん。片思いはー、惚気ってー、言いませーん」
今さっき検索した。ふふーん。
「じゃあ何? 色ボケ? 山吹色ボケ?」
「名誉毀損だー! 何ちょっと上手いこと言ってやったぜみたいな顔してんだ! 山吹色の恋心ってなにさ! 雅か? いとあはれか? むしろ『おかし』っていうか可笑しいわ!」
うっかり箸をご飯に突き刺してしまった。あらやだお行儀が悪い。
「はー……もう。別に、好きになったの、たいした理由じゃないんだけどね」
きっかけははっきりと覚えているのだ。
部活の自主練の時、うっかりシャトルを飛ばしすぎてしまったことがある。
集中が切れ出す頃合いで、休憩がてら遊び気分にシフトしていたのだ。どこまで高く飛ばせるか、みたいな。
案の定調子に乗りすぎて、シャトルは二階の教室のベランダに落っこちた。木に引っ掛かったりしないあたりが強運だ。
落ちたそこは生徒会室のベランダだった。
窓が開いていたので呼びかければ届くだろう、と声を張り上げて。顔を出したのが青乃だった。
事情を説明して、拾ってもらって。
結構その、アホな経緯だったから。笑われたんだけど。
『部活、がんばれ』
って。
二階から地上へと、羽と一緒に投げかけられた言葉と笑顔が、なぜだかぐるぐると頭の中から出て行かなくなってしまった。
……うう、くだらない。我ながら劇的にちょろい。
顔が好みだったのか? 好みだったのかも……わかんない……。
「んふふ。恋する乙女にとっちゃあ箸が転んでも胸キュンってわけね」
「クッソきもいしうざいし胸キュンとか多分死語だぞ、紫莉」
「うっそ」
出来る女はめげないへこたれない。
今更紫莉の茶々ごときで折れるやわなメンタルの鍛え方はしていない。
本日も青乃追跡計画は進行中。
紫莉とのくだらない話もほどほどに、弁当をさっさと片付けて隣のクラスへと遊びに行く
尾行なんてみみっちいことするから失敗したのだ。
正々堂々正面から乗り込み……そして陰から観察する。
……正々堂々?
まあまあまあ。そういうことにしておこう。
隣のクラスの友達とお喋りをしながら隙にちらちらと視線を青乃の方に送る。
青乃のクラスは前の時間が体育だったから、実質的な昼休みの開始が遅かった。想定通り。
出来る女は手帳を持つものだ。
あたしはページに書き込んでいく。
青乃の昼ご飯はいちごサンドにいちごみるくに……いちご好きか?
まじかよと二度見三度見したけどやはりいちご・オン・いちご。いやべつに乗ってないからオンじゃないわ。アンドだわ。
へー……いちごが好きなんだー……ふーん……ほーーーん……。
あたしはあんずが好きです。
途中でスマホのメモ機能でよくなかった? って気付いて虚無を観測した。
へこたれない。めもめも。
虚無、なんかハッカみたいな味がしそう。
虚無味。ハッカ好きに怒られるな。紫莉とか紫莉とか紫莉とか。
「また山吹が変なことしてるー」
けらけらと友達は笑った。
「いやいや、これには海より深い事情があるわけよ。黙秘だけど」
「うん。絶対くだらないことだから聞かなーい」
なんなの。
みんなしてなんなの。
皆さん山吹さんを舐めすぎでは?
