61.恐怖
初めの数日は、荷物の確認もしながら、のんびりと過ごした。
ユリの端末に、僕の回復と引っ越しおめでとう、というメッセージもたくさん入った。
メッセージをくれた彼らに、僕とユリとで揃って御礼の返事を送る。
そうして、ユリは自宅で仕事を始めだした。大分遅れてしまったけど、本来の予定どおりに。
数枚のモニターで世の中の好みや消費量の偏りを把握しながら資源管理をしつつ、新しい商品も提案する。
そうなると、ユリの仕事時間、僕は手持ち無沙汰になる。
サクさんからもらったプログラムを家に登録して、リハビリで運動はしているのだけど。
そういえば僕は、バスの運転手もクビになっていて、こちらには資源回収のお仕事は地域的に無理だと言われていたのだ。
うーん・・・。
このままだと無職。どうしたものか。
ユリには、身体をきちんと回復させることを優先して、と頼まれているのだけど。やっぱりいろいろ考えてしまう。
そんな事を考え始めた時に、僕は突然、発作に襲われるようになった。
***
仕事について考えのたがキッカケになった気がする。たぶん、きっと。
そして、事故直後は身体の状態が酷くて、その割には普通に僕が話すから、僕も含めて、心の方にも問題が発生していたと、誰も気付いていなかった。
夜、ベッドに横たわり、灯りを落とした部屋で天井を見上げた時に、僕は急激な恐怖に襲われた。
飛び跳ねるように僕は悲鳴を上げた。
ユリが驚いて僕に飛びつく様にして僕を正気に戻そうとしたけれど、大声を止めることができなかった。
やっと息を吐ききって空気を吐き出した後は、勝手に身体が震えてどうしようもない。
怖い、と思った。
怖い、怖い、怖い。
ガタガタ震える僕に、ユリは抱き付いて落ち着かせようとしてくれたけど、どうにもならない。
「サク、サク! どうしたの、どうしたの!?」
声は理解できるのに、返事をする余裕がない。
「お医者様を! 症状の確認をお願い!」
ユリが家に声を上げた。
『興奮状態です。恐慌状態です。鎮静剤を使用しますか』
「どうしよう、分からない、薬はまだ止めて! サク、どうしたの!? 怖いの? どうして、何か見えたの!?」
僕は泣けてきた。怖くて、怖くて、情けなくて、どうしようもできなくて、でも、黒くてぽっかりとした暗がりが胸の中にあるようで、その暗がりがどうしようもなく不安で。
「サク!」
「怖い、怖いよ、怖い」
「何が怖いの、何か見たの? 怖い夢でも見たの?」
『眠ってはいません』
「怖い、とても怖い、崩れそうなんだ、全部」
「全部? 全部って?」
『幻覚症状ではありません。追い詰めてはいけません』
ユリも泣き始めながら、僕を強く見つめている。
その目をじっと見つめているうちに、僕は少し、落ち着きを取り戻すことができた。
ハッ、ハッ、ハ、という音が、自分の呼吸だと、気が付いた。
僕が自分の胸倉を両手でぎゅっと握りしめている事にも。
「落ち着いた? サク・・・」
ユリがギュッと抱きしめて来る。頷いてから、僕はユリの身体を自分から離した。
「目、目を見せて」
「目?」
「見えないと、怖い」
「どうしたの? 灯りを」
ユリの声で室内が明るくなる。ユリの顔がよく見える。
同時に、すこしホッとした。
「怖かった」
「サク。ものすごく、汗をかいてる。冷や汗・・・」
「水も、飲みたい」
「えぇ」
人型のAIが、室内に入ってきて水の入ったカップを渡そうとしてきた。手が震える僕に変わってユリが受け取り、僕に慎重に飲ませてくれた。
「怖い・・・」
と僕は、とても疲れを覚えながら、呟いた。
「何が怖いのか、教えて?」
とユリが尋ねる。
僕はユリをじっとみて、それから室内を見回した。
「・・・分からない」
僕の答えを、ユリが慎重に真剣に聞いている。
「でも・・・」
僕は目を閉じて、それから襲ってきた暗闇に慌てて目を開けた。
ブルブルッと、また身体が震えた。
「崩れてしまいそうに、見えたんだ。全部」
「全部って・・・例えば、この家とか?」
ユリの確認に、コクリ、と僕は頷いた。
「大丈夫よ。この家は古いけれど、きちんとメンテナンスされているわ。強度だって問題ないの。大丈夫よ、安心して、サク」
ユリが手をぎゅっと握ってくれる。
僕はユリの言葉にまた頷いた。
「ごめん、暗いのが、怖いのかもしれない・・・灯りをつけたまま、寝ても、良いかな」
「・・・分かったわ。大丈夫よ、サク。・・・どのぐらいの明るさなら、良い? 今ぐらい? もう少し、抑えても大丈夫なぐらい?」
「分からない」
「分かった。じゃあ、このまま寝ましょう」
僕はじっとユリを見た。ユリも泣いていたのに、しっかりと強い顔をして、僕に安心を与えようとしている。
「ごめんね」
と僕は言っていた。
「大丈夫。サクが怖がらない方が、大事だと思うの」
それからユリは僕に笑って見せた。
「サクだって、私が怖がった時、ずっと励まして元気づけてくれたわ」
「うん」
「海に行った時の事、思い出しちゃった」
ユリが僕のために少し明るく言う。僕も思い出し、少し笑みを返すことができた。
お互い、それで少し安心した。
明るいまま、ベッドに横になる。
さっきは仰向けで急に恐怖を抱いたから、僕は横を向いてじっとユリの目を見つめていた。
ユリも僕の方を向いていてくれる。
「・・・寝れそう?」
とユリが小さく聞いてきた。
「うん。・・・ユリを見てると、安心する」
僕が言うと、ユリが目を細めて笑む。少し嬉しそうだ。
「良かった。・・・サクが寝るまで、見ててあげる」
「・・・ありがとう」
「手も、繋ぎましょ」
「うん」
部屋は明るいけど、瞼が落ちてきて閉じると、どうしても恐怖が忍び寄ってくるようで、慌てて目を覚ます。
ユリが眠そうにしながらも、僕をじっと見ていてくれた。
その様子に安堵も覚えながら、瞼を閉じようとする。僕が寝ないと、ユリも眠れない。
だけど。
眠ろうとすると体が震えて恐怖を覚えて。
ユリが眠気に力尽きて先に寝てしまったのを見た後は、酷く怖くて。
このまま家が、僕を取り巻くもの全てが、世界全てが、地下にあった町のように、簡単にボロボロと崩れてしまう、そんな恐怖に襲われて。
ユリの手を両手で握りしめて、縋るようにして耐えようとした。
震えながら、泣いていた。
助けて、と、繰り返していた。
***
明らかに、精神的な、後遺症だった。




