60.ソウと。そして。
ソウは、とても小さな、幼児だった。
液体の中で目を瞑って浮かんでいる。いろんなコードが繋がっている。
本当は2歳になるはずだけど、身体的には1歳ごろだと、リクさんは言った。
一度も目を覚ましたことはない。脳波も、ずっと眠っている状態。
この子は、水の中に生きているみたいだ。と僕はそんなことを考えた。
リクさんはソウの数値を確認してから、ソウに呼びかけた。
「ソウ。調子はどうだ? 今日は、サクがきみに会いたいっていうから、連れてきたんだ。サクは結婚してさ、奥さんのユリちゃんも来てくれた。もう、研究所を巣立っていくから、サクたちに会えるのはこれが最初で最後になるかもしれない」
リクさんはじっとソウを見つめている。冷静に。
「良かったら、起きないか」
リクさんは少しソウのアクションを待ってみたようだけれど、何も起こらない。
リクさんは諦めたように僕を見やった。
僕も水槽に近寄った。
「ソウ。はじめまして。かな。僕が意識不明になった時、ソウも助けてくれたのかな。そうだったら、本当にありがとう」
僕の言葉に、リクさんが驚いたように不思議そうに僕を見た。
「いつか、目を覚ましたら、また会いたいな。きみはどんな人なんだろう。話ができたら良いな」
やはり何の変化もない。
「サク。ソウが助けてくれたって何だ?」
「ソルトに聞いてもらうと、分かるはずです。僕もソルトに教えてもらったんです」
リクさんは首を傾げた。
とはいえ、僕から言うより、ソルトから話してもらった方が良いと思える。
ソルトはリクさんに色々秘密にしているようだったから、ソルト自身が打ち明ける範囲を決めた方が良いはず。
ユリも水槽に向かって声をかけた。
「ソウくん。初めまして。サクを助けてくれたの? 本当に、ありがとう。ソウくんも、元気になってね」
「不健康なわけじゃないんだよ。目を覚まさない・・・。ソルトがさ、ソウを引き取って欲しいって言ってきたんだ。そりゃ、僕もメンバーだったけど、リーダーじゃなかった。なのにソルトが必死で頼むから、僕が引き取ることにした。・・・その頃は、脳波も計測できなかった。理由も分からなくてさ」
「ソルトに理由を聞かなかったんですか?」
「聞いたよ。とても大事な人たちで、生かして欲しい、待ってあげて欲しい、ソウには時間が必要なんだっていうんだ。ソルトはいつも物わかりの良い子なのに、あんなに言い張るなんてよっぽどだと思った。・・・ソルトは、時々不思議な事を言う。僕たちの知らないことを知っているみたいだと、よく思う」
「そうですね・・・。ソルトは賢いと僕も思います」
リクさんと僕とで、じっとソウを眺めている。
「賢い・・・とは、また違うんだよなぁ・・・」
と、リクさんは呟いた。
「ソウくんが、目を覚ます日が、早く来ると良いですね」
ユリがリクさんを元気づけるように、言った。
「うん。そうだね。目を覚ます日をじっと待ってる。いつまで待てばいいんだろうね・・・ソウ、待つにも限界があるんだ。聞いているなら、そろそろ起きろよ・・・」
そう言って、リクさんは苦笑した。
「ソルトに言わせれば、こっちの声は聴いているんだけどさ。脳波には変化が出ない。少し・・・途方にくれてしまうことが、ある」
疲れているからか、リクさんは、僕に不安を零している。とても珍しいことだと思う。
「・・・何かいい方法が、あると、良いですよね」
と、僕はそんな風にしか答えることができない。
「・・・時間しか、薬がないって、ソルトが言うんだよ。困ったよなぁ・・・」
「いつ頃目が覚めるとか、いう話はソルトは」
「さぁ・・・」
リクさはんは、じっとソウを見ていた。
「本当にわずかだけど、成長はしてるんだ・・・」
少ししてから、気を取り直したように僕たちに向き直って、リクさんは少し笑った。
「ごめんごめん。暗い話をした。じゃ、ソウには会った。サクとユリちゃん、新居に移るんだろ。さっさと準備をしないと」
「・・・はい」
ソウ、またね、と僕とユリはそれぞれ眠り続けるソウに小さく声をかけて、その部屋を出た。
***
新居に移る日が来た。
ソルトに直接もう一度会いたかったけど、勉強の時間があったりでうまく会うことができなかったのが残念だ。
リクさんには、ソウに会わせてもらった日以来、会えていない。
まぁ、また遊びに来れたらいい。車でこれる距離なのだから。
研究所での最後の日は、バタバタしたまま、出る事になった。
***
「わぁ、やっと着いたわ!」
ユリがはしゃいだ声を上げている。とても嬉しそうだ。
僕の運転で着いた新居。
ユリのご実家の家のようにきれいで豪華だ。今更ながら、夢じゃないのかなんて思うほど。
荷物はもう手配済みだから、あとは僕たちが住むだけになっている。
車から降りて、ユリは僕の腕に腕をからめてまるで子どものように跳ねている。
僕だけが、こんなに幸せになって良いのかな、なんて、僕は思ってもみなかったことを思ってしまった。
好きになった人に結婚して貰って、準備万端の豪華な家に住んで。
ユリに引っ張られるようにしてドアまで向かい、ユリの声でドアが開く。
『おかえりなさいませ』
家に入って、驚いた。人に似せたAIが2台、僕たちを出迎えている。
「ただいま。名前をあげるわね。あなたがフィン、あなたがユニ。・・・サク、それでいい?」
「え、うん」
『ありがとうございます。私の名前がフィン。登録しました』
『ありがとうございます。私の名前がユニ。登録しました。・・・どのようにお呼びいたしましょう、ご希望をお聞かせください。旦那様、奥様』
「そのままで良いわ」
くすぐったそうにユリが笑う。
僕は初めての状況に動揺して顔を赤くしていた。
なんだこれ。ひょっとして、普通の家では普通のことなんだろうか。そんな気がする。