そんな舐められることしてる覚え……覚……やめよう。墓穴に埋まる趣味はない。
めげない。
◇
そんなふうに、地道に地道に、あたしは青乃のことを知っていった。
ストーキングじみているのは不可抗力、それでも青乃の迷惑にはならないように配慮は尽くした。
調査の甲斐あり、青乃のことは随分と知れた、わけなんだけど。
「手詰まりだ……」
放課後の教室で頭を抱えていた。
今のあたしは随分と青乃のことを知っている。
好きな食べ物も好きな教科も誕生日もちょっとした癖も登校時間もくしゃみの音程も靴をどちらから履くのかも知っている。
……うわ、きもい。えっ、我ながらきもいな。きもくない? ストーカーでは? 自首するべき? ちょっと窓から飛び降りてきます……。
自己嫌悪に浸りながら開けた窓から上半身を投げ出す。肩までの長さの髪がぶわりと風に煽られた。
ぼんやりと下の景色を眺める。人、人、人。ここから見るとミニチュアみたいで、作り物みたいで、どこか動きすらも薄っぺらな気がしてくる。
あーあ。
「なんだかなぁ……」
好きな人のことをとにかく知ればいいのだと思っていた。
知れば何か変わるのかなと思っていた。この気持ちに確かな輪郭を与えられるのかな、とか少し期待していた。
でも、知ることで変えられるのは青乃の気持ちなんかじゃない。あたしが変えられるのはあたし自身だけ。
それは了承、覚悟の上。
なのに、知れば知るほど無味乾燥な気持ちで肺が満ちていく。
まるで青乃を記号で塗り固めているみたいな。
英単語帳を機械的に捲っているような感覚。
どうしようもない、違和感。
「……わかってるよ、どうせ」
『よく知らないから付き合えない』なんてただの方便で。
べつに知ったから付き合えるってわけじゃないのはわかってる。
恋愛は追試じゃない。赤点をとってしまえばそのまんま。
救済措置なんてあるはずもない。
だから……。
だから何?
そんなの知らない。あたしは聞き分けがないのだ。別に青乃に言われたからってだけでやっていたわけじゃない。それで恋が叶うとかそんな甘っちょろいこと無根拠に信じてない。
ただあたしがそうすると決めた。
青乃のことを知りたいと思ったから。
筋とか道義とか、そういう、貫くべきものの話なのだこれは。
もう木っ端微塵に振られてる?
そんなの知るかばかやろう。
だったら知ってからもう一度フラれりゃいいだけだ!
……そう思っているのに。そう思っていたのに。
このプラスチックみたいな味気のない憂鬱が、まるで、『あんたは間違えてる』ってつきつけに来たみたいで。
苦い。
「やっほー山吹っ! って、ええ!? 何してんのよ窓から落ちるよ!?」
アンニュイの真っ最中、勢いよくドアが開いた。
「げっ。紫莉かよぉ……あれ、後ろって?」
紫莉の後ろに最近割と見慣れた顔がひょっこりと現れる。
男子にしてはちょっと長めの茶髪とカラフルなヘアピン。猫科っぽい雰囲気であからさまに軽そうだけど意外に制服はきっかりかっちり着ている。
うん、間違いない。
「翠くん……だよね?」
「うっす。翠です。なんだかんだ直接話すのは初めてだな? よろしく山吹」
青乃の友達で紫莉の彼氏。何を考えているやら、紫莉は男連れであたしの元に乗り込んできた。
お? 煽ってんの……? 紫莉、そういうところあるからな……。人のアンニュイをガン無視するからな……。
我ながら信用のなさという信頼がやばかった。
さて。気を取り直して。
翠は紫莉と苗字が同じだ。
この地域では一番多い苗字らしいから仕方ない。
そんなわけで初対面にも関わらず名前呼びをぶちかましちゃったのは仕方がないことなのである。
そんなこんなで自己紹介がてら現状認識かつ雑談。
ていうか今まで関わりがなかったのが不思議なんだよね。部活は違うとはいえ同じ体育館を使う仲だし。
翠は気のいいやつだった。話は頻繁に紫莉から聞いていたので知っていたっちゃ知っていたけど。惚気バイアスで上方修正かかってると思ったのに。普通に事前情報通り。うむ、紫莉の人を見る目ばかりはあなどれない。
そんなわけですぐに打ち解けた。
「それで、名字一緒ってやっぱり不便?」
「あー、クラスが違うからそうでもないぜ」
「性別も違うしね。トラブル頻度はそうでもないかなー」
そんなものか。
「ただ……結婚しても名前変わらないんだよなあ」
ケッコン……?
