80.覚醒
ベシャッ
ガーホイが、ついに床に液体を叩きつけた。
自由を取り戻し、ガーホイが、大きく何度も深呼吸する。
目が血走っている。
液体が膨れるように伸び上がろうとする。
急いで床の排水口にと蹴ると、下部分だけ動いて、上が不自然に宙に留まった。
『ガー・・・ホ、イ、くん』
僕は耳を疑った。
部屋の出した声? それにしては壊れたような声。
思わず視線を動かして皆の様子を見るけど、それぞれ緊迫している。
ガーホイは液体を凝視している。
人影が、ふと動いた。
何人かいる?
「キチェ先生みてぇだな」
とガーホイが呟いた声に僕はハッとした。人影が消えた。
ひょっとして、僕はまた過去を見た?
液体がガーホイに被さるように膨らむ。
「きみ、危ない、避けて!」
リクさんが床に落ちた排水パイプを掴み直そうとして、僕も空間の上部に不自然に残った液体を払い飛ばそうとする。
「ガーホイさん!」
ガーホイは、突っ立っていた。
じっと液体を凝視していた。
むしろ、目を輝かせていた。
ぐにゅ、と液体の動きが急に変わる。
排水口に触れた部分から、吸い込まれていく。リクさんの突っ込んだ排水パイプにも流れていく。
僕が払った部分が千切れたように壁に飛んで、ゆっくりと床に伝うように落ちていく。
ちゃぷん
最後に変な音がした。
全てが部屋から排出されたようにみえる。
「・・・サク坊の弟、大丈夫かよ?」
ガーホイは、まずソウの事を尋ねてきた。
「リクさん!」
とハッと焦ったのは僕。
「ソウ、大丈夫!?」
ソルトがソウ本人に呼びかける。
ブルブルとソウの身体が震えた。
モニターに大きな変化が現れる。
『目を覚まします』
皆が緊張している中、急にソウが大きく身体を伸ばした。
そして、ふぅと力を抜く。
それから、急に腕を動かして、親指を口にくわえて。
むにむにと口を動かしてから、パチリ、とソウが目を開けた。
皆が固唾を飲んでソウを見ていた。
***
ソウは瞬きしてから、少し首を動かして少しだけ辺りを見回した。
近寄ってきたからか、ガーホイの方向で視線を止めて、それから微笑むような顔になった。
『ガーホイくん』
今度は小さな可愛い声が、聞こえた気がした。
僕は瞬きをした。
皆も同じ声を聞いただろうか。
ソウは、すぐ眠たそうに目を閉じた。
『睡眠に入りました』
ハッキリとした部屋からの報告の声。
「起きた・・・」
と、リクさんが茫然とした声で呟いた。
***
それからは、あわただしくなった。
ソウの状態の確認と、何が起こったかの確認と。
それをしているうちに、ソウはすぐ目を覚まして、今度は泣き声を上げ始めた。
***
「キャー、暴れないで! ユ、ユリちゃん、助けてぇ」
と、ソウを抱っこしたいと申し出たものの、ソウの動きにうろたえているソルト。
「わ、私も赤ちゃんの抱き方分からないわ・・・」
とユリもどう手を出せば良いのか分からずオロオロしている。
ちなみにリクさんは、ソウの環境を整えるために手配に走って行ってしまった。
『補給コードの解除を提案します。解除しますか?』
「えぇっ!? リクさんに聞いてよ」
『「サクの判断に委ねる」との回答です』
「えぇっ!? ソルトどう思う!?」
「分からないわよー!! ソウー!! じっとしてぇー!! コード邪魔ー!!」
「え、コード解除した方がソウのために良いの!?」
『そのように提案しています』
「じゃあ解除で!」
部屋の天井から空気が抜けるような音がして、ソウの身体に刺さっている各種コードがするすると抜けていく。抜く際にきちんと止血していってくれるようだ。
とはいえ、驚いたのか、ソウがさらに泣いている。
「どうしたら良いの~!!」
ソルトが泣きそうで、ユリも慌てた様子で一緒に腕を添えている。
ちなみにガーホイは、部屋の隅で、なぜか三角座りをしている。僕たちの様子を眺めているのだ。
僕が助けを求めるようにガーホイを見ると、ガーホイは困ったように手のひらを見せてきた。
「俺が触って良いなら、俺も抱きてぇ」
「・・・試してください、お願いします」
遠慮していたのだろうか。とにかく、泣き止む可能性を求めてガーホイにソウをお願いしてみる。
ガーホイが立ち上がりソルトたちに近づき、ソウを受け取る。
「うぉおおおっと」
「キャー落とさないでくださいー!!」
「こいつが動くからよ!」
「頭、頭!」
「わー!!」
結果、誰が抱こうとしても同じ様子。
***
リクさんが、手配がやっと終わったらしくて、研究者の人をもう一人連れてかけて戻って来た。
二人でカゴを持っていて、見ればきちんと布団ものせてあった。
「お待たせ!」
「リクさん、コード解除しました、提案だって。大丈夫でしたか!?」
「ありがとう、提案だったんならそれで大丈夫だ。ソウ、うわー、泣いてるなぁ!」
「腹が減ってんじゃねぇのか? 食いもんは?」
とガーホイ。
「ミルクだ。でもまず部屋を移すそう」
「どこですか?」
「私の部屋と一緒が良いわ!」
とソルト。もう一人の研究者が呆れたように注意した。
「それはオススメしない。ソルトちゃんは赤子の大変さを知らないから」
「大丈夫だもの!」
「いやー、オススメしない」
「あー、僕、これから乳児を育てるのか・・・」
リクさんがなんだか力が尽きたような声を出してどこか落ち込んだようにさえ見える。
「頑張れ。サポートするから」
「助かる」
研究者とリクさんのやり取りに、ソルトが膨れて見せている。
「私もサポートしたいわ!」
「うん。だけど、ソルトはまず自分優先しないとさぁ」
会話しながら、動作で促されて、ガーホイが、抱いていたソウをカゴに入れようとした途端、ソウは嫌がってまた皆で慌てた。
***
やっと落ち着いた。
ソウはカゴに入れられて、新しく用意されたソウの部屋に。
リクさんとソルトと研究者の人はソウについている。
僕とユリとガーホイは、状況報告も終わったので、「お疲れ様」と、僕の部屋にてお茶とお菓子の提供を受けている。
ガーホイは、お菓子をボリボリ食べて、飲み込んで。
「色々、覚えてねぇこともあるんだがよ、まぁ、ちょっと思い出した」
と、そう言った。
「そうでしたか・・・例えば・・・?」
「研究所、キチェ先生、っていう女の先生がいてよ。小さい頃から俺らを可愛がってくれてた。っていうのを、思い出したな」




