52.確認と共有と
「何も話さないらしいよ。ガドルって人。一言もさ。たまに唸り声をあげるらしいけど。信じられないね」
どこか見放したような冷たさを交えて、リクさんが教えてくれた。
「助けられたのに助けられなかった、って唸ってるのかも、しれねぇ」
とドーギーが呻く。
どうなのだろうか。
分からない。
だけど押されたのはやはり事実だと僕は思った。何かのアクシデントで押してしまったとしても、ガドルなら助けられたはずだったらしいことも。だけど助けるそぶりも無かったと。
苦くて苦しくなる。
「・・・ユリは、どこまで知っていますか?」
「事故で落ちたってとこだけだ」
とドーギー。
「ユリちゃんに話したい? 心配してると思うけど」
と言ったのはリクさんだ。
「・・・言っていいのか、分かりません」
たぶん、相当なショックを受けると思う。
「本当は地下で夜通しサク坊を探すべきだった。だが上への報告とガドルの隔離をやっちまわねぇといけないと判断したんだ。・・・見つけるのと引き上げるのに5日もかかっちまった。本当にすまねぇ。・・・サク坊、目ぇ覚めて本当に良かったよ・・・」
ドーギーが僕に頭を下げる。
「いえ・・・落ちたら死ぬってさんざん注意があった場所だったし・・・。助けていただいて有難うございます・・・」
と僕は答えた。
「サク、ユリちゃんに言ったら良いと思うよ」
と言ったのはリクさんだ。
僕は顔を上げてリクさんを見た。
「今だって部屋の外に出されて、相当気をもんでると思うよ。サクだってどうしていいのか分からないんだ、一人で悩むより、二人で悩んでる方が、僕だって安心だ」
「はい・・・」
***
少し時間も経っていたので、ユリをまた部屋に呼んだ。
ユリは慎重に戻ってきて、何を話していたのかを顔色や雰囲気で掴もうとしているように見える。
皆に促されてベッドのすぐ横の椅子に腰かけて、また僕の手を握ってくれる。
「・・・話は、済んだの?」
声が震えているので、ユリは泣きそうなのを我慢しているんだろう。
「ううん。まだ途中。ユリにも聞いて貰おうと思って」
「え。そうなの・・・」
少し目を大きく丸くして瞬いたので、驚いたようだ。それから脇に寄ったドーギーとリクさんをチラと確認した。
そして、少し安心したように息を吐いた。
「ごめんね。部屋を抜けてもらって」
と改めて謝っておく。
コクリ、とユリが頷いた。
「僕が落ちた時の事を、確認してたんだ」
と言ってから、僕は大きく息を吐いてしまった。
確認した事実と、話す事に疲れを覚えてしまったせいだ。
加えて、やはり、いざ伝えておこうと思うと、迷う。
ユリはじっと待っている。
意を決して、僕は口を開いた。
「実は、ね、僕は、押されて、」
落ちたんだ。
とユリに言おうとしたのに、思いがけず涙が溢れてきて言葉を止めてしまった。
「あれ」
慌てて拭おうとしたのに、腕が動かない。
ユリが驚いている。ギュッと僕の手を握ってくる。
「上からごめんねぇ」
どこかのんびりした口調で、リクさんが僕たちを覆うようにして手を伸ばし、僕の涙を拭いてくれた。
ユリが少し驚いている。
「僕はサクの親だからさ」
とリクさんはどこか弁解のようにユリに言ってから、困ったように僕を見て、ドーギーにもチラと目を遣ってから、僕の代わりにユリに教えた。
「サクもショック受けててさぁ。事故っていうけど、故意に知り合いに押されて落ちちゃったみたいなんだ」
「え・・・」
ユリも驚いたが、僕はこの状況に涙が止まらなくなってしまった。
やはりリクさんが僕の涙をまた拭ってくれる。子どもみたいだ。そう思ったら逆に涙の止め方が分からなくなる。
黙っていたドーギーが口を開いた。
「・・・ガドルっていう、サク坊にとても親切にしていたのがいるんだが」
「・・・え、えぇ、ガドルさんは知ってます・・・」
とユリが言ったのを聞いて、ドーギーは、しまった、というように口を閉じた。ユリの回答が意外だったんだろう。
急に黙ってしまったので、静かになる。
僕の嗚咽が聞こえてしまうのが、嫌だ。
リクさんが僕の頭を撫でる。ユリはドーギーの言葉の続きを待っている。
リクさんはユリの肩もポンポンと叩いて宥めるようにした。
しばらく皆が黙って、ユリが
「どうしてですか?」
と小さく、ハッキリと聞いた。
「分からねぇ。何も答えねぇんだ」
「ガドルさんが、サクを突き落としたの?」
「多分な。サク坊も押されたって言うし、他のヤツらもガドルがおかしかったと言ってる」
「どうして。ケンカして? それでも酷い・・・!」
「・・・ケンカなんてしてたのか、サク坊? 何か言ったのか?」
ドーギーに尋ねられて、僕は首を横に振った。
「たぶん、なにも・・・」
はぁ、とドーギーがため息をつく。
「理由が分からねぇ。ガドルはもともと自分の事を話したがらないヤツだが、いくら聞いても口を割らねぇ」
「自白の強制は可能でしょう?」
リクさんが当たり前のように指摘した。
ドーギーが嫌そうにリクさんを睨んだ。
「ガドルみたいなヤツに自白強制か? 廃人になる。用済みだって言いてぇのか」
「理由も口にできないのでしょう。子どもじゃあるまいし。自己弁護さえできない上に、計画性もない。調べてみたら、各所を転々としてるじゃないですか。今回の仕事も無理だ。じゃあ次はどうするつもりだ」
ドーギーとリクさんがにらみ合い始めた。
一方の僕はやっと涙が落ち着いた一方、ユリの様子に動揺した。僕の手を頬に宛てながら、宙を睨むように目が据わってきている。
ユリは今、何を考えているんだろう。
じっと見ていたら、ユリがふと僕の視線に気づいて、瞬きをした。
少し黙ってから、僕の頬に手を当てて撫でた。
「・・・怒ってる」
と僕は小さく指摘した。
「・・・サクにじゃないわ」
その答えに、僕も無言になる。
それから、少し気になったので確認した。
「ユリ、研修は?」
「もう終えたの。サク、ずっと目を覚まさないから」
ユリがくしゃりと泣き笑いの表情になった。
「お父さんとお母さんも来てくれてるの。ここには限られた人しか入れない規則があるって言われて、宿泊先で待ってくれてるの。お父さんがね、『お兄さんも来ているのだし研修はあと2日だから、何かあったらすぐに連絡がくるから、先に終えてきてしまいなさい』って。だから、もう研修は全部終わったの」
「そ、っか・・・」
ご両親まで中央に来てくれているんだ・・・。とても迷惑をかけてしまってる。
リクさんが口を出してきた。
「一旦、研究所に戻れるように手配するよ。ユリちゃんも良いよね? ユリちゃんも研究所で寝泊まりできるようにするから」
「研究所? 病院では無くてですか?」
「うん。研究所の方がサクのデータが揃っているから、一番いい治療ができると思う」
「そう・・・分かりました。サク、それで良い?」
「うん」
むしろホッとする。
「でも、少しだけ待って欲しいです」
とユリが言った。どこか険しい顔立ちだ。
「うん良いよ。でもどうして?」
とはリクさん。
ユリは宙を睨んだ。
「ガドルさんと話したいです」