突然出てきたダイナマイトパワーワードに硬直する。ケッコンってあのケッコンですか? あの、薬指と薬指をアレするアレ……。
冗談かなーとおもったら翠はめちゃくちゃ素面だし。
……こっわ。
「ばっか、そもそも高校の恋人なんて続くわけないでしょ」
紫莉ぺしりと軽く、腕をはたく。
すれたこというけどそういうやつに限ってびっくりな純愛したりするんだよなぁ。
ちゅうか人前でいちゃつきやがって。惚気実演じゃねーの。なんなの。結婚前提で話すのなんなの。翠氏やばいわ。紫莉のこと好きすぎでは?
あれ、彼、紫利よりやばいのでは?
うへぇ……帰っていいかなぁ……。
おいとましたさにガンガンに打ちのめされていたあたしに、翠が向き直る。
「なあ山吹」
どことなく真面目な顔。ここからが本題だというように。あたしは背筋を伸ばした。
やばい。だって、翠は青乃の友達なのだ。
迷惑を掛けないようには気をつけていた。でも、言い逃れできないほどにストーカーではあったのだ。今さっき気付くような愚か具合だけど。きっと、青乃は気付いていて、翠を経由して話を付けにきたんだ。
わかりきった有罪判決を待つ気分だった。
死にたい。せめて、せめて腹を切らせてもらえないだろうか。打ち首は嫌だ、打ち首は嫌だ……。
きゅっと眼を瞑る。
「青乃のことでオレに手伝えること、ないか?」
「……へ?」
紫莉の方を見る。
「言っときますけどあたしは何も言ってませんからねー! こいつ変態だもん! 目敏いのよ! 何も言ってないのに気付いちゃったんですー!」
「おいやめろ、照れるだろ」
「褒めてねーわよ!」
「え、あの、あのさ、ごめん。話が読めない。どういうこと?」
全力で予想外だった。意味が分からなかった。手伝う? ……何を? ストーキングを? え? 駄目でしょ。今からでも遅くないから一緒に自首しよ?
「や、だから手伝いたいんだよ」
「……なんで?」
「なんで、かぁ」と翠はちょっと困ったように笑った。
「オレは紫莉の彼氏で、青乃の親友。で、山吹は紫莉の親友。つまりオレにとっても山吹は未来形で友達ほぼ確。つかもう友達でよくねってレベル。お互い、紫莉を通して知ってるわけじゃん。かなり」
「紫莉バイアスすごい気がして超不本意だけど。まあ、実質初対面じゃないよね感覚的に」
「そゆこと。というわけで、協力ぐらい安いわけよ」
いやいやいや、やっぱなんでそうなる。違うだろ。なんかおかしいだろ。
翠から距離を取る。うまい話には裏がある。
「オレは山吹がめちゃくちゃいいやつだと思ってるしな。だって紫莉の親友だぜ? コイツ、性格はクッソ悪いけど人を見る目は確かだし。なんせオレを選ぶんだからな!」
「そういうこと言うからあんたはだいなしなのよ、だーいーなーしー」
紫莉がぺちぺちする。いちゃついてる。
「ま、ぶっちゃけ善意百パーセントなんかじゃねえよ。オレにもオレの目的、みたいなもんがないことはない。あんまないけど」
そう言って、翠はにっと笑った。
あたしは黙る。黙って、考える。
翠は青乃の親友だ。翠の力を借りれば、青乃のことをもっとずっとよく知れる。
しかも非倫理的な手段に訴えかけることなく。
完璧に都合のいい提案だった。都合が良すぎて虫歯になりそうだった。
でも、あたしは、それを『ラッキー』だなんて思えなかった。
それでいいのかな。
……本当に?
