09.海
姿を二十五にして運転を再開し、とはいえもう着いているので、順に車内で着替えて浜辺に出た。
出た瞬間、僕は盛大に照れた。
水着姿のユリを直視できない。見かけは二十五ぶっていても僕は子ども。余裕があるはずがない。
明らかに顔を赤くして顔を逸らしてしまう僕を見て、ユリが不思議そうにしている。
「海で泳ぎましょうよ」
と僕の手を掴んでグイグイひっぱる。
打ち明け話から行動が変化した、と僕は思った。
僕が年下の少年だと分かったから、遠慮が少し消えたのだろうか。
だけど、ユリが積極的に触れて来てくれるのはやはり嬉しい。
波打ち際に進んで歓声を上げる。
お互い、真水の中を泳ぐ経験はしたことがあるけれど、自然の海というのは初めてで、波のすべてが新鮮だ。
僕もユリもすっかりはしゃいで、奥まで進む。
「サクさん、泳げる?」
「泳げるよ」
「良かった」
波に遊ばれながら、僕がギリギリ足のつくところぐらいで遊ぶことにする。
自然を侮ってはいけないというのもまた人間の教えなのだ。
だけどユリはすでに足のつかない深さに来ているから、はしゃいで僕の腕にしがみついてくる。
思いがけない接近と、初めての海とで、もう訳が分からなくなる。
とりあえずもう最高だなと僕は思った。
気が緩みすぎて思った事そのまま口にしないように気をつけなくては。優秀なユリに馬鹿と思われたくない。
「ねぇ、あの、ユリって、呼んでもらっても、良い?」
とユリが言った。笑顔だけど、勇気を出した発言のようだ。顔が赤らんでいる。
ドキリとしてすぐに返事ができない。いやすぐに返事しろ僕!
「う、うん、もちろん、ありがとう」
一拍待ってから、ユリはやはり恥ずかしそうに、少し沈んで海に口元をつけてから、また浮かんできて、こう言った。
「あの、サクって、呼んでも、良い・・・?」
「うん、呼んで!!」
あまりに照れているのが分かったので、逆に僕は勢いづいてそう返した。トプン、と海面下に顔を沈めそうなのを、掴まれている手に手を重ねて強く同意を示してみる。
だけど真っ赤になって、そのままユリは海面下に沈んでしまった。
浮上してこない。照れているはず。どうしよう。息、大丈夫だろうか。
呼吸の無事が気になりだしたら本気で心配になってきた。
人間の潜水時間には個人差がある。けど。
トプンと僕も潜ってみる。ギュッと目を瞑って何かに耐えているユリが海中、すぐそこに。
指で頬をくすぐってみると、目が開いた。
スッと上に上がるので僕も上がる。
ユリが呼吸を意識的にしている。息を止めていたからだ。
「大丈夫?」
と僕が聞くのを、ユリが顔を覆うようにして隠してしまう。
「恥ずかしい」
「どうして」
「察して欲しい・・・」
「・・・だってとても嬉しくて。可愛くて。好きだなって思って。照れるから恥ずかしい?」
パァ、とさらにユリが赤くなった。
「・・・名前・・・呼んでくれる?」
ユリは勇気を出している、と僕は思った。たぶんユリは、自分からのお願いを伝えるのが、苦手だ。
「ユリ」
と僕が呼んだ。嬉しくて僕は笑顔になった。
「・・・サク」
と、心底照れながら、ユリが僕の名前を呼んだ。
ユリも真っ赤だったけれど、僕も心底ドキッした。
名前を呼び合うだけで、どうしてこんなに動揺するんだろう。
***
泳いでみたり、浮かんでみたり。でも基本的には手を繋いでいる。
「その、呼び捨てって、憧れてたの。付き合っている人たち、皆そうなっていくから」
と、今は砂浜に上がり、屋台自動販売機から購入したイカ焼きを食べながら、ユリは言った。
「そっか」
僕の心の中では皆を等しく呼び捨てだけど、普通は違うのかな。と思ったが、これは口に出さずにおく。
