54.ガドルについて
「何を話したの? ユリ」
翌日、僕はベッドの傍で僕の手を握るユリに尋ねた。
ちなみに昨日のユリは、泣いて俯いて落ち込んで、首を横に振るだけできちんと話さない様子だった。だから、今日教えてもらう約束だ。
「・・・うん」
とユリは少し静かに答え、その後で僕を見つめた。それから僕の手を持ち上げて、自分の頬を寄せて目を閉じる。それが少し懺悔するような顔に見えて、僕は不思議に思った。
「身勝手だって、怒ったの。大切な人を盗らないでって。・・・サク、聞きたい?」
「・・・うん」
できれば。
ユリはとても話し辛そうに見えるけれど。
「・・・あの人はね、私が、サクを、別のところに連れていくのが、嫌だったのだと、思う」
「・・・え?」
意味が良く掴めない。
「私、ものすごく詰ったわ。本当に子供じみて身勝手だって。・・・だけど、私もそうなんだと思う」
ますます、良く分からない。
「サクと一緒にいたいから、私の好きな家に、行くの」
「・・・うん」
「結婚したもの」
「うん」
と答えてから、心配になった。付け加える。
「結婚してくれてありがとう。ユリ」
感謝の気持ちで嬉しくなって僕の頬はこんな時でも少し緩む。
ユリは、意表を突かれたように目を開けて僕を見て、それから僕の表情に安心したようで、柔らかく笑った。
「うん。私もよ、サク」
「うん」
ユリが目を細めて、それから幸せな気持ちを味わうようにしてから、ギュッと強く目を瞑った。
「・・・置いて行かれるのが、嫌だったのだと、思ったの」
「え?」
「あの人が。そう、思ったのよ。サクが、好きだから」
と話すユリの声は震えて涙声になってきた。心配になる。
「話したの。そうだって、言ったの。置いて行かれるのが嫌だったんでしょう、って言ったら、そうだって、自白したの。おかしいのよ、私は怒ってるけど、私だから分かるのかもしれないって、思ったの。だって私もサクが好きなんだもの。ねぇ、羨ましくて、眩しくて、手が届かなくて、もう住む世界が違うところに行くと思ったら、とっさに、動いてしまって、払い落してしまってたって、言ったのよ。酷いわ。それで、サクは、こんなに死ぬほどの大怪我をして、大変なのに」
まだ体がよく動かせないから、握ってくれている僕の手に、力を籠める。ユリが泣いている。
泣いているのに、動けないのがとてももどかしい。
「サクを、手の届く場所に置いておきたかったんでしょうって、詰ったの。そうだ、って答えたの。無意識で、だけど、妬ましかったって。自分の手の届かないところに行くのが、妬ましかったって」
そう言ったところで、ユリがしゃくりあげた。
ユリの方から身体に縋って来てくれた。だけどそれ以上どうしようもできない。
ユリは言葉にするのが難しくなったようで、激しく泣いている。
身動きも取れなくて、ユリも話せなくて、僕はじっと天井を見つめた。
ユリの話は掴み辛い部分があったから、どういう事かを考えようとした。
うまく飲み込めない。
僕が妬ましかった。
僕が、ガドルから遠く離れるから。
だからって。
僕はぎゅっと目をつぶった。
・・・あんなに親切にしておいて、とっさにと言うけど、突き落とした。
無事ですむはずないって分かっていたはずなのに。
「・・・」
ユリは僕の側で泣いている。
僕は。ショックを受けている。
ガドルが言ったという内容。
僕のことが、妬ましかった。
違う。僕が憎かった。そうでなければ突き落とさない。
僕はガドルに憎まれた。
ガドルを置いて、他のところに行くから。
僕の方が頼りなくて、庇われるような存在なのに。
僕より大人でしっかりしているガドルを置いて、ガドルが行きたくても行けないところに、行くからだろうか。
泣けてきた。
僕は、無口だけど他の人より僕を確かに気にかけてくれていたガドルを信頼していたのに。
しばらくして、ユリが僕の嗚咽に気がついた。
「サク?」
泣いてるの、と続けたユリも、涙を拭きながら、やっぱり泣いている。
僕を抱きしめてきて、鼻をすすってから、ユリは涙声でフフッとまるで悪女のように笑った。
「会わせないわ、絶対、こっちの知り合いは全部、置いていくの。誰にも手を届かせたりしないわ。私が全部守ってあげる。セキュリティの管理者に蒼くんがなったって連絡が来たのよ。皆、仕事を始めてる。だから皆でサクを守ってあげる。そう言ってくれてる。絶対、絶対、もう二度と…」
聞いているうちに、僕はユリに対する不安が強くなってきた。
ユリがとても追い詰められているように思える。
それに・・・。
二度と、こちらのチームの皆に会わないなんて。
「・・・ユリ、僕を助けてくれた人たちには、お礼を言いたい、な。とてもお世話になったんだ」
まだ僕も涙声ながら、そう訴えてみる。
しかしユリからの返事はない。
「・・・それに・・・。・・・一度は、ガドルに僕から聞いてみたい、かも、しれない」
自分の気持ちが分からないけれど。
僕のことが嫌いだった?
そんな風に思われてたなんて、思えない、確かに、あの時までは。
ではいつから、僕が嫌だった?
違う、つまり僕は否定して欲しいと願ってる。
大丈夫、好きだったと言ってもらいたい? 僕にも良く分からない。
何かを確かめたいけど、何を聞きたいのか僕にも良く掴めない。
「ユリ・・・?」
呼びかけるのに、ユリは返事をしてくれない。機嫌を損ねてしまったみたいだ。ベッドに横たわる僕にすがるようにして顔を伏せて見せてくれない。
そして。ユリは、そのまま居眠りをすることにしたようだ。