「あのね、山吹」
顔を上げた。紫莉が迷うあたしに声をかける。
「山吹は、山吹らしくやったほうがいいと思う」
うざくて悪辣で、かわいくてやさしい親友は。
そんなふうに微笑んだ。
……そうか。
あたしは、やっぱり間違えてたんだ。
紫莉はそれを言いに来てくれたんだ。
「……ありがと!」
あたしはお礼を言ってそのまま教室から出る。
こそこそもうじうじも似合わない。らしくない。
あたしにはあたしらしいやり方がある。
必要なのは本音と覚悟と正面突破。
さあ、青乃に会いに行こう。
◇
告白された。人生で初めてだった。
まさに青天の霹靂と思ったけれど、その日は青空とも突然の雷とも縁遠い中途半端な曇りの日だった。
「ハァ!? 青乃、お前、断ったの?」
二週間ぐらい足ってからふと思い出したように、幼馴染の翠に報告すると信じられないものを見る目で言われた。
俺はむっとして答える。
「よく知りもしないのに付き合えるかよ」
「ううーん、正論。正論ではあるんだけどなぁ。言ってるのがお前だから、なんというか。信用ならなさがあるな」
失敬な。そもそも何を疑うというんだ。
「で、告った女子って誰だよ」
「それをバラすのは筋じゃない」
「……まあそりゃそうだな」
翠は軽くて適当で、俺とはあまり似ていない。
幼稚園から小学校、高校と一緒の腐れ縁だ。俺が引っ越していたから中学は一緒じゃないけど。
でも、腐れ縁というだけで仲良くなんてできない。こいつは普通に、いいやつなのだ。
「断ったというか、辞退……かな」
「は?」
「だって俺は、あの子のことを何も知らないんだ」
山吹の顔を思い浮かべる。
「大抵においてはさ。色恋なんて気の迷いだ。告白なんて若気の至りだ。
人を好きになるには確かな理由があるんだよ。きっと、みんな気付いていないだけで。
相手のことを知らないのに付き合うっていうのは、不健全だと俺は思う」
だが、告白とは勇気のいることだ。俺にはできそうにない。
だから俺は山吹という女子を尊敬するし、だからこそ、彼女のことを何も知らないような俺は、恋人などには相応しくないのだ。
どうして告白を受け入れることができようか。
「よく知らないのに付き合うなんて、それは、あの子に失礼だろ」
翠は口を開けて固まった。
「おまえって……すっっげー面倒臭いのな!?」
「なにがだよ。筋は通さなきゃいけないだろ。筋は。物事には誠意を持ってあたるべきだ」
翠は滅茶苦茶に眉間に皺を寄せて大きな溜息をついた。
「……それはほんとに、誠意か?」
ぐっ、と息を詰まらせた。何故だか反論ができなかった。
「難しく考える必要なんてねーと思うんだけどなぁ。過程はどうあれ、最終的にお互いが好きだったらなんにも問題ねーじゃん。オレだって初めは……」
翠が惚気モードへと移行した。こうなった翠は止まらない。前の話題に戻ることはないだろう。
俺はなぜだかほっとしながら、正気を失うほど甘ったるい話を上の空で聞き流していた。
『知らない子とは付き合えない』と彼女に言った。
しかし告白されたからには、知らないままでいるのは不誠実ではないかと思うのだ。
あれから。
山吹のことを知ろうとした。
クラスは違う。関わりはない。けれど別に、知る方法はいくらでもある。
どうやら山吹は友達が多いタイプらしいから、それほど苦労はしなかった。
『山吹』というのが苗字じゃなくて名前だということを知った。
とても足が速いことや、決してけたたましいわけではないけど、笑い声がよく通ることを知った。
生徒会室の窓から山吹の姿を見つけて、そういやいつか、シャトルをここまで飛ばしてきたそそっかしい誰かが居たなということを思い出した。
それがおそらくは山吹であったことも、知っている。
最早彼女はただの知らない子ではなかった。
だけど、知っても知っても足りない。
どれだけ知ってもよく知らないままで。
困る。
でも、
「なんで困るんだっけ」
遠くから山吹を見ていると、焦りのような感情が頭を占める。
誰もいない夕方の教室で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
そろそろ生徒会室に向かわなければとは思うけど、いまいち立ち上がる気分にならない。
ドアが開き、翠が教室に入ってきた。
「青乃……」
「なんだよ」
「いや、なんでもない。言うべきなのはお前じゃないな」