「サク、の、ところは、呼び捨てなの?」
どうやら気まずさからくる話題転換らしい。と察しながら、僕は答える。
ユリをがっかりさせるのは本望では無いのだけど・・・。
「基本的に、研究所は、普通に呼び捨てかな。自分より年下だと特に。年上の人は『さん』をつけてると思う。でも、特別な時だけ『ちゃん』とか『くん』とかつけてからかう人もいる。だから、あまり気にした事が、無かったかな・・・」
「そ、そう・・・」
「でも、ユリって呼べて、嬉しい。特別なんだよね?」
と僕は笑顔を向けた。
「うん」
とユリは照れた。
「多分、僕たち、ちょっと文化が違うんだろうな」
と僕。
「・・・サク、は、このまま、スクールバスの運転手?」
「え? どうして」
「ただの確認。本当の年齢を聞いたから・・・本当は働く年齢じゃないでしょう? じゃあ、また違う仕事になるのかなと、ふと思って。いろいろ何か、違いそうだから」
「あぁ。確かに。うん、運転手は社会勉強の一環で、僕がやれるっていうから、やりたいって志願したんだ」
バスの運転手は、本当は人間なんて不要だ。AIで全部できてしまう。
だけど特にスクールバスは、乗れる人がいるなら人間が乗車する事になっているらしい。子どもたちの見守り係として。
僕はふぅと息を吐いた。
「僕にはまだ、他にできる仕事が無いみたいで」
格好悪いことを白状している気がする。落ち込む。
「そうなの?」
「うん」
「そう・・・。普通は19歳から働くんだもの。そう考えるともう働けるのがすごいのよ」
「ありがとう。・・・普通に暮らしている人たちを見たかったんだ。たくさんの子どもたちを」
「そっか」
ちなみに、僕以外では、やっぱり子どもの年齢だけど、集中力のものすごくいる火炎コントロール支部責任者に抜擢されている人もいる。
僕にはそこまでの秀でた能力はないようだ。
「サクは、何になりたいの? 目指しているものは?」
とユリが聞くので、思わずマジマジと見つめてしまった。蒼も同じような事を僕に聞いた。
ユリや蒼たちは、常に何になりたいかを考えて、大人になってきたのかも、しれない。
「僕は・・・」
心にないものを話しても仕方ない。
ささやかだね、と蒼に言われた事も思い出される。
そういえば蒼は、僕の正体に薄々勘付いていたのかな。とても人間らしい、なんて表現をして。
「僕は、ユリと一緒に暮らしたい。叶うなら、きみと結婚したい」
「・・・」
ユリは目に見えて動揺した。ドキリと身体が動いたから。
パァと赤らんだ顔を一生懸命、イカ焼きのクシを持つ手でも押さえながら熱を抑えようとした。
「そ、あ、え、うん」
「・・・」
僕も言ってからじわじわと赤面した。
普通の会話の中で改めてプロポーズを入れてしまった。
「良い?」
と僕はユリに確認を取った。押しすぎ?
「え、あ、う。ん」
ユリはまだ行動不振だ。
じっと見つめる。
その様子に、僕から言った。
「まだ早いよね。今日、僕について話したところなのに。また、言うから」
「え、あ、うん。・・・ありがとう・・・嬉しい」
確かめるのは野暮だと思ったけど、やはり掴み兼ねて、僕は確認した。
「それは、どの部分まで、嬉しいって言ってくれたのか、な」
「・・・また言ってくれたら、嬉しい。そう言ってくれたのも、嬉しい」
「ありがとう」
と僕は安心に息を吐いた。
今、断られたのではないのが分かっただけで、嬉しい。むしろ肯定的な様子なのも、思い違いでなかったら本当に嬉しい。
「僕の仕事の事は・・・僕に何ができるか分からないから、またきちんと考えていこうかな」
「うん・・・そうね」
と、ユリは頬に赤みを残したまま、どこかくすぐったそうに僕に笑んだ。