「相変わらずよくわからないことを言う」
「よくわからないのはお前だよ」
翠の彼女の姿が見える。彼女が翠を呼ぶ。
「そうだな。もう少し、そこで待ってろ。多分すぐ、わかるから」
翠はそう言って、教室を出て行った。
しばらくしてまたドアが開く。
「戻ってきたか。それで、どういう意味だったの、か……」
振り返り、固まった。
入って来たのは翠ではなかった。
「山吹、さん?」
そこにいたのは山吹で、熱中症目前みたいな顔で短いスカートをぎゅっと握りしめていた。
「あの、あのあのあのあのあの!」
「落ち着いて。大丈夫、落ち着いて」
「あ、ああ、あ…………あかん、何言うか忘れたーーー!!」
「落ち着いて。とにかく」
見ていてこっちが大丈夫じゃなくなる。
どうしよう。なんで山吹がここにいるんだ。
というか翠はまだ帰ってこないのか。
いや、このタイミングで帰ってきたら気まずいな。
金魚のように口をパクパクさせていた山吹は唐突に大きく深呼吸をして、キッと顔を上げた。
「この前は、困らせちゃってごめん!」
先手を奪い取るように、返事を待たずに山吹は続ける。
「知らない人を好きになることはあり得るのか、よく知らないのに好きなんて錯覚なんじゃないのか、きっとそう考えてたんだよね、君は」
「もしかしたらただの建前で、なんでもいいから断りたかっただけなのかもしれない。だけど、建前だったとしても『それは違う』って言いたかった。言わなきゃって思った」
「知らないから知りたいの。好きだから知りたいの。無理とか不可能とかじゃなくって、よく知らないままで好きになっちゃったんだから。よく知りたくて、きっと好きになったんだ。全部全部ほんとの気持ちで、あたしの中では矛盾も不整合もない」
血の気の多い逆上せた顔で、飛び出す言葉は硬くて強くて、見た目は今にも崩れそうなのに噛み砕けなくて、そのまんまで喉の奥を通過する。
「あたしは青乃くんのことを知りません。でも、知りたいと思って、ます! だって、あたしは、君のことが好きだから!」
再告白は、雷のように落っこちた。
……そんなのアリか。
心臓は静かなまま、脳味噌は冷えたまま、いたって正気のままで、何かがカチリとはまった。
何も知らない。
知らないけれど、
ほんの少しを知るだけで、人を好きにはなれるらしい。
今この瞬間に、身を以て思い知った。
何が『すぐわかる』だ、翠のやつ。
わけがわからなくて笑えてくる。
だけど、
ここで言わなきゃ何かが廃る。
ここまで真っ直ぐ飛び込んで来られて、受けて立たない不誠実などあり得ない。
だから。
真っ正面の告白には、真っ正面の──
「だから!」
山吹の声が、思考を途中で叩き切った。
「もしよかったら、友達からよろしくお願いします!」
直角九十度の礼と、ビシッと差し出された手。
「……えっ」
「は?」
「ハァ?」
覗いてたお節介二人がうっかりドアからはみ出していた。
「あっはは……なんか、もう、どこから突っ込めばいいのかわかんないなこれ」
うっかりすれば延々と笑い続けてしまいそうになる。
なんだこれ。
人がせっかく腹を括ったタイミングでそうくるか。
「うん、そうだな。友達から始めるのも悪くない。悪くないというか、そっちの方が多分俺たちらしい」
山吹が空気を読んでしまったのか、呆れ果てた顔の翠とその彼女をチラチラと見やり、呟いた。
「は、え? あれ? ……なんか流れ、間違えた?」
がくがくと後ろで首を縦に振る出歯亀二人は置いておく。
「いいじゃないか、細かいことは」
山吹が納得がいかないような顔をしたのも一瞬で、もう次の瞬間には能天気で明るい笑顔を見せていた。
「そっかぁ、いいよね! 一応うまく、いったみたいだし? これからよろしくね、青乃!」
屈託なく、そう言った。
こういうところをこの先に、好きになるような気がした。
めちゃくちゃ大きな溜息が後ろで聞こえているが。
色々手を回してくれたのはまあありがたいと言ってやらんでもないけれど、それはそれとして覚えてろよ出歯亀どもめという心境。
さて、再々告白はいつになることやら。
今度は先手を取られないようにしないとな、なんて考えるけど。
遠い未来の話ではなさそうだ。
きっと知れば知るほどに、好きになるんだろうから。
Spcial Thanks
ネタ提供:藤崎珠里さま
ありがとうございました